RAG MusicTheBeatles
素敵なビートルズ
search

ジョン・レノンとポール・マッカートニー、あの曲を作ったのはどっちだ?

ビートルズのほとんどの楽曲には「レノン=マッカートニー」というクレジットが付けられています。

つまり、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの共作ということですね。

しかし、必ずしも完全な共作ばかりではなかったのです。

今回は、そのことについてお話します。

はっきりしない曲

ワン・アフター・909

この曲が公式に収録されたのは、1970年にリリースされたアルバム「レット・イット・ビー」ですが、時期ははっきりしないものの、ビートルズがメジャーデビューするより前に既に出来上がっていました。

ポールは、この曲をジョンのアイデアを元に共同で制作したと主張しています。

彼は、彼らにとって音楽上のヒーローともいえるアメリカ鉄道を歌った曲のスタイルで書こうとしたと説明しました。

「ジョンと僕は、ブルージーな貨物列車の歌を書こうとしていたっていう素晴らしい思い出があるんだ。

そのころ、ミッドナイト・スペシャル、フライト・トレイン、ロック・アイランド・ラインのようなたくさんの良い曲があったんだ。

それでOne After 909を作ったってわけさ。

彼女は、909番には乗らずに次の列車に乗る。

正直に言うと、イギリスの鉄道じゃなくて、オマハ・スーパーチーフ(かつてシカゴからロサンゼルスまで運航していたアメリカの大陸横断鉄道)が頭にあったんだ」

ところが、ジョンは単独で制作したと語っています。

「これは、17歳か18歳のときに書いたんだ。

僕たちは、大抵別々に曲を書いたんだけど、時には一緒に書いたりもした。

楽しかったからね。

よく言われたもんさ、君たちは、まるで一緒に仕事をしているみたいにアルバムや曲を次から次へと作ってるってね」

エリナ・リグビー

ポールは、この曲の歌詞を自分が8割、ジョンが2割ぐらいの割合で制作したと語っています。

しかし、ジョンは、歌詞の7割を自分が書いたと主張しています。

(リバプールにあるエリナ・リグビーの記念像)

歌詞の中に「マッケンジー神父」が登場しますが、ジョンは、「マッカートニー神父」とすればいいと提案しました。

しかし、「Father Mccartney」ではポールの父親そのものになってしまうので、さすがにポールは反対しました。

それで、2人で電話帳を引っ張り出し、マッケンジーという名前を見つけて採用したのです。

ビートルズ解散後

ポールは、1996年にビートルズ解散後に制作されたアルバムなど、ビートルズの歴史を語るドキュメンタリー・シリーズ「アンソロジー」がリリースされた時、メインのコンポーザーの名前を最初に持ってきてはどうかと提案しました。

しかし、ヨーコに拒否され(ジョンはもう亡くなっていました)、彼の願いはかないませんでした。

ポールがクレジットの変更を希望していることがメディアで報じられると、「ジョンが亡くなったのを良いことに、彼の手柄を横取りしようとしている」というような批判も一部から出されました。

「自分が1人で作った曲は、せめて自分の名前を先にして欲しい」というポールの気持ちも理解できないわけではありませんが、半世紀もたった今となっては証明することは困難です。

仮に証明ができたとしても、世界中にさん然と輝き続けてきた「レノン=マッカートニー」というプラチナ・クレジットを今になって変更することは混乱を招くだけですし、その必要もないでしょう。

ジョンが1人で作った曲でも同じようにクレジットされているので、もうこのままで良いのではないでしょうか?

ライタープロフィール

和田晋司

ビートルズの熱狂的ファン

和田晋司

大阪府出身 ビートルズのファン歴ウン十年。

色んなものに手を出しましたが、唯一続いている趣味がこれです。

ビートルズの語り部として彼らの偉大さを後世に伝えていきたいと思っています。

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ

ウェブサイト:http://abbeyroad0310.hatenadiary.jp

このライター・クリエイターへメッセージを送る

記事一覧