エピソード1: カルロス・サンタナ、マッコイ・タイナーに慈愛LOVE!

「慈愛LOVE」を作るにあたり、いつも頭にあったアルバムが2枚あります。 ジョン・コルトレーンの「至上の愛」とサンタナの「SUPERNATURAL」でした。

“音楽にはものスゴい力がある”ことを教えてくれた、これらのアルバムに通じるものを作りたいと思い続けました。

そして、完成したCDは、「至上の愛」メンバーで唯一の生存者であるマッコイ・タイナー(p)に、2011年1月16日 東京ブルーノートで手渡しできました。
ガードが厳しい中、店を出るマッコイに奇跡的に渡せました。
1988年JAZZSPOT RAG、1989年LIVESPOT RAGに出演し、私がこの世界に入る大きなきっかけとなったエルビン・ジョーンズ(ds)が後押しして、連れて行ってくれたように思えてなりませんでした。

7月の下旬にはイタリアのペルージャから嬉しい写メールが届きました。
藤岡さんから、CDをカルロス・サンタナに届けられたと!
そのレポートをまずご紹介します。
(河上ひかる)


左:「慈愛LOVE」のチラシにサインするカルロス・サンタナ
右:藤岡靖洋
2011.7.13 イタリア ペルージャ Brufani Palace Hotel にて
写真:藤岡美智代

メッセージ

カルロス・サンタナ(g)
―――「瞑想の時間にじっくりと聴かせてもらうよ」―――

文・写真:藤岡靖洋(ジョン・コルトレーン研究家)


 コルトレーンの最高傑作と言われている組曲『至上の愛』のコンセプトを、今様に新しい表現方法を模索していた河上ひかるさん。
その中でひらめいたのが、仏を通じて表現する、すなわちお経や声明とジャズのインプロヴィゼイションと言うことで生まれた『慈愛 LOVE』。

ペルージャへ

録音の時から立会い、解説を書かせて頂いた不肖 藤岡は、CDを携えて2011年7月、イタリア、ウンブリア州の州都のペルージャへ飛んだ。ペルージャと言えばサッカーの中田選手が活躍した所として有名になったが、欧州では最大級のジャズフェスティヴァル、ウンブリアジャズが行われることでジャズファンにはつとに知られている。
カルロス・サンタナが2011年7月12日(火)、ウンブリアジャズに登場。お互いにコルトレーンの大ファンとして、89年以来親しく付き合っているが、69年ウッドストック衝撃のデヴューから2000年グラミー賞9部門同時受賞など、数々の栄光を引っ提げ、近年はセキュリティが厳しく、主催者でもなかなかサンタナに会えない。

サンタナ

開演前に宿泊先のホテルへ行って、CDを手渡す。『慈愛LOVE』のパンフレットにもサインをもらって、ひかるさんへのお土産が出来た。アルバムのコンセプトを説明したらサンタナは、「これはきっと素晴らしいCDだろうね。瞑想の時間にじっくりと聴かせてもらうよ。」
そう言ってたいへん喜んでくれた。
ホテルの外では数百人のファンやカメラマンが、サンタナがコンサート会場へ移動するリムジンに乗る所をひと目見ようと群がっている。主催者はダミーのリムジンをホテル前に待機させ、ファンをおびき寄せている。ところがサンタナは、新婦シンディ・ブラックマンを伴ってエレベーターに乗り、裏口からさっさと出て行ってしまった。

愛と平和

午後9時半、一万人近くがひしめき合う会場《サンタ・ジュリアーナ》でコンサートが始まった。最高潮に達した所で「100%ではなく、1,000%の凄いコルトレーンファンMr. Fujiの為に“ナイーマ”を演奏します」と公言。巨大なスクリーンにぼくの顔がアップで映し出された。“ナイーマ”とは、コルトレーンが最後まで演奏しつづけた愛奏曲で、最初の奥さんの名前。“ナイーマ“の前には、コルトレーン作曲の“ディアー・ロード(親愛なる神よ)”も演奏してくれたのは、『慈愛LOVE』効果が発揮されたからかな?
「いかなる戦争も解決の手段にはならない。Love & Peace!(愛と平和を!)」
コンサートではいつもマイクを取ってそう語るサンタナは、『慈愛LOVE』スピリットを最もよくわかってくれる一人だと思う。今度会ったら『慈愛LOVE』の感想を聞いてみよう。

ディスコグラフィー

コルトレーンージャズの殉教者-岩波新書-藤岡-靖洋