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RB The Producer の検索結果(1〜10)
亀田誠治

東京事変のベーシストとしても知られる、日本を代表する音楽プロデューサーといえば亀田誠治さんです。
椎名林檎さんのアルバム『無罪モラトリアム』にアレンジャーとして参加し、ミリオンセラーを記録したことで音楽界に名前が知れ渡りました。
2007年には多くの楽曲をアレンジした実績により、49回日本レコード大賞の編曲賞を受賞しています。
2009年にはTBS系の情報ドキュメンタリー番組『情熱大陸』し、一般の人にも知られる音楽プロデューサーになったんですよね。
松尾潔

CHEMISTRYの生みの親として知られる音楽プロデューサーの松尾潔さん。
大学時代より専門誌に執筆を始めるなどブラックミュージックに傾倒しており、日本流のR&B、スイートなPOPSを手がけています。
久保田利伸さんとの交流が機となり音楽制作にたずさわって以降、主に1990年代から2000年代にかけて気軽に親しみやすいJ-R&Bをけん引してきた人物です。
プロデュース面のみならず作詞家としての評判も高く、代表作としてEXILEのヒット曲『Lovers Again』『Ti Amo』やJUJUさんの『この夜を止めてよ』、平井堅さんのアルバムトータルプロデュースをつとめた『JAPANESE SINGER』などが挙げられます。
大人の切なさや甘さのあふれる雰囲気が魅力の作風なんですよね。
NHK-FMのラジオ番組『松尾潔のメロウな夜』を担当しているので、気になる方はぜひそちらでも彼の感性に触れてみてください。
斎藤滋

アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』や『らき☆すた』の音楽プロデューサーとして知られるのが斎藤滋さんです。
アーケードゲームの配給会社バンプレストでマネジメントを手がけた過去を持ち、転職の末ゲーム音楽を中心とした制作を開始します。
2005年からはアニメやゲームの音楽事業を展開するランティスに入社し、多くのアニメで音楽プロデューサーを務めました。
2006年にリリースされたアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』のエンディングテーマ『ハレ晴レユカイ』でもプロデューサーを務め、オリコンシングルチャートでは第5位を獲得しています。
冨田恵一

オシャレでありながら独特の世界観のあるサウンドアレンジと、壮大なオーケストレーションが印象的なのが冨田恵一さんです。
ギター、ベース、キーボードを演奏するマルチプレイヤーで、1997年にプロデュースを手掛けたキリンジが音楽業界で注目を集めたことで名前が知られるようになりました。
2000年にはアレンジを担当したMISIAさんの『Everything』が大ヒットし不動の地位を獲得しています。
その後には中島美嘉さんやCrystal Kayさんなど、多くのアーティストのプロデュースを手がけました。
また自身の活動にも精力的で、「冨田ラボ」の名義でアルバムもリリースしているんですよね。
明石昌夫

音楽事務所ビーイング所属のアレンジャー兼ベーシストとして、ZARDやB’zを支えたのが明石昌夫さんです。
B’zの1988年のシングル『だからその手を離して』でアレンジャーデビューを果たし、T-BOLANなどのプロデューサーを務めました。
1998年以降はビーイングから離れフリーのサウンドプロデューサーとして活躍し、SIAM SHADEやJanne Da Arcをプロデュースしたんですよね。
また洗足学園音楽大学で講師を務め、後進の育成にも力を入れています。
浅倉大介

ボーカリスト・貴水博之さんとのユニットであるaccessのキーボーディストであり、小室哲哉さんと並ぶシンセサイザーの名手といえば浅倉大介さんです。
ヤマハのシンセサイザー部門でシステム開発に携わっていたことがきっかけで、1987年からTM NETWORKのサポートメンバーとして活躍しました。
1995年以降はT.M.Revolutionのプロデューサーを務め、『WHITE BREATH』や『HOT LIMIT』などのヒット曲を手がけたんですよね。
1997年と1998年にはオリコンの作曲家別セールスでトップ10入りを果たしています。
本間昭光

ポルノグラフィティやいきものがかりのサウンドプロデューサーとして知られるのが本間昭光さんです。
ヤマハ所属アーティストのバックバンドメンバーとしてキャリアをスタートさせ、1991年には槇原敬之さんのコンサートにキーボーディストとして参加します。
槇原さんの楽曲『もう恋なんてしない』は、当時失恋した本間さんのために作曲されたのだとか。
2010年にプロデュースしたいきものがかりの『ありがとう』が大ヒットし、その年を代表する1曲になりましたよね。

