沖田総司が試衛館に入門したのは何歳のときのこと?
イケメンとして描かれることが多い彼の顔の特徴として正しいものはどれ?
沖田総司の辞世の句といえば?
新選組が好きで大河ドラマを欠かさず観ていた!
なんて方も多いかもしれません。
そして新選組のなかでも特に人気を集める人物といえば……沖田総司ですよね!
周りからも一目を置かれる存在であった凄腕の剣士、そしてドラマでは色白のイケメンとして描かれる彼。
そんな彼を深堀りするクイズです。
難易度中級ということで、少し難しい問題をご用意しました。
「え、そうだったの?」と新たな一面が知れるので楽しいですよ。
【高齢者向け】沖田総司クイズ。人気剣士をもっと知れる難易度中級の問題集(1〜10)
永倉新八は「沖田は〇〇の剣、斎藤は無敵の剣」と語りました。〇〇に入る言葉は何でしょうか?
- 神速
- 猛者
- 天才
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猛者
新選組の二番隊組長である永倉新八は、後年に残した回顧録や談話の中で、同志であった沖田総司と斎藤一の剣術を高く評価しています。その中で「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」と語りました。沖田総司の剣は相手を圧倒するような凄まじい勢いや激しさを持っていたため「猛者」と表現され、一方の斎藤一は隙がなく誰と戦っても負けない堅実な強さがあったため「無敵」と評されたと言われています。
沖田総司が喀血したとされている事件といえば次のうちどれでしょうか?
- 池田屋事件
- 寺田屋事件
- 近江屋事件
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池田屋事件
沖田総司が喀血したとされるのは、1864年に起きた池田屋事件でのことです。新選組が尊王攘夷派の志士たちを襲撃したこの事件の最中、沖田は激しい戦闘の途中で突然血を吐いて倒れたというエピソードが有名です。この喀血は、のちに彼の命を奪うこととなる結核の初期症状であったと言われています。ただし、史実としての確証はなく、後の小説などでドラマチックに描かれたことで広く知られるようになりました。
沖田総司が生まれた季節はいつでしょうか?
- 春
- 夏
- 秋
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夏
沖田総司の生誕の詳細な月日については正確な記録が残されていませんが、夏に生まれたと伝えられています。生年については1842年もしくは1844年の2つの説があります。夏生まれということもあり、情熱的で燃えるような剣の才能を持っていたのかもしれませんね。
沖田総司が試衛館に入門したのは何歳のときでしょうか?
- 9歳
- 10歳
- 11歳
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9歳
沖田総司は白河藩の足軽の家に生まれましたが、幼くして両親を亡くしました。その後、9歳のときに近藤周助が道場主を務める天然理心流の道場「試衛館」に入門しました。若くして剣の才能を開花させ、わずか10代で塾頭を務めるほどの腕前になりました。
沖田総司の姉の名前は何でしょうか?
- みつ
- きよ
- はな
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みつ
沖田総司の姉の名前は「みつ」といいます。みつは幼い頃に両親を亡くした総司を母親代わりとなって大切に育てました。新選組として京都で活躍する総司を江戸から常に案じ続け、総司が結核で倒れた後も献身的に看病に尽力したと伝えられています。
沖田総司の最後の言葉として正しいのはどれでしょうか?
- 土方さん、先に行きますよ
- 新選組はまだ戦っているのか
- あの黒猫は来ているだろうなぁ
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あの黒猫は来ているだろうなぁ
沖田総司は肺結核で療養している際、庭に現れる黒猫を斬ろうとしても病状が悪化して斬れなかったという逸話があります。亡くなる直前、彼を看病していた老婆に対して「あの黒猫は来ているだろうなぁ」と尋ねたのが最後の言葉だと言い伝えられています。剣の天才と呼ばれた彼が、最期に気にかけていたのが日常のささいな出来事だったというエピソードは、どこか哀愁を誘うものとして広く語り継がれています。
沖田総司の辞世の句は次のうちどれでしょうか?
- 動かねば 闇にへだつや 花と水
- 身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
- 面白き こともなき世を 面白く
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動かねば 闇にへだつや 花と水
「動かねば 闇にへだつや 花と水」は、沖田総司の辞世の句と伝えられています。病に倒れ動けなくなった自分を嘆く気持ちや、あの世とこの世が暗闇によって永遠に隔てられてしまうという切なく孤独な心情が込められていると解釈されています。幕末の動乱を駆け抜け、若くして結核でこの世を去った天才剣士の、儚くも美しい最期を偲ばせる一句です。



