【懐かしの昭和ファッション】懐かしくも新鮮な流行の移り変わり
昭和のファッションには、時代を映し出す鏡のような魅力が詰まっています。
ミニスカートに憧れた60年代、ボディコンで踊った80年代など、一瞬一瞬が輝かしい記憶として心に刻まれています。
当時を知る世代には懐かしく、若い世代には新鮮な驚きとなる昭和ファッションの変遷を、写真や映像とともにお届けします。
まるでタイムマシンに乗って、ファッションの歴史を巡る旅に出かけましょう。
【懐かしの昭和ファッション】懐かしくも新鮮な流行の移り変わり(1〜10)
ニュー・ルックNEW!
1947年、戦後にクリスチャンディオールが発表した新しい女性のスタイルのことです。
戦争が終わり、ミリタリー調の洋服とは打って変わって女性的な体のラインを強調したエレガントな服が多く、バザール誌の編集長カーメル・スノウさんがそのスタイルの名付け親だそうです。
当時の人気女優、オードリー・ヘップバーンさんはこのスタイルを取り入れ広めた女優としても有名です。
彼女が映画ではいたパンツはサブリナパンツと呼ばれ大流行しました。
パンタロンNEW!
アメリカのヒッピー文化の代表的なファッションスタイルのベルボトム。
日本では、ベルボトムのことをパンタロンと言い、1960年代後半からヒッピー文化と一緒に爆発的な人気となったそうです。
パンタロンという言葉の発祥先は、フランスで長ズボン全体をさす言葉でした。
日本では膝から裾にかけて広がったシルエットのパンツのことを指しますよ。
また、ラッパズボンと言う方もいたようです。
当時の芸能人も、パンタロンをはいていた方も多く、山本リンダさんもパンタロンのイメージがありますね。
ちなみに、一部ではファッションがお好きだった越路吹雪さんが、日本でパンタロンをはやらせたとも言われているそうですよ。
太陽族NEW!
太陽族は1950年代半ばに流行しました。
男性は慎太郎刈りと言って作家の石原慎太郎さんの髪形をマネして自由でワイルドな髪形はとても人気がありました。
アロハシャツや当時では下着の代わりに着ることが多かったTシャツをアウターとして着ることが太陽族の中では流行していました。
サングラスやスリッポンなどもワイルドな雰囲気が高まり太陽族の中で流行していました。
また、女性も男性ほどではありませんがAラインのスカートやフラットシューズ、サンダルなどがはやっていました。
太陽族は戦後の日本の若者を象徴する役割がありました。
アイビー・ルックNEW!

メンズのファッションスタイルではよく聞くアイビールック。
アイビールックは、1950年代にアメリカで誕生したファッションです。
アメリカの名門大学のスタイルである、アイビーリーグが由来とされています。
1960年代には日本でアイビールックが大流行しました。
ネイビーのブレザーやボタンダウンシャツやコットンパンツなど、シンプルでありながらも細部にこだわったスタイルとなっています。
現在でも、王道のスタイルやアイテムとして服装の基本になっていますよ。
トンボめがねNEW!

サイケやヒッピーが流行した1960年代、丸い大きなレンズのサングラスが流行しました。
また小顔効果があると、特に女性に好まれました。
顔の半分が隠れてしまうほどのめがねがトンボの目に似ていることが名前の由来だそうです。
1970年代には日本の歌謡界席巻をした沖縄の兄弟グループ「フィンガー5」のボーカル、アキラさんがこのサングラスをかけていたので一気にブームとなりました。
みんなトンボめがね姿にハイトーンボイスで歌っていましたね。
ヒッピーNEW!

1970年代の日本では、ヒッピースタイルが大流行しました。
ヒッピースタイルには、長い丈と広がったすそが特徴のワンピースや、腰回りはピッタリとしつつ、すそに向かって広がるシルエットのベルボトムパンツなどのアイテムがあります。
体を締め付けないゆったりとしたシルエットで、カラフルなデザインが特徴的ですよ。
ヒッピーが生まれた背景には当時の戦争や抗議運動といった社会の中で、平和や自然への調和や個人の自由といった、新しい価値を提唱したことがあげられます。
この思想がファッションにも大きな影響を与えました。
ベルボトムNEW!

1960年代後半、ヒッピーの代表的なファッションが花柄シャツにベルボトムでした。
ひざから裾にかけて大きく広がった形が特徴です。
その後パリのファッションデザイナーたちがベルボトム形のパンツを「パンタロン」として発表し、女性のファッションに新しい流行が生まれました。
日本では「パンタロン」「ラッパズボン」と呼ばれていたのでおなじみの方も多いでしょう。
1990年代に古着ブームでパンタロンが再流行しましたが、今では「パンタロン」は死語だそうですね。