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昭和レトログ の検索結果(71〜80)
野球盤

現在も人気があるゲームの野球盤。
昭和33年に初代野球盤が登場したときは、月産2000台の大ヒット商品になったそうです。
自宅にて野球盤で遊んだことがある方も多いのではないでしょうか?
販売するときの時代背景も取り入れて、消える魔球やスラッガーや3Dエースなど、さまざまな新機能を野球盤に搭載してきました。
ちなみに、消える魔球は、漫画『巨人の星』で、ホームベース上でボールが消える、大リーグボール2号をヒントに開発されたそうですよ。
昭和20年に宝くじが初めて発売されました。ハズレくじ4枚と当時はあるものが交換できました。あるものとは何でしょうか?
宝くじが初めて販売されたのは、終戦直前の昭和20年7月。
販売価格は1枚10円、1等は10万円だったそうです。
当時はハズレくじ4枚とあるものが交換できるシステムでしたが、そのあるものはなんとキンシと呼ばれていた「タバコ」10本だったんです!
お酒ならまだしも、賞品や景品にタバコがついてくるくじなんて、現代では想像もつきませんよね。
おぼえていらっしゃる方にとっては、時代の変化を感じる懐かしいエピソードとなることでしょう。
聖徳太子 百円券
硬貨ではない百円!
聖徳太子百円券をご紹介します。
聖徳太子は、さまざまな価格の紙幣に印刷されていますが、百円券のモチーフとして登場していたこともあります。
発行は昭和21年にあたる1946年の2月25日であり、昭和31年にあたる1956年の6月5日に支払停止されています。
約10年の間、市民の生活に必要な百円券として使用されていたのですね。
裏面には世界文化遺産である法隆寺が描かれているようです。
自宅に眠っている百円券があるかもしれませんね。
昭和40年代に「新たな三種の神器」となった3Cとはカラーテレビ、クーラー、もうひとつは何でしょうか?
答えは自動車、英語ではCarのCでした。
それまでのテレビは白黒が一般的でしたが昭和39年の東京オリンピックの開催に合わせてカラーテレビが一気に普及、次いで自家用車が、最後にクーラーが各家庭に普及しました。
ちなみに昭和30年ごろの三種の神機は、電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビだったそうです。
スーパーボール

アメリカで昭和40年に開発されたスーパーボールは、翌年日本でも発売され大ブームとなりました。
スーパーボールは、とても弾むボールなことが人気の理由だったようです。
現在でも色とりどりのスーパーボールを、お店や遊ぶ道具として見かけることもあるかと思います。
スーパーボールといえば、スーパーボールすくいを連想する方もいるのではないでしょうか?
金魚すくいの要領でスーパーボールをすくう姿は、お祭りや縁日などの出店でよく見かける光景ですね。
カフェ

昭和の街には、人々が気軽に立ち寄ってくつろげるカフェが数多くありました。
香ばしいコーヒーの香りが漂う店内には木製のテーブルや椅子が並び、新聞や雑誌を読みながらゆったりと過ごす人の姿が浮かぶでしょう。
友人との待ち合わせや仕事の合間の休憩、または1人で静かな時間を楽しむ場所としても利用。
店ごとに雰囲気が異なり、常連客が集まって会話を楽しむ光景もイメージできます。
店内に流れる音楽や落ち着いた空気の中で過ごす時間は、日常の中の小さな楽しみとして多くの人に親しまれていました。
ゆったりした時間を楽しめる昭和の温かな娯楽です。
ガラケー
フィーチャーフォンやスマートフォンの登場により、それまで使っていた普通の携帯電話に時代から取り残された感が漂いました。
それが遺伝学的に取り残された島、ガラパゴス諸島と相まって「ガラパゴスケータイ」という言葉が誕生したのです。
いわゆるガラケーですね。
パカパカと折りたたんで使った機種が多いことから「パカパカ」と呼ばれることも。
熱狂的な愛用者がいて今でもたまに新機種が発売されているんですよ。
でも、そんなガラケーという呼び名ももはや死語となっているのかな?
昭和の子供たちのお使いで定番だったあるものとは何でしょうか?
現在は、年齢確認ができないとタバコは購入できませんよね。
ですが、昭和時代は子供でもタバコが購入できました。
親から頼まれて、お金を握りしめて近所のタバコ屋さんに行く光景が見られたそうですよ。
タバコを吸う場所も、現在よりも緩い規制でした。
職員室で先生がタバコを吸いながら生徒と話すこともあったそうです。
スリンキー

