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昭和レトロ の検索結果(81〜90)
昭和42年に日本で始めて「動く歩道」が設置されたのはどこでしょうか?
今も梅田にある動く歩道「ムービングウォーク」は昭和42年、1967年に設置されました。
設置された理由として、駅設備移転にともなう他鉄道との乗り換え不便解消だそうです。
その3年後に大阪万博が開催されて有名な存在に。
今現在でも日本で一番大きな動く歩道として知られています。
国会議事堂 十円券
表面に描かれた見た目がかっこいい!
国会議事堂十円券をご紹介します。
国会議事堂といえば、日本の立法機関である国会が開催される建物ですよね。
旅行や観光で実際に建物を見に行ったという方も多いのでは。
国会議事堂十円券は昭和21年にあたる1946年の2月25日に発行され、昭和30年にあたる1955年の4月1日に支払停止されました。
国会議事堂の他にも数字で「10」と表記があり、デザインも凝っているように感じますよね。
記憶にある方や自宅にコレクションしている方もいるのでは。
日産 シーマ
昭和生まれのおじさん世代にはなじみが深い憧れの名車、日産「シーマ」は、1988年に初代モデルが登場しました。
1980年代後半は空前のバブル景気で、“高価なモノが売れる”時代を象徴するこの車も高価格ながら1年間で36,000台以上が売れ、「シーマ現象」という言葉が生まれています。
3ナンバーサイズの大型ボディと圧倒的な動力性能、そして当時の最先端のハイテク装備で、国産ハイソカーを代表する一台となりました。
女優の伊藤かずえさんが30年以上愛用している愛車としても知られていますね。
紙芝居

紙芝居は昭和の子供たちにとって身近な楽しみの一つでした。
自転車に紙芝居の舞台を積んだ語り手が街角や空き地にやってきて、木の枠の中に入れた絵を1枚ずつ引き抜きながら物語を語ります。
語り手の声色や効果音によって物語の臨場感が高まり、子供たちは次の場面がどうなるのかと胸を躍らせます。
物語の途中で駄菓子を売ることもあり、お気に入りのお菓子を手にしながら続きを楽しんだものです。
人々が自然に集まり、同じ物語を共有する時間は特別なものでした。
街角で物語と人の温かさが広がる昭和らしい娯楽です
日本武道の聖地と呼ばれる武道館で最初にロックコンサートを行ったバンドは?
日本武道館は武道の大会が行われる場所でありつつも、音楽のイベントも多く開催されていますよね。
そんな音楽家に日本武道館が愛されるようになったきっかけでもある、最初にロックコンサートをおこなったバンドといえば誰でしょうか。
ヒントは海外のアーティスト、来日が日本の歴史として語られるほどの大きなニュースになったバンドといえば、答えに気付ける人も多いかもしれませんね。
答えはビートルズ、来日のシーンとともに、歴史の1ページとして語り継がれていますよね。
昭和レトロ の検索結果(91〜100)
幸福の黄色いハンカチ

「幸福の黄色いハンカチ」は、再出発を描く感動のロードムービー。
刑期を終えた男・島勇作(高倉健)が、若い男女と共に旅をする中で、過去の罪・愛・希望と向き合っていく物語。
人間の温かさと再生の物語です。
派手なドラマではなく、出会いや会話を通じて、人を信じる気持ち・やり直す勇気を静かに描きます。
ラストの“黄色いハンカチがはためく”シーンは、赦しと希望の象徴として日本映画史に残る名場面。
北海道の広大な景色、古い車、素朴な人々など、昭和の日本の温もりと哀愁が漂います。
1970年大阪万博

2025年に開催された「大阪万博」。
実は二度目の開催で、初めて大阪万博が開催されたのは、1970年でした。
その象徴として、岡本太郎さんがデザインされた「太陽の塔」が知られていますよね。
ちなみに2025年の大阪万博では、公式キャラクターの「ミャクミャク」、「リング」と呼ばれる大屋根が有名です。
1970年の万博で注目を集めたのはやはり、アメリカがアポロ計画で入手した月の石でしょう。
当時見に行った方も多いのではないでしょうか?
また、人とゾウが綱引きで力比べをするという、今では考えられないイベントも開かれていたそうですよ。
映画

昭和の日本では、全国各地の町に小さくても映画館がありました。
現在はショッピングモールや商業施設に入っていたり、駅の近くといったところに映画館があるかと思います。
入れ替え制ではないので、続けて映画を見てもいいですし、一日を映画館で過ごす人もいたそうですよ。
また、二本立てのところが多かったそうです。
予約席はなかったため、人気のある映画は日曜日や祝日には、立ち見をして見ていました。
現在の映画を見に行くといったことと、だいぶ様子は違ったようです。
高齢者の方も映画がお好きな方もいらっしゃるかと思います。
当時好きだった映画を聞いてみてはいかがでしょうか?
みゆき族

