日野皓正(tp)「慈愛LOVE」を語る(前編)
さて今回は、お寺のお堂で僧侶たちの読経とライブレコーディングしてくださった日野皓正さんのご登場です!日野さんがLiveSpot RAGにお越しになった折、「慈愛LOVE」プロデューサーの河上ひかるがおうかがいしましたお話を2回にわたって、お届けします。アルバムの話から、日野さんの生き方にまで話が深まりました。
~「お、これはやりたい。」~
- 河上
- この度は『慈愛 LOVE』に参加していただき、ありがとうございました。まず、どうしてこの話をお受けくださったのか、おうかがい出来ますか?
- 日野
- かねがね“吾唯足ることを知る(吾唯知足)”という禅の言葉を自分のサインに入れたり、日野家の祖先には日蓮さんに付いて佐渡島に渡ったお坊さんもいるわけよ。そんなんでいつも自分の中に、仏教とか宗教とか宇宙教というのかなぁ、コスモス、そういったものが密接にあるんじゃないかなぁと思っててね。それにちょうど自分の心の転機というか、「天と直結してその声が聞けるようにならなくちゃいけない。」と思っていた矢先に来た話だったから、「お、これはやりたい。」と思ったわけ。
- 河上
- 天の声が日野さんに降りてきて・・・
- 日野
- いや、未だに聞こえないけどね。でも、聞こえるようにいつも意識、努力しているんだけど。
- 河上
- 日野さんの『寂光』というアルバムを聴いて、どうしても参加していただきたいと思いました。仏教的なタイトル通りとてもスピリチュアルな作品で、お経と出逢ったら絶対すごい世界に行けると思いました。
- 日野
- そんなことはないけど、全部聴いて思ったの。他の三人の連中がすごく頑張ってるなぁと。俺、もっと期待してなかったの。はっきり言って悪いけど。でも、一人ひとりすごくちゃんとやってるじゃん!いいねぇと思って嬉しかったよ。それぞれにこだわりが全然違う。面白いなぁと思って。
- 河上
- 私としては、その四人四色の個性を一枚のアルバムに収めるということが、実は一番難しかったです。
- 日野
- そんなことないよ。富士山を四方から登るのと一緒だから。
- 河上
- そうですね、頂上は一緒ですね。
- 日野
- うん。同じだもん、だから楽なの。
- 河上
- ん~、やっぱり難しかったです、どうやって曲をつなげるかとか。まだまだ未熟ものですので、、、。でも、気に入っていただけたようで、ホッとしました。
- 日野
- うん、良かったと思うよ、すごく。こんなの普通やらないから、誰も。ね?
- 河上
- 百戦錬磨の日野さんにとっても、お堂でのお経とのライブレコーディングは初めてだったのですね。
- 日野
- やらないでしょ、あんなことはね。だからそういう意味では、あなたはすごいプロデュースしたと思うよ。
- 河上
- すみません、ヘンなことにつきあわせまして。でも私がやったというよりも、何か大きなものに後押しされて、どんどん進行していってるというような感覚が、制作中ずっとありました。ああ、これはなにか時代が必要としているものになのかな~と。
- 日野
- だからあなたがやったんじゃないし、俺がやったんじゃないんだよ。やらざるを得なくてやったんだよ。やらされたんだ。
- 河上
- そう、わたしもそう思いました!それで、ライブレコーディングはいかがでしたか?
