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ビートルズにまつわる裏話あれこれ

ビートルズにまつわる裏話あれこれ
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ビートルズにまつわる裏話あれこれ

ビートルズは、世界的なスーパースターですから、裏話もたくさんあります。

ただし、それらの中には都市伝説の類に過ぎないものもたくさんあります。

ここではそういったものを除いて本当の裏話をいくつか披露します。

映画「ハード・デイズ・ナイト」では吹き替えが検討された

ビートルズが初主演した映画「ハード・デイズ・ナイト」がアメリカで公開されるに辺り、アメリカの関係者は、ビートルズのセリフをアメリカの俳優で吹き替えるかどうかを検討しました。

観客が彼らのスカウス(リヴァプールなまり)を理解できないかもしれないと心配したからです。

確かに、母親から基準語を教育されたポール・マッカートニー以外はなまってますね……。

アルバム「サージェント・ペパーズ~」のジャケット写真に掲載を求めた人物がいた

天才子役として有名だったシャーリー・テンプルは、ビートルズの傑作アルバムである「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケット写真に自分を掲載してくれと求めました。

上の写真の58と71の人物です。

ビートルズは、そこに掲載される人物全てに許可を求めましたが、自分から掲載してくれと申し出たのは彼女だけでした。

逆に、掲載をいったん断った人物もいました。

アメリカ女優のメイ・ウェストです。

どういう理由か分かりませんが、彼女はビートルズからの許可の要請をいったんは断りました。

しかし、彼ら一人一人が個人的に手紙を書いてお願いしたら承諾してくれました。

3の人物です。

「それで、私は何をしたら良いのかしら?」とのたまわったとか。

ペニー・レインの標識が塗装に変更された

ビートルズの名曲に「ペニー・レイン」というリヴァプール市内の通りをテーマにした名曲があります。

通りの名を示す標識をファンが盗み、リヴァプール市が新しい標識を付けてもすぐ盗まれてしまいました。

業を煮やした同市は、標識を取り替えることを止め、塀に直接塗装しました。

ポール・マッカートニーは、2018年にアメリカのテレビ番組の企画でここを訪れ右下にサインしました。

しかし、誰かが電動カッターを使って周辺を切り取って盗まないか心配です。

「ビートルマニア」は新聞記者の造語

音楽記者サンディ・ガーディナーは、1963年11月、オタワ・ジャーナルに熱狂的なビートルズファンを指して「ビートルマニア」と呼び、「医師でも治せない新種の病気だ」と書いたのをきっかけに、ビートルマニアという言葉が使われるようになりました。

一瞬の再結成

ビートルズは、1970年にポール・マッカートニーの脱退により解散しましたが、ポール、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターが、1979年のエリック・クラプトンの結婚式で「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を演奏した時に一時的に再結成しました。

しかし、残念なことにジョン・レノンは、このイべントに欠席したため、完全な再結成とはなりませんでした。

吹き替えのオファー

ディズニーは、1967年に動物をテーマにしたアニメーション映画「ザ・ジャングル・ブック」を製作した際、ビートルズに4羽のコンドルの声の吹き替えをやらないかとオファーしました。

しかし、ジョンは、「エルヴィス・プレスリーを雇った方が良い」とオファーを断りました。

「指輪物語」を映画化しようとした

ビートルズは、映画「ヘルプ!」を製作した後、トールキン原作の「指輪物語」を映画化しようとしました。

リンゴを主人公として、当時流行したサイケデリックな作品に仕上げようと考えていたのです。

残念ながら、これは実現しませんでした。

皆さんもよくご存じの通り、指輪物語は、2001年にアメリカで「ロード・オブ・ザ・リング」として映画化され、大ヒットしました。

ビートルズは、それよりずっと早く指輪物語に目をつけていたことになりますが、映画化してもヒットしたかどうかは分かりません……。

Billboard 200のアルバム記録はいまだに破られていない

ビートルズは、チャートの記録などでたくさんの新記録を作りましたが、時代の流れで破られてしまったものも多くあります。

しかし、そのうちまだいくつか破られていないものがあります。

例えば、アメリカのヒットチャートとして有名なビルボード200(名称は何度も変更されています)で、「合計ナンバーワン週数が多いアーティスト」として132週というとてつもない記録を持っています。

