【懐かしの昭和ファッション】懐かしくも新鮮な流行の移り変わり
昭和のファッションには、時代を映し出す鏡のような魅力が詰まっています。
ミニスカートに憧れた60年代、ボディコンで踊った80年代など、一瞬一瞬が輝かしい記憶として心に刻まれています。
当時を知る世代には懐かしく、若い世代には新鮮な驚きとなる昭和ファッションの変遷を、写真や映像とともにお届けします。
まるでタイムマシンに乗って、ファッションの歴史を巡る旅に出かけましょう。
【懐かしの昭和ファッション】懐かしくも新鮮な流行の移り変わり(1〜10)
ホットパンツ

股下が極端に短いショートパンツのことで、1970年代初めに世界的に大流行、日本では1971年の夏に若い女性の間でホットパンツをはくことが流行のファッションとなりました。
ホットパンツの「ホット」の由来は、1971年のパリ・コレで発表された際にファッション誌が「男性の視線が熱く(ホット)なった」という説がありますが真偽のほどはいかに。
1960年代後半はミニスカートが大流行していたので、ホットパンツも若い女性たちを中心に流行すべくして流行したのでしょうね。
竹の子族

竹の子族のファッションは原色系の派手な衣装、色とりどりのはちまきにサングラス、派手なメイク、学校の上履きをはいているのがが特徴です。
1980年代前半、原宿の歩行者天国ではラジカセで音楽を流しながらステップダンスを踊る姿が人気でした。
竹の子族の名前は原宿にあったブティック「竹の子」が由来で、そこで販売していた衣装を着て踊る若者たちを「竹の子族」と呼ぶようになったそうです。
芸能人で竹の子族出身といえば、沖田浩之さんが有名ですね。
ニュー・ルック
1947年、戦後にクリスチャンディオールが発表した新しい女性のスタイルのことです。
戦争が終わり、ミリタリー調の洋服とは打って変わって女性的な体のラインを強調したエレガントな服が多く、バザール誌の編集長カーメル・スノウさんがそのスタイルの名付け親だそうです。
当時の人気女優、オードリー・ヘップバーンさんはこのスタイルを取り入れ広めた女優としても有名です。
彼女が映画ではいたパンツはサブリナパンツと呼ばれ大流行しました。
パンタロン
アメリカのヒッピー文化の代表的なファッションスタイルのベルボトム。
日本では、ベルボトムのことをパンタロンと言い、1960年代後半からヒッピー文化と一緒に爆発的な人気となったそうです。
パンタロンという言葉の発祥先は、フランスで長ズボン全体をさす言葉でした。
日本では膝から裾にかけて広がったシルエットのパンツのことを指しますよ。
また、ラッパズボンと言う方もいたようです。
当時の芸能人も、パンタロンをはいていた方も多く、山本リンダさんもパンタロンのイメージがありますね。
ちなみに、一部ではファッションがお好きだった越路吹雪さんが、日本でパンタロンをはやらせたとも言われているそうですよ。
太陽族
太陽族は1950年代半ばに流行しました。
男性は慎太郎刈りと言って作家の石原慎太郎さんの髪形をマネして自由でワイルドな髪形はとても人気がありました。
アロハシャツや当時では下着の代わりに着ることが多かったTシャツをアウターとして着ることが太陽族の中では流行していました。
サングラスやスリッポンなどもワイルドな雰囲気が高まり太陽族の中で流行していました。
また、女性も男性ほどではありませんがAラインのスカートやフラットシューズ、サンダルなどがはやっていました。
太陽族は戦後の日本の若者を象徴する役割がありました。
アイビー・ルック

メンズのファッションスタイルではよく聞くアイビールック。
アイビールックは、1950年代にアメリカで誕生したファッションです。
アメリカの名門大学のスタイルである、アイビーリーグが由来とされています。
1960年代には日本でアイビールックが大流行しました。
ネイビーのブレザーやボタンダウンシャツやコットンパンツなど、シンプルでありながらも細部にこだわったスタイルとなっています。
現在でも、王道のスタイルやアイテムとして服装の基本になっていますよ。
トンボめがね

サイケやヒッピーが流行した1960年代、丸い大きなレンズのサングラスが流行しました。
また小顔効果があると、特に女性に好まれました。
顔の半分が隠れてしまうほどのめがねがトンボの目に似ていることが名前の由来だそうです。
1970年代には日本の歌謡界席巻をした沖縄の兄弟グループ「フィンガー5」のボーカル、アキラさんがこのサングラスをかけていたので一気にブームとなりました。
みんなトンボめがね姿にハイトーンボイスで歌っていましたね。