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【唯一無二のピアノマン】ビリー・ジョエルのクイズ形式で楽しむ雑学

【唯一無二のピアノマン】ビリー・ジョエルのクイズ形式で楽しむ雑学
最終更新:

ピアノマンとして唯一無二の魅力を放つビリー・ジョエルさん。

1970年代から活躍、『My Life』や『素顔のままで』『Honesty』などの名曲を届けており、きっと彼のことをよく知らなくても何かしらの楽曲は耳にしたことがある方も多いことでしょう。

2024年1月には、待望の来日公演も大盛況となり日本でも愛され続けています。

この記事では、そんなビリーさんにまつわる内容をクイズ形式で紹介していきますね。

真っすぐなポップセンスで人々をひきつけるビリーさんのことを楽しく知っていきましょう!

【唯一無二のピアノマン】ビリー・ジョエルのクイズ形式で楽しむ雑学

ビリー・ジョエルさんの身長は?

ビリー・ジョエルさんの身長は?
  1. 166cm
  2. 176cm
  3. 181cm
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166cm

スマートだったり近年は立派な体格のイメージがあるので知らないと意外に思えるかもしれません。

ご自身で身長について冗談を言うこともあるそうです。

2024年1月に、16年ぶりの来日公演で大盛況となったライブの会場はどこでしょう?

2024年1月に、16年ぶりの来日公演で大盛況となったライブの会場はどこでしょう?
  1. 日本武道館
  2. 国立競技場
  3. 東京ドーム
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東京ドーム

東京ドームでおこなわれました。

待望の来日公演となり待ちに待った方が多いことでしょう!

世代の方だけでなく若い方も集まって盛り上がった一夜。

現役のプレーヤー、エンターテイナーぶりでたくさんの感動を与えてくれました。

また来日してほしいですね。

ジャズシンガーらに多くカバーされている名曲は?

ジャズシンガーらに多くカバーされている名曲は?
  1. New York State of Mind(ニューヨークの想い)
  2. We Didn\’t Start the Fire(ハートにファイア)
  3. Just the Way You Are(素顔のままで)
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New York State of Mind(ニューヨークの想い)

一時期暮らしていたロサンゼルスを離れ、ニューヨークに戻る際に書かれた楽曲。

シングルカットはされていませんが、ライブでよく披露されていることやさまざまなアーティストのカバーにより人気を確立しました。

女性シンガーによるカバーが多く、日本では綾戸智絵さんやJUJUさんらにカバーされています。

1976年のアルバム『Turnstiles』に収録。

優しいメロディーに癒やされますね。

ビリーさんが日本で注目されるきっかけとなった曲は?

ビリーさんが日本で注目されるきっかけとなった曲は?
  1. Just the Way You Are(素顔のままで)
  2. My Life(マイ・ライフ)
  3. The Stranger(ストレンジャー)
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The Stranger(ストレンジャー)

SONYのステレオラジカセ「ZILBA-P」シリーズのCMに起用されたことから話題に。

当時としては異例の洋楽で50万枚を超える大ヒット、年間チャートでも24位となりました。

1978年5月に日本独自のシングルとしてリリースされたことからもその特別さや愛着が湧いてきますよね。

哀愁が漂うイントロからの風吹くままのようなメロディーが印象深いです。

ビリーさんの代名詞で異名にもなっている楽曲は?

ビリーさんの代名詞で異名にもなっている楽曲は?
  1. Piano Man(ピアノ・マン)
  2. Honesty(オネスティ)
  3. Uptown Girl(アップタウン・ガール)
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Piano Man(ピアノ・マン)

『Piano Man』のヒットやキャッシュ・ボックス誌での新人賞の獲得などにより、このニックネームで親しまれるようになりました。

『Piano Man』は、1973年11月2日に最初のシングルとしてリリースされています。

やっぱり第一印象のインパクトって強いですね。

ビリーさんの初来日公演は、あるアーティストと同じ日&会場でした。そのアーティストとは?

ビリーさんの初来日公演は、あるアーティストと同じ日&会場でした。そのアーティストとは?
  1. スパイダーズ
  2. スコーピオンズ
  3. カーズ
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スコーピオンズ

ドイツのハードロックバンド、スコーピオンズでした。

もともと抑えていた中野サンプラザホールとビリーさんの希望日程が重なっていたことから、同じ日である4月23日の昼間に公演する案が出てきたそうです。

 今でこそ同じアーティストの2部制はわりと見られますが、違うアーティストでの同日同会場というのは当時であれば相当珍しいことだったのではないでしょうか。