【邦楽】日本の有名音楽プロデューサーまとめ
シンガーやアイドル、バンドなどなど……音楽を表現する形態はたくさんありますね。
各々が自分だけの信念を胸に、日夜活動を続けています。
そしてそのミュージシャンたちが輝くために欠かせない存在が、音楽プロデューサーです。
時にはアーティストの進むべき方向を指し示したり、時には精魂込めて楽曲制作に取り組んだり……「自分の好きな音楽のスタッフ陣をよくよく調べてみると、あれもこれもこの人が関わっている!」そういうことも、ままあります。
今回は、日本の有名音楽プロデューサーたちをまとめてご紹介。
どなたも名うての人物ですよ!
もくじ
【邦楽】日本の有名音楽プロデューサーまとめ
亀田誠治

東京事変のベーシストとしても知られる、日本を代表する音楽プロデューサーといえば亀田誠治さんです。
椎名林檎さんのアルバム『無罪モラトリアム』にアレンジャーとして参加し、ミリオンセラーを記録したことで音楽界に名前が知れ渡りました。
2007年には多くの楽曲をアレンジした実績により、49回日本レコード大賞の編曲賞を受賞しています。
2009年にはTBS系の情報ドキュメンタリー番組『情熱大陸』し、一般の人にも知られる音楽プロデューサーになったんですよね。
中田ヤスタカ

Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅさんなど、世界に誇る日本のアーティストをプロデュースしたのが中田ヤスタカさんです。
独自のセンスでテクノポップを再び流行させ、エレクトロシーンをけん引する重要人物ですよね。
渋谷系の音楽から影響を受けていて、音楽ユニット・CAPSULEとして2001年にメジャーデビューを果たした中田さんは、2002年からは映画のサントラなども手掛けています。
2010年には日本人として初めて、カイリー・ミノーグさんへのリミックス提供も果たしています。
本間昭光

ポルノグラフィティやいきものがかりのサウンドプロデューサーとして知られるのが本間昭光さんです。
ヤマハ所属アーティストのバックバンドメンバーとしてキャリアをスタートさせ、1991年には槇原敬之さんのコンサートにキーボーディストとして参加します。
槇原さんの楽曲『もう恋なんてしない』は、当時失恋した本間さんのために作曲されたのだとか。
2010年にプロデュースしたいきものがかりの『ありがとう』が大ヒットし、その年を代表する1曲になりましたよね。
小室哲哉

1990年代のJポップを支えた音楽プロデューサーといえば小室哲哉さんです。
安室奈美恵さんや華原朋美さん、TRFやglobeなどのプロデューサーとして数えきれない程の名曲を世に送り出し、「小室ブーム」と呼ばれる社会現象を巻き起こしました。
テクノとポップスを融合させた独自のサウンドが世の中を席巻しましたよね。
シンセサイザーを操るキーボーディストとしても有名で、自身の音楽ユニットであるTM NETWORKでは1987年リリースの『Get Wild』などをヒットさせています。
武部聡志

日本屈指の音楽プロデューサーといえば武部聡志さんは外せません。
松任谷由実さんのコンサート、フジテレビ『FNS歌謡祭』などの音楽監督を務めるほか、一青窈さんの『ハナミズキ』やKinKi Kidsの『全部だきしめて』など数々の名曲のアレンジやプロデュースに関わっています。
また演奏でも多くサポートをこなし、抜群の安定感でアーティストを支える武部さんのピアノ伴奏は唯一無二。
音楽事務所である株式会社ハーフトーンミュージック代表取締役会長として、多くのミュージシャンのマネジメントや後進育成もおこなっています。
前山田健一

ももいろクローバーZや私立恵比寿中学などのアイドルグループへの楽曲提供などで知られるのが、ヒャダインこと前山田健一さんです。
2009年に手がけた東方神起の『Share The World』と、倖田來未さんとmisonoさんによるデュエット曲『It’s all Love!』がオリコンシングルチャートで第1位を獲得し、作曲家としての地位を確実なものとしました。
ヒャダインさんは渋谷系の音楽から影響を受けたと公言していて、2012年にはピチカート・ファイヴのボーカルである野宮真貴さんのデビュー30周年記念アルバムにプロデューサーとして参加しているんですよね。