【高齢者向け】ペリークイズ。日本の歴史を大きく変えた外国人を深堀りする問題集
1853年にペリーが4隻の黒船を率いて来航した場所はどこ?
日本側の中島三郎助が呼びかけた第一声とは?
1854年の再来航時に幕府に献上されたもののうち役人たちを驚かせたものは何だった?
……あなたはいくつ正解できましたか?
ペリーといえば日本の歴史に深く関わる外国人の中で、最も知名度が高い人物ですよね!
とはいえ、知らないこともたくさんあるはず。
今回はペリーにまつわるクイズをお届けします。
「そうだったの!?」と驚きの問題の数々に、もっと知りたい!
という気持ちが生まれるかも。
新たな知識を楽しむ脳トレとして、ぜひご活用ください。
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【高齢者向け】ペリークイズ。日本の歴史を大きく変えた外国人を深堀りする問題集(1〜10)
ペリーの乗った黒船は真っ黒の見た目をしていました。これは船体に「コールタール」を塗っていたためです。なぜそのような塗料を縫っていたでしょうか?でしょうか?NEW!
- 木が腐るのを防ぐため
- 夜の海で敵から見えにくくするため
- 太陽の熱を吸収して船を温めるため
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木が腐るのを防ぐため
黒船は木造の船体でした。そのため、海水や雨などで木が腐ってしまわないように、コールタールという黒い塗料を塗って防腐処理をしていました。当時の日本の人々は、こんなに大きくて真っ黒な船を見たことがなかったので、非常に驚き、「黒船」と呼んで恐れたと言われています。
ペリー来航の様子を風刺した有名な狂歌、「泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たった四はいで 夜も寝られず」の「上喜撰」とは何を表す言葉でしょうか?NEW!
- 高級なお茶の銘柄
- 偉いお坊さんの名前
- 特別なお酒の種類
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高級なお茶の銘柄
この狂歌はペリーが率いる黒船、蒸気船が4隻で来航し、幕府や民衆が大慌てになった様子を面白おかしく詠んだものです。「上喜撰」とは、当時実在した宇治の高級な緑茶の銘柄。濃いお茶を4杯飲むとカフェインの働きで夜眠れなくなることと、4隻の蒸気船がやって来て不安で夜も眠れないことをかけています。昔の人のユーモアが詰まっていますね。
日米和親条約によって開港された港は函館とどこでしょうか?NEW!
- 下田
- 横浜
- 神戸
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下田
1854年にペリーと江戸幕府との間で結ばれた日米和親条約により、日本は長く続いた鎖国を終え、下田と箱館の2つの港を開港しました。下田は江戸に近く、アメリカの船に薪や水、食料などを補給する場所として選ばれました。横浜や神戸が開港したのは、その4年後に結ばれた日米修好通商条約によるものです。
【高齢者向け】ペリークイズ。日本の歴史を大きく変えた外国人を深堀りする問題集(11〜20)
1853年にペリーが来航しましたが、幕府首脳はその1年も前に艦隊来航の事前情報を得ていました。その情報はどこから得たでしょうか?NEW!
- 阿蘭陀別段風説書
- 朝鮮通信使の報告
- ジョン万次郎の書簡
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阿蘭陀別段風説書
正解は「阿蘭陀別段風説書」です。鎖国下でも交流があったオランダの商館長が、1852年に幕府へ提出した報告書の中に、ペリーが日本に向かっているという詳細な情報が含まれていました。しかし、幕府の首脳陣はこの重要な事前情報を十分に活かすことができず、翌年のペリー来航時に大きな混乱を招くことになってしまいました。
1854年に結ばれた条約が「不平等条約」と呼ばれる理由のひとつは何でしょうか?NEW!
- 日本がアメリカに毎年多額の税金を払う約束だったから
- 日本にだけ不利な「片務的最恵国待遇」という条件があったから
- アメリカの法律が日本全国で優先されるようになったから
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日本にだけ不利な「片務的最恵国待遇」という条件があったから
1854年に結ばれた日米和親条約には「片務的最恵国待遇」という条件が含まれていました。これは、日本が将来ほかの国ともっと良い条件で条約を結んだ場合、自動的にアメリカにもその良い条件を与えるというものです。しかし、アメリカ側には同じ義務がなく、日本にだけ不利な約束だったため「不平等条約」の始まりとされています。のちに結ばれる日米修好通商条約ではさらに関税の権利などでも不平等が強まりました。
1854年の2度目の来航時、ペリーが乗船していた旗艦の名前は何でしょうか?NEW!
- サスケハナ号
- ポーハタン号
- ミシシッピ号
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ポーハタン号
1853年の最初の来航時にペリーが乗っていた旗艦は「サスケハナ号」でしたが、翌1854年の2度目の来航時には「ポーハタン号」を旗艦として日米和親条約を結びました。ポーハタン号は当時最新鋭の大型外輪フリゲート艦で、その巨大さと黒煙を上げる姿は当時の日本人を大変驚かせました。後に日米修好通商条約の批准書を交換するために、日本の使節団がアメリカへ渡る際にもこのポーハタン号が使われています。
ペリーは日米和親条約締結後に、アメリカ領事で作家でもあるホーソンと面会しました。その目的は何だったでしょうか?NEW!
- 日本遠征の記録を本に書いてもらうため
- 日本から持ち帰った品物を売ってもらうため
- 次の航海で通訳として同行してもらうため
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日本遠征の記録を本に書いてもらうため
ペリーは日本遠征の公式記録である『日本遠征記』を立派な本としてまとめるため、当時イギリスのリヴァプールで領事を務めていた有名作家のナサニエル・ホーソンに執筆を依頼しようと面会しました。しかし、ホーソンは多忙などの理由でこの依頼を断ってしまいます。最終的には、別の作家であるフランシス・L・ホークスがペリーの膨大な資料をもとに編纂し、詳細な歴史的記録として出版されることになりました。