- 日野
- なるべく無になって、湧き上がってくるモノを吹きたいと思った。だけどやっぱり人間だなと思うし、そんな風になかなかできないよな、みたいなこともあるし。僕より僧侶達の方がそういうものとずーっと何年も面と向きあっているわけだ。だからその人達に敬意、尊敬を含めながら、宇宙と僧侶の間に立って融合していくしかないわけだ。
「やらざるを得なくてやったんだよ。やらされたんだ。」
「お経」と「即興演奏」との出会いで、突如現れた未知なる世界へ…京の都の不思議な森に、しばし迷い込んでください。
くわしくはこちらからこのアルバムは、いにしえの都 京都を舞台に、千年以上の時を超えて読み継がれてきた「お経」を経糸(たていと)に、読経にインスピレーションを得て現代の感性で紡ぎだされた「音楽」を緯糸(よこいと)に、全身全霊を注いで織り上げた古今音絵巻です。
「お経」の「経」は「経糸」のことで、「不変の真理」を述べたものです。その響きには調和のとれた波動がもたらす、深い癒しの力があります。信仰の有無に関わらず仏教は日本文化や生活に根づいていて、読経を耳にするとき私たち日本人のDNAはなにかしらの刺激を受けます。このお経の響きに日本を代表するアーティストたちが向き合いました。
日野皓正
(ひのてるまさ) (Jazz Trumpeter)
タップダンサー兼トランペッターであった父親より、4歳からタップダンス、9歳からトランペットを学び始め、13歳の頃には米軍キャンプのダンス・バンドで活動を始める。
1964年、白木秀雄クインテットに参加し、1965年ベルリン・ジャズ・フェスティバルに出演し喝采を浴びる。
1967年、初リーダー・アルバム『アローン・アローン・アンド・アローン』をリリース。
1968年、菊地雅章との双頭ユニット日野=菊地クインテットを結成、録音。
1969年、『ハイノロジー』をリリース後、マスコミに“ヒノテル・ブーム”と騒がれるほどの絶大な注目を集める。
1972年、ニューポート・ジャズ・フェスティバル出演。
1975年、N.Y.に渡り居を構え、ジャッキー・マクリーン、ギル・エバンス、ホレス・シルバー、ラリー・コリエルなどと活動を重ねる。
1979年、『シティー・コネクション』、1981年『ダブル・レインボー』、とたて続けに大ヒットアルバムをリリース。
1982年、『ピラミッド』をリリースし、武道館を含む全国ツアーを行う。
1984年、ロサンゼルス・オリンピック・アートフェスティバルに出演。
1989年、ジャズの名門レーベル“ブルー・ノート”と日本人初の契約アーティストとなり、第1弾アルバム『ブルーストラック』は、日本はもとより、アメリカでも大好評を博す。
1990年以降、自身の夢である「アジアを1つに」という願いを込め、アジア各国を渡り歩き、探し集めたミュージシャンと結成した《日野皓正&ASIANJAZZ ALLSTARS》で、1995~96年に北米-アジアツアーを行う。
1995年、日野=菊地クインテットによる『アコースティック・ブギ』《日本ジャズディスク大賞 金賞受賞》をリリースし、Mt.Fuji Jazz Festival他、ブルーノート・ツアーを行う。
1997年、台湾での「第16回国際芸術祭」、シドニーでの「日豪友好100周年記念コンサート」に出演。
2000年、大阪音楽大学短期大学部客員教授就任。
2001年、インド、パキスタンにて公演の他、西インド地震災害チャリティコンサート、そしてカンボジアでも子供たちのためのチャリティコンサートを行う。
アルバムは『D・N・A』をリリースし、レコーディング・メンバーにて全国ツアーを行う。このD・N・Aプロジェクトは芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)受賞。
2004年、紫綬褒章受章。また約20年ぶりに映画音楽を手掛け、〔『透光の樹』主演:秋吉久美子、監督:根岸吉太郎〕サウンド・トラックは文化庁芸術祭レコード部門 優秀賞、毎日映画コンクール 音楽賞受賞。
2007年、盟友 菊地雅章(pf)との、日野=菊地クインテット『カウンターカレント』、デュオ・アルバム『エッジス』を発売。 《『エッジス』日本ジャズディスク大賞 銀賞受賞作品》
最新アルバムはレギュラークインテットによる2008年11月リリースの『寂光』。《ジャズディスク大賞 日本ジャズ賞受賞作品》
ジャズシーンを代表する国際的アーティストとして国内外にて精力的に公演を行うと同時に、近年は個展や画集の出版など絵画の分野でも活躍が著しい。またチャリティー活動や後進の指導にも情熱を注いでいる。