「みゆき族」は、1964年の夏、銀座のみゆき通り周辺に集まった若者たちのファッションスタイルです。
彼らは、アメリカの大学生のスタイルである「アイビールック」を独自に解釈して取り入れ、ボタンダウンシャツに細身のコットンパンツ、足元はローファーというスタイルが主流でした。
東京オリンピック直前の町浄化作戦で秋には姿を消してしまいますが、日本のストリートファッションの先駆けとされています。
みゆき族といえば「VAN」の紙袋を二つ折りにし、脇にはさんで持ち歩いていましたね。
ファミリーコンピュータ

昭和58年に任天堂から発売されたファミリーコンピューター。
通称ファミコンは、白い本体に赤のコントローラーの付いたゲーム機です。
ゲーム機の認知度や普及率が現在よりも低かった当時販売当初、6000万台の売り上げを記録し大ヒットしました。
ゲーム機は一人で遊ぶものといった考えが主流だった時代に、ファミコンは複数人で遊べることも人気がでた理由の一つだそうです。
さまざまなファミコン用のソフトも販売され、中には社会現象になった作品も。
ファミコンは日本のゲームの発展に大きな影響を与えました。
2003年に生産は終了していますが、今でも伝説のゲーム機ですね。
昭和20年代、女性の人気職業だったのはエレベーターガール、デパートガール、もう一つは何ガール?
バスガール、今では聞き慣れない言葉でバスガイドのこと?
と思いますがガイドさんではなく、女性の車掌さんのこと。
当時はとても人気の職業で昭和32年には『東京のバスガール』という曲がヒットしました。
さらに女性の間でも、バスガールは人気がある職業だったそうです。
サンリオの平成レトロ
@yokopii 平成を思い出す、胸キュンメモリーズのPOPUP可愛すぎた。✊🏻💖 #サンリオ#胸キュンメモリーズ#POPUP#平成レトロ#平成ギャル#ウサハナ#コロコロクリリン#ハローキティ#イベント#大阪#心斎橋parco#y2k#sanriocore#japan
♬ オリジナル楽曲 – いそろく – いそろく
「えっ?
サンリオにそんな時代感あるの?」と不思議に思う方もいるでしょうね。
キティちゃんはずっと流行しているので、そんな意味でははやりすたりもなさそうなのですが。
実は平成生まれのキャラクターもたくさんいて、あのシナモンロールやウサハナも平成生まれなんです。
キャラだけでなくグッズにまで気持ちを広げれば平成レトロな雰囲気は底知れず。
「サンリオぎゃるりーぬ平成フリルゴム2Pセット」などはいまだネットで取引されている人気アイテムなのです!
もっと知りたい方は身の回りに入るサンリオフリークに聞いてみてくださいね。
おもしろい平成話も聞けるかも。
野外で派手な衣装を着てディスコサウンドに合わせ「ステップダンス」を踊ることが1980年代後半に流行りました。このような人たちを何族と呼んだのでしょうか?
平成以降、たくさんのダンスボーカルグループが誕生していますが、それよりも前に、大きなダンス集団がいたんですね!
東京の代々木公園の近くや吉祥寺、池袋、そして名古屋でもその姿が見られたそうですが、一体なんという名前の方々が活動されていたのでしょうか。
ある野菜と同じ名前というのが、ヒントです。
その答えは、竹の子族!
竹の子族と呼ばれた方の中にはたくさんのグループが存在し、中にはスカウトされ芸能界デビューを果たした人もいたそうです。
昭和40年代に「新たな三種の神器」となった3Cとはカラーテレビ、クーラー、もうひとつは何でしょうか?
答えは自動車、英語ではCarのCでした。
それまでのテレビは白黒が一般的でしたが昭和39年の東京オリンピックの開催に合わせてカラーテレビが一気に普及、次いで自家用車が、最後にクーラーが各家庭に普及しました。
ちなみに昭和30年ごろの三種の神機は、電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビだったそうです。
いすゞ ベレット

いすゞ「ベレット」は1963年から1973年まで販売された小型乗用車で、卵の殻をモチーフにした丸みを帯びたコンパクトなボディが特徴です。
1964年にはスポーツモデルの2ドアクーペ「ベレット1600GT」が登場。
通称「ベレG」と呼ばれたこの車は、日本で初めて”GT”を名乗ったモデルとして知られています。
GTの名にふさわしく強力なエンジンを搭載した「ベレG」は、モータースポーツでも活躍、スカイラインが登場するまではサーキットを席巻していたそうですね。

