1853年にペリーが4隻の黒船を率いて来航した場所はどこ?
日本側の中島三郎助が呼びかけた第一声とは?
1854年の再来航時に幕府に献上されたもののうち役人たちを驚かせたものは何だった?
……あなたはいくつ正解できましたか?
ペリーといえば日本の歴史に深く関わる外国人の中で、最も知名度が高い人物ですよね!
とはいえ、知らないこともたくさんあるはず。
今回はペリーにまつわるクイズをお届けします。
「そうだったの!?」と驚きの問題の数々に、もっと知りたい!
という気持ちが生まれるかも。
新たな知識を楽しむ脳トレとして、ぜひご活用ください。
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1853年にペリー率いる4隻の黒船が最初に来航した場所はどこでしょうか?NEW!
- 下田
- 横浜
- 浦賀
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浦賀
1853年、アメリカ合衆国の東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが率いる4隻の黒船が、現在の神奈川県横須賀市にあたる浦賀沖に姿を現しました。この出来事は「黒船来航」と呼ばれ、200年以上続いた日本の鎖国体制が終わる大きなきっかけとなりました。蒸気船から上がる黒い煙や巨大な船体に、当時の人々は大変驚いたと言われています。
1853年のペリー来航時に日本側の中島三郎助らが小舟で近づき、第一声を英語で呼びかけました。その内容は何だったでしょうか?NEW!
- こんにちは、ようこそ日本へ
- すぐに帰ってください
- 私はオランダ語を話します
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私はオランダ語を話します
1853年、ペリー率いる黒船が浦賀に来航した際、浦賀奉行所与力の中島三郎助らが小舟で黒船に近づきました。その時、彼らは英語で「I can speak Dutch.」私はオランダ語を話しますと第一声を上げました。江戸時代は鎖国をしており、日本人が通訳できる西洋の言葉といえばオランダ語が主流だったためです。
1853年の来航時に、ペリーが乗船していた旗艦の名前は何でしょうか?NEW!
- ミシシッピ号
- ポーハタン号
- サスケハナ号
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サスケハナ号
1853年にペリーが浦賀に来航した際、彼が乗っていた旗艦がサスケハナ号でした。アメリカのペンシルベニア州などを流れるサスケハナ川が名前の由来となっています。当時、黒煙を上げて動く巨大な蒸気船は、日本の人々に大変な驚きを与え、「黒船」と呼ばれて恐れられました。
1854年に結ばれ、日本の鎖国が終わるきっかけとなった条約は次のうちどれでしょうか?NEW!
- 日米和親条約
- 日米修好通商条約
- 日英同盟
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日米和親条約
1854年に、ペリー率いるアメリカ艦隊が前年に続いて再び来航し、江戸幕府との間で結ばれたのが「日米和親条約」です。この条約により、日本は静岡県の下田と北海道の函館の2つの港をアメリカの船のために開くことになり、200年以上続いた「鎖国」の時代が終わりを告げました。アメリカ船に薪や水、食料などを補給することが主な目的でしたが、日本の歴史を大きく動かす非常に重要な出来事となりました。
1854年の再来航時にペリーが幕府に献上し、役人たちを驚かせたものは何だったでしょうか?NEW!
- 蒸気機関車の模型
- 飛行機の模型
- 自動車の模型
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蒸気機関車の模型
ペリーが1854年に再来航した際、幕府への献上品として実物の4分の1サイズの「蒸気機関車の模型」を持ち込みました。機関車は実際に石炭を燃やして蒸気で円形レールの上を走る非常に精巧なものでした。当時の役人たちは客車の屋根の上にまたがって乗車し、そのスピードや未知の技術に大変驚いたと伝えられています。この出来事は、その後の日本の近代化に大きな刺激を与えました。
ペリーが再来航した際、吉田松陰はある企てに失敗して罪に問われました。その企てとは何だったでしょうか?NEW!
- ペリーの暗殺
- アメリカへの密航
- 黒船の爆破
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アメリカへの密航
吉田松陰は西洋の進んだ知識や技術を直接学ぶため、黒船に乗り込んでアメリカへ密航しようと企てました。夜中に小舟で黒船に近づき乗船を直訴しましたが、条約違反を恐れたペリー側に断られて失敗に終わりました。その後、幕府に自首した松陰は投獄されてしまいましたが、この命懸けの行動力と熱意は、高杉晋作や伊藤博文など後の幕末の志士たちに大きな影響を与えました。
ペリーが日本に要求した内容のうち、中心的なものは何だったでしょうか?NEW!
- キリスト教を広めること
- 鎖国をやめて開国すること
- 日本の土地の一部をもらうこと
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鎖国をやめて開国すること
ペリーは1853年にアメリカ大統領の親書を持って浦賀(に来航しました。その最も大きな目的は、日本に鎖国をやめさせて国を開く「開国」を要求することでした。当時のアメリカは、太平洋を横断する捕鯨船の燃料となる石炭や水、食料を補給するための港を日本に必要としていました。そのため、日本に対して港を開くように強く求めたのです。この出来事がきっかけとなり、日本は長く続いた江戸時代の鎖国を終わらせることになりました。



