ゲーマー少女がギタリストに
〜目標は世界一のギタリスト〜

貝塚南高等学校卒業生 安達久美

高校生活 〜2012年7月1日発行号 大阪府高等学校生活指導研究会編〜

【もくじ】

  1. ギターへの目覚め
  2. 世界への憧れと留学
  3. 念願のロス音楽留学
  4. プロ活動スタート〜世界へ
  5. “サポーター作り”も大切
  6. ギターに“ゲームオーバー”はない
ギターへの目覚め

好きなことを仕事にできるって良いだろ?
プロのギタリストってかっこ良いだろ?

そんな、誰もが憧れるけど簡単になれるものでないギタリストへの道を選んだのは小学校5年生の時だった。

ギターに出会う前は、男子と一緒に野球やサッカーや探検をしたりするお転婆で活発な子だった。そのうちTVゲームが普及し始め、早朝5時から学校に行くまで、そして帰宅してから深夜まで、休みの日は一日中ゲームに熱中していた。宿題もきちんとしていたし、成績も悪くなかったので、親は私には何も言わなかった。

そんなゲーマーの私を変えたのは、小5の時に兄が始めたギター。

ぐんぐんレベルアップしていく兄のギターが気になり出した。「そんなにギターって面白いのか!?」

それから時々、兄のギターを借りて弾いてみるようになった。「あぁ、こういう風に弾きたいのに…できねぇ…」その「できねぇ」ことをできるまで意地になってやった。これもゲーマー魂かもしれない。でも、ある時気付いた。TVゲームはクリアしたら達成感こそあるけど、自分に何も残らない。それに対して、ギターは達成感があるだけでなく、自分に技術がついてくるし、更なる高みをめざしてどんどん壁ができる。つまりは、「ゲームオーバーがない」のだ。

そうこうしているうちに世界中の音楽を聴く機会も増え、どんどん異国への憧れも出て来る。ロック、ポップス、ブルース、ジャズ、ファンク、ラテン、クラシック、色んな音楽があるけど彼らはどんな国で何を考え、どんな思いで音楽を奏でているのか?

世界への憧れと留学

無性に世界に飛び出したくなったのは中学時代。

当時一番はまっていたギタリストを生で見たい衝動にかられた。インターネットがまだ十分普及していなかった時代にどこで会えるのか、レコード屋さん、雑誌社、音楽学校等、思いつくままあちこちに電話をし、たどり着いたのはロサンゼルスの音楽学校「MI(ミュージシャンズ・インスティテュート)」。おぼつかない英語で電話をしてパンフレットを取り寄せることに成功。おめあてのギタリストはここで講師もしているとのことだった。

「ならば行かねば!」ということで、早速家族に相談。経済的理由から、答えはもちろん「NO」。たとえ裕福であったとしてもプロのギタリストになるなんて夢みたいな話、大概のご家庭ではNOでしょう(笑)。

でも、「世界一のギタリストになるんだ!」周りに言い続けたわたし。

誰もが「なれるわけない」と思っていたに違いない。

近所で有名人がいる話を聞いたこともなければ、親戚関係にそんな特殊な仕事についている人もいない。もちろん音楽一家でもない。

高校卒業資格がないとロスの音楽学校へは行けないので、とにかく地元の高校を出ることにしよう。周りもこの3年間で夢が別のものに変わるだろう、と思っていた。ところが、音楽とギターがどんどん好きになっていく。周りが一番苦労したのが、高校時代でしょう。

自宅では出せない大きな音でギターを鳴らす為に早朝、軽音楽部の部室へ。もちろん放課後も。そのうち普通の人と同じ練習量だと全然世界になんて出られない、と思い始め、とうとう学校を休むようになった。成績が悪かったわけでもなく、友だちがいなかったわけでもない。ただ、世界一のギタリストをめざすために。

進路を決定する時期になってもわたしの意志は変わりなく、当時の担任だった本田先生(現・貝塚南高等学校校長先生)は、わたしを信じてくれて「応援しているからお前、頑張れよ」とわたしを無事卒業出来る様に最後まで見守ってくれた。

