ビートルズのシングルB面は名曲の宝庫!
かつてアナログレコードの時代は、シングル盤は、表のA面と裏のB面とで構成されていました。
A面は、チャート・ナンバーワンを狙う曲。
そしてB面は「裏を空けておくのももったいないので、おまけの意味で別にヒットはしなくてもいいから、とりあえず何か曲を収録しておこう」と、A面とB面にはっきりとした目的の違いがありました。
ですから、過去にヒットしたポピュラーミュージックの大半はA面の曲で、一般の人が好むポピュラーな曲が選曲されました。
それに比べ、B面の曲は、地味な感じの曲が大半を占めていました。
ビートルズのシングル・レコードのA面は、ほとんどが世界中でチャート・ナンバーワンを獲得しています。
ところが、そのB面にもとんでもない名曲がゾロゾロ並んでいるのです。
今回は、これらについてご紹介します。
なお、シングル盤はリリースされた国により違いがありますが、今回は、本国イギリスでリリースされたシングル盤を基準にしています。
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レボルーション(1968年)
こんな傑作がB面などとは贅沢すぎますが、A面がポールの「ヘイ・ジュード」であったとすれば、それもやむをえなかったのかという気がします。
しかしあとから考えれば、時期をずらしてシングルA面としてリリースすればよかったのではないかと思います。
ジョンは、ギターを直接レコーディング・コンソールにつなぎ、チャンネルに過負荷をかけるという乱暴なやり方で強烈なディストーションをかけ、狂ったようなサウンドを出しました。
そんなことをしたらスタジオの機材がダウンしてしまう、とスタッフに反対されるのが分かっていたので、ビートルズは、スタッフの許可を取らず勝手にやってしまいました。
タイトルこそ「革命」と物騒ですが、ジョンは、歌詞で暴力的な革命を否定しています。
この曲がリリースされた当時は、東西冷戦の真っ最中でベトナム戦争も泥沼状態であり、世界全体が不安な時期でした。
ジョンは、ビートルズ解散後もヨーコとともに世界平和を訴え続けていくことになります。
ドント・レット・ミー・ダウン(1969年)
ジョンの作品ですが、A面はこれまたポールの「ゲット・バック」です。
ビートルズが解散直前に、アップル本社の屋上でおこなったゲリラライブであるゲットバックセッションを敢行(かんこう)したときにジョンが演奏した曲の1つです。
ジョンがタイトルをコールするところは、本当に彼が魂から声を振り絞って叫んでいるように聞こえます。
また、ビートルズはめったに外部のミュージシャンをレコーディングに参加させませんでしたが、このときはジョージ・ハリスンがキーボードにビリー・プレストンを迎えました。
彼が弾いたフェンダー・ローズ・エレキピアノも、ジョンの腹に響く重厚なボーカルとは逆の軽快なタッチで、この曲に実によくマッチしていて聴きどころの1つです。
ライタープロフィール
ビートルズの熱狂的ファン
和田晋司
大阪府出身 ビートルズのファン歴ウン十年。
色んなものに手を出しましたが、唯一続いている趣味がこれです。
ビートルズの語り部として彼らの偉大さを後世に伝えていきたいと思っています。
ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