スリンキーは昭和20年にアメリカで誕生したバネ状のおもちゃです。
日本では昭和35年に金属をばね状にしたものをトムボーイという名前にし、販売して大ヒットしました。
その後プラスチック製のものや、商品名を変えて各メーカーから販売されたそうですよ。
スリンキーを腕にはめたり、机に置いてペンなどを入れて置いてもいいですね。
ですがスリンキーで楽しめるのは、なんといっても階段を勝手に下りることなのではないでしょうか?
芋虫のようなユニークな動きにも、当時は大変人気があったそうです。
最近では100均のお店のおもちゃコーナーで販売もされています。
商品の進化もあり、バネの色が虹色のものや、暗闇で光るタイプ、バネの形が星形やハート形などさまざまな商品が発売されているそうですよ。
1969年の東京

1960年の東京は、変化と活気に満ちあふれた姿で映し出されています。
赤坂見附では立体交差の高速道路が存在感を放ち、車が次々と走り抜ける様子に時代の勢いを感じます。
銀座四丁目の交差点には、大型の看板が立ち並び、洗練された都市の表情が印象的。
日本橋周辺では歴史ある街並みと高層ビルが混在し、東京の成長の軌跡がそのまま見えるようです。
武道館ではモーターショーが開かれ、最新の車がずらりと並んだ会場に人々の熱気があふれています。
浜松町駅から出るモノレールも近未来的な雰囲気で、羽田に向かう動きが東京らしいスピード感を演出。
どの場面にも、昭和後期の東京が持つ独特の魅力が集まっています。
昭和レトログ の検索結果(81〜90)
SWIMMERスイマー
平成時代に大人気だったかわいい雑貨ブランド「SWIMMERスイマー」。
カラフルでポップなデザインが特徴で、文房具やアクセサリー、小物入れなど、見ているだけで楽しくなるアイテムがいっぱいありますよ。
令和になってから、懐かしさとかわいさで再び注目され、子供から大人まで幅広い世代に人気。
例えば、ケーキやフルーツのモチーフがついたペンやポーチは、使うたびに笑顔になれるアイテムです。
日常をちょっと楽しくしたい人にぴったりの「SWIMMER」は、かわいいもの好きさんの宝箱のようなブランド。
平成の思い出を感じながら、今の暮らしにもぴったりです。
ぜひチェックしてみてくださいね!
昭和の初期の水洗トイレの水をためたタンクは、どこに設置されていたのでしょうか?
水洗トイレは昭和30年半ばから、普及されたそうです。
頭上にタンクがあり、鎖を引っ張るとタンクにたまった水が流れてくる仕組みでした。
現在ではあまり見なくなりましたが、昭和40年代の建築に多いようです。
高いところから水を流すので、勢いよく流れてくるそうですよ。
日本の1940年代

1940年代の日本は、激動の時代でした。
前半は戦時色が一気に強まり、街には国民服を着た人々や統制された看板、節約や勤労を呼び掛けるポスターが目立ちます。
物資不足が深刻化し、配給制度や代用品の登場が庶民の生活を大きく変えました。
やがて空襲により都市は壊滅的な被害を受け、多くの人々が疎開や焼け出される生活を強いられます。
終戦後は焼け野原からの再出発。
闇市が広がり、少しずつ人々の暮らしに明かりが取り戻り始めた時代でもありました。
1970年(昭和45年)公衆電話の市内通話料が3分10円になりました。以前はどのような料金形態だったでしょうか?
外出先で電話をかける際には欠かせなかった公衆電話、時代が進むにつれて目にする機会も減ってきましたね。
利用する機会が減ったからこそ、料金のイメージも薄れてきているかと思いますが、3分で10円という料金設定です。
そんな3分10円という料金は、1970年から変わったもので、その以前は違う料金でした。
では1970年より前にはどのような料金で公衆電話が使用できたのでしょうか。
答えは「1回につき10円」、10円さえ支払えば無制限、時間を気にせず電話がつなげたので、長時間にわたって独占した人が多かったというエピソードも含めて知っておきたいですよね。
原宿ファッション
@john.so1 💎🌈90年代原宿ファッション🌈💎 #作品撮り#平成#90s#kawaii#jfashion#harajuku
♬ Diamonds – PRINCESS PRINCESS
原宿といえば個性的というイメージを持たれている方も多いと思います。
原宿ファッションも同じように、自分らしさを表現するにはぴったりのスタイルと言えるでしょう。
平成では「デコラ」が有名かと思いますが、ストリートファッションを軸とした「裏原系ファッション」も男性に人気でしたよね。
現代は不思議と似たような服装を好む人が増えたように思いますが、当時はどの界隈に属しているか服装を見れば一目で分かり、面白かったです。