念願のロス音楽留学

そして家族の経済的援助や心労は大変なものだったはずだけど、気持ちがぶれずに念願のロスへの音楽留学ができた事にほんとに感謝。

アメリカではあこがれのギタリストにも当然会えたが、世界中から集まった生徒の多さに驚く。ギター科の生徒だけでも200人近くいた。高校時代、あれだけ練習したのに凄い奴がうじゃうじゃ。みんな24時間空いている学校をフルに活用し、ハングリーに練習していた。しかもギター以前に英語が上手く話せないのは日本人だけ。情けなかった。わたしも皆とコミュニケーションが取りたくて、シャイな性格は捨てて皆と会話する努力をし、ギターも必死で練習した。ホームシックなんて言っている間もなく、あっと言う間の留学期間だった。この時の留学経験は音楽やギターだけでなく、コミュニケーション力、精神力にも今でもすごく役に立っていると思う。たくさんの友だちに恵まれた楽しく素晴らしい一年だった。

プロ活動スタート〜世界へ

帰国後はめでたくプロとしてのお仕事にも恵まれたけど、それは歌手のサポートギタリスト。わたしの夢は世界一のギタリストになること。わたしの願いはまだまだ続く。サポートギタリストで満足していたら一生かかっても自分の音楽で世界には出られない。そして、自分のリーダーグループ「安達久美クラブパンゲア」を率いて2007年にデビュー。

今まで女性ギタリストという前例が無かったので、参考にしたり、比較できるデータもないので、試行錯誤しながらも現在もパイオニアとして自由に活動中。

おかげで、近年はマイケル・ジャクソン「THIS IS IT」のギタリスト、オリアンティと共演したり、日本全国各地に留まらず、海外公演のチャンスも増えた。

先日はエジプトのカイロジャズフェスティバルに呼ばれて出演してきたけど、全てがカルチャーショックだった。

街中のビルの隙間からピラミッドがこんにちは。古代と現代の共存。

異常に増え過ぎた自動車の大渋滞の中、ロバや馬や羊が一緒に行き交う道路。

クラクションとコーラン(イスラム教の聖典)が鳴り響く街中。

わたしに話しかけて来る日本語は「山本山」(笑)。

ストレートな髪にカラフルなエクステをした異人のわたしにエジプトの女の子は興味を示していた。彼女たちは宗教上、ずっと頭からスカーフをしているけどお洒落には敏感なのだ。

コンサートでもこの女性ギタリストが、どんな音、プレイ、音楽を披露するのか興味津々。で、一度盛り上がりに火がつくともう止められないエネルギー。

韓国もしかり。

良いか悪いかは別として、徴兵制度があることも影響してか韓国ではコンビニの前でたむろしている様な、だらけて見える若者はいない。男子も女子もしっかり目標を持ってしゃきっとしている。コンサートをするとその国のエネルギーがよく伝わるね。

海外は面白いよ。どんな分野でも良いから行ってみて!(できれば観光旅行じゃなくてね。)彼らが何を考え、どう行動しているのか…。海外へ出ると、日本のことがよくわかるよ。

“サポーター作り”も大切

やりたいことが見つかっていない人も、やりたいことが決まったら、応援してもらえるサポーター作りも大事。独りよがりじゃ誰も相手にしてくれないし、応援もしてくれない。卑屈にならず常に建設的に考え、行動してサポーターがたくさんできるような愛される人になってね。そして自分を支えてくれているみんなに感謝の気持ちを。

ギターに“ゲームオーバー”はない

わたしもプロとして活動はできているけど、わたしにとっては当たり前でただの通過点。だって世界一のギタリストが目標なのだからまだまだ “ひよっこ” だ。

もうギター歴でいうと20年以上は経っているのにやっぱりゲームオーバーはない(笑)。

今も日々精進、成長中で、上には上がいるし、でっかい壁だってまだまだクリアしていかなくては…。でも学生時代と変わりなく音楽とギターが大好き。しかも音楽は重ねた歳や経験も良い味になっていくんだ。もうやり続けるしかないよね。むしろ辞め方を知らないわたしですが。

そんなわたしをいつでも応援してくれている家族、友だち、お世話になった先生、今まで出会った全てのみなさん、これから出会う全てのみなさんに心から感謝しています。

皆さんにもジャンルは違えど、かっこ良く歳を重ねて豊かな人生を送って欲しいな。

やり続ける事とあなたの「好き」が強く大きいものならどんな壁があってもクリア出来るはずだよ。