これは、2位のエルヴィス・プレスリーの67週という記録にダブルスコアの大差をつけています。

同じく19枚のアルバムでチャートナンバーワンを獲得し、「ナンバーワンアルバムが多いアーティスト」としての記録もいまだに保持しています。

これもプレスリーが保持している11枚を大きく引き離しています。

そして、ビルボードのシングルチャート1位から5位を同時に独占したという記録は、おそらく今後も破られることはないでしょう。

これは、ビートルズの実力だけではなく、当時のアメリカの暗い時代背景と、知名度が低かったため、既にリリースした楽曲が一気に知られたといった偶然が重なったことも大きな要因でした。

未発表曲

ビートルズの未発表曲はたくさんありますが、「Pilchard」という曲は、リヴァプールに住んでいて自分を神だと考えていた男をテーマにした曲でした。

ジョンとポールは、いったん制作に取りかかったのですが、完成には至りませんでした。

ちなみにこのタイトルはマイワシという意味です。

ジョンは若い頃からかなりの近視だった

ジョンは、サージェント・ペパーの頃からあのトレードマークといえるロイドタイプのメガネをかけるようになりましたが、その頃から視力が落ちたわけではありません。

彼は、若い頃からかなりの近視で、メガネをかけていないとボーっとしか見えませんでした。

彼には、「ロックンローラーがメガネをかけるなんてかっこ悪い」という強い思い込みがあり、人前では絶対にメガネをかけた姿を見せませんでした。

ですから、ステージでも観客の顔は全く見えていなかったんです。

コンタクトレンズを使っていたという説もありますが、これははっきりしません。

しかし、アイドルを辞めてアーティストに変わった時点で、メガネを掛け、ネクタイを外し、髪を伸ばし、髭も生やすようになりました。

「もう外見なんか気にしなくていい」と吹っ切れたんでしょうね。

テレビCMにヒントを得て作った曲

ある日、ジョンがテレビを観ているとケロッグのコーンフレークのCMが流れ、家族が朝食をとるシーンで「Good morning Good morning」とナレーションが流れてきました。

彼は、このCMにインスパイアされ、同名のタイトルの曲を制作しました。

https://www.youtube.com/watch?v=oSXadsF1AaA

因みにジョンが制作した名曲に「I Am The Walrus」がありますが、この歌詞の中に「Sitting on a corn flake」という一節が出てきます。

残念ながら、これはCMとは関係ありません。

フランク・シナトラが激賞した名曲

フランク・シナトラは、往年の名俳優であり歌手です。

名曲「My Way」は、日本では加山雄三がカバーし大ヒットしました。

シナトラは、ビートルズの「Something」に大変感激し、「これは過去50年で最も素晴らしい曲だ。」と激賞しました。

そして1970年と1980年の二度にわたって自分のレコードに収録しました。

ただ、残念なことに、この曲が公開された時に彼は「これは、レノン=マッカートニーの傑作だ。」と発言したのですが、ジョージが制作した曲なんです……。

大御所だけに彼もクレームは付けられなかったでしょう。

ジョンは自分の声が嫌いだった

ジョンは自分の声が嫌いで、プロデューサーのジョージ・マーティンに対し、盛んに編集で深いエコーをかけたり、ダブルトラッキングしたりするよう頼みました。

マーティンは、あんなにいい声をしているのにどうして嫌うのか分からないと不思議がっていました。

盗まれた標識

ジョージ・ハリスンがロサンゼルスのハリウッド・ヒルズにあるブルー・ジェイ・ウェイ通り沿いに所有していた自宅で「Blue Jay Way」という楽曲を制作しましたが、その通りの標識は何度も盗まれました。

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