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高浜虚子 の検索結果(1〜10)
明らみて 一方暗し 梅雨の空高浜虚子
高浜虚子は明治から昭和にかけて活躍した愛媛県の俳人で、同郷の正岡子規の弟子となって俳句を学びました。
自分で見た風景の描写を得意とし、自然を題材とした作品を多く残しています。
この句は明け方になり、空が明るくなってきたが、梅一方ではどんよりとした梅雨空が広がっている、という風景を描写した作品であり、皆さんも容易にその状況が想像できるかとおもいます。
良いことの兆しが見えたようでも、見方を変えると暗い部分もある、という例えにも使われるそうですよ。
遠山に 日の当たりたる 枯野かな高浜虚子
1874年生まれの高浜虚子が1900年に詠んだ句がこちらです。
彼は正岡子規の生徒でもありました。
広がる枯野の向こう、遠くの山に日があたっている光景をただ詠んでいるように見え、それも美しい景色ではありますが、日が当たった山と枯野の対比や、遠山が理想や希望、目標を指しているとしたら、それに至るまでの枯野を歩いている自分たち、などいろいろな想像がかきたてられる俳句ですね。
またその場に自分がたたずんでいるという臨場感も感じられます。
うつくしき 羽子板市や 買はで過ぐ高浜虚子
この句は、高浜虚子が晩秋から初冬、12月の年の瀬の風物詩を感じながら詠んだ俳句です。
「羽子板市」とは、正月に向けて羽子板を売る市のことで、色とりどりの華やかな羽子板が並びます。
「うつくしき」と感じながらも、「買はで過ぐ」とあるように、今回は手に取るだけで買わずに通り過ぎる様子を描いています。
虚子は、華やかさや楽しさを眺めつつ、あえて自分は参加せず、季節の移ろいを静かに味わう気持ちを込めたのでしょう。
12月の街角で、年の暮れの準備をそっと感じさせる、穏やかで優しい気持ちになれる一句です。
去年今年 貫く棒の 如きもの高浜虚子
「去年今年」は「こぞことし」と読み、この俳句のおかげで俳句の世界ではすっかり有名な季語となりました。
でも、実際俳句を詠むときにはなかなか使えない言葉なのです。
「年が明けて新年になっても自分という意思は変わらぬままだ」という強い決意を詠んでいると解釈されることもあります。
この句の解釈は読者によっていろいろあることでしょう。
でも「本当の名句とはそのようなたくさんの解釈を許してくれる句のこと」という俳人もいます。
みなさんはこの俳句をどのように読みましたか?
遠足の おくれて走りて つながりし高浜虚子
「遠足」を題材にした一句です。
遠足の列に遅れてしまった子が、急いで走ってみんなとつながった瞬間をえがいています。
「おくれて走りて」という言葉からは、焦りながらも一生懸命追いつこうとする気持ちが伝わります。
「つながりし」で、仲間と一緒になれた安心感や喜びも感じられます。
学校生活や友達との関わりの中で生まれる小さなドラマを、短い言葉で表現しています。
中学生が俳句を作るとき、身近な出来事や季節の中の感情を観察する参考になる一句です。
夢のつづき浜田省吾

アルバム「Journey of a Songwriter ~旅するソングライター」に収録されている曲。
2015年公開された高校野球映画の主題歌として使用されました。
成長した息子と娘を見つめる父親の心情を歌ったポップミュージックです。
薄氷の 草を離るゝ 汀かな高浜虚子
薄く張った氷が溶けて、水辺に生えている草が見えるようになるという情景をつづった俳句ですね。
薄氷というのは、冬に見られる分厚い氷ではなく、春先に見られる薄く張った氷のことです。
子供のころ、日差しですぐに溶けてしまうような薄氷を割って遊んだ記憶があるのではないでしょうか?
薄氷は昔冬の季語でしたが、明治時代以降から春の季語として使われるようになりました。
はかなく繊細な印象を受けるとともに、あたたかでやわらかい気配を感じられる一句です。

