好きな言葉を身近に。心に寄り添う短い名言集
言葉には不思議な力がありますよね。
日々の暮らしの中で、ふと目にした言葉が心に響いたり、大切な人から贈られた言葉が生きる支えになったりした経験はありませんか?
そんな「好きな言葉」を身近に置いておくと、心が疲れたときやモヤモヤしたときに、そっと背中を押してくれるものです。
そこで今回の記事では、短い言葉だからこそ心に染み入る名言をご紹介します。
あなたの心に寄り添う、お気に入りの一言が見つかるかもしれませんよ。
- 心に刺さる面白い一言!短い言葉なのに深い意味が込められた至言集
- 心に響く短い名言。すっと心に届く言葉
- 【心に響く】いつでも頑張れる名言!熱い言葉が背中を押す
- 心に響く短い応援言葉!明日への一歩を後押しする勇気の名言
- たった一言でも心を救ってくれる!ポジティブになれる幸せな言葉
- 座右の銘も見つかるかもしれない?心に残る短い言葉
- 一言で癒やされる…。ネガティブな気持ちを吹き飛ばし笑顔になる言葉
- 心に一瞬で届く短い名言。今すぐあなたを励ます言葉
- 知っていればきっと生きる指針になる!心に刻んでおきたい大切な言葉
- 疲れた心に効く処方箋!支えになってくれる安心する言葉とは
- 1日1日を大切に!心に響く至極の名言で人生が輝く
- 【人生のひとこと名言】そっと背中を押してくれる言葉を厳選
- 仕事で迷った時に思い出してほしい!心に刺さる短い名言と格言
好きな言葉を身近に。心に寄り添う短い名言集(21〜30)
人生に偶然はない。人のせい、運のせいにして逃げたりせず、少しずつでも力を蓄えていこう三浦知良
人生の中で直面する困難は偶然や運ではないということ、常に備えておくのが大切だということを伝える、三浦知良さんの言葉です。
誰もが困難に直面する運命を持っていることを自覚し、それに向けて力を蓄えておけば、どんな困難も乗りこえられるのだという思いが語られていますね。
運や誰かのせいにすることは、さらに先の力につながらないものなので、しっかりと受け止めて歩んでいくことが大切だというメッセージも表現されています。
どんな状況でも自分を持って、力強く進んでいこうという決意も見えてくる言葉ですよね。
泥土の下には盤石あり、雲霧の上には太陽あり。不平の極には又幸と望なきに非らず。内村鑑三
内村鑑三さんの「泥土の下には盤石あり、雲霧の上には太陽あり。
不平の極には又幸と望なきに非らず。」という名言をご紹介します。
内村鑑三さんは明治時代に活躍した、キリスト教思想家です。
災害に遭遇したときは大変なことも多いですよね。
そういったときに、思い出してほしい名言も内村鑑三さんは残していますよ。
今はつらく困難なときでも、その先には必ず安定した明るい未来が待っているという意味があるそうです。
困難な状況は泥土とたとえており、盤石はその大変な問題の下にある私たちの強さを表しているようですね。
さらに、不平不満を感じたり言っているときも、幸せや希望はあると伝えています。
生きていると、さまざまなことがありますよね。
ですが、前向きな気持ちを持つことの大切さも感じますね。
自然は公平で冷酷な敵である。社会は不正で人情のある敵である。夏目漱石
夏目漱石さんの言葉「自然は公平で冷酷な敵である。
社会は不正で人情のある敵である。」という名言をご紹介します。
夏目漱石さんは、日本の小説家であり英文学者です。
代表作には『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四郎』『それから』『こゝろ』『明暗』などがあげられます。
そんな夏目漱石さんが発した「自然は公平で冷酷な敵である。
社会は不正で人情のある敵である。」という言葉は『思い出す事など』の作中で登場する一文なのだそう。
自然を甘く見ずに天災に備えようと思える名言ですよね。
天災は忘れた頃にやってくる寺田寅彦
寺田寅彦さんが発した大切な言葉「天災は忘れた頃にやってくる」という名言をご紹介します。
寺田寅彦さんは、日本の物理学者であり随筆家、俳人です。
研究者として火災や地震などの災害に関心を持っていたそうですが、1923年の関東大震災発生後は、これまで以上により深い関心を示すようになったといわれています。
毎日が平和に何事もなく過ぎていくのは当たり前ではないということを、改めて感じさせてくれる名言ですよね。
心に刻んでおきたい言葉のひとつです。
地震は何度でもやってくる。大きな被害を出さないため、公園と道路をつくる。後藤新平
後藤新平さんが残した「地震は何度でもやってくる。
大きな被害を出さないため、公園と道路をつくる。」という名言をご紹介します。
この名言からは、人の命を守る信念も感じます。
後藤新平さんは、1923年におきた関東大震災の復興に力を注ぎ、現在の東京を災害に強い街にしました。
関東大震災直後に内務大臣となり、大きな被害を受けた東京を復興させるための復興大臣になります。
名言とともに、復興策を考えましたが、当時は周囲から批判を浴びたそうです。
実行するには巨額の費用が必要なこと、地震により焼野原となった土地を買い取ることが地主から反対されたそうです。
予算も減らされてしまいましたが、災害に強い街作りのために後藤新平さんは力を注ぎました。
そのかいあって、当時よりも震災に強い街、東京となったそうですよ。


