【一般向け】思わず誰かに話したくなる新撰組の雑学&豆知識
京都の治安維持や、尊王攘夷運動をおこなう人たちを取り締まるために幕末に結成された「新撰組」。
近藤勇や土方歳三など、今でも名が残るたくさんの隊士が所属していました。
その人気から数々のドラマやマンガ、アニメ作品もたくさん製作されていますよね。
幕末の歴史がちょっと苦手な私も、アニメやドラマなどを通じてちょっと勉強できました。
この記事では、そんな新撰組に関する一般向けの雑学&豆知識を紹介します。
新撰組ファンの方はもちろん、絶賛学校でこの時代のことを勉強しているという方も、ぜひチェックしてみてくださいね!
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【一般向け】思わず誰かに話したくなる新撰組の雑学&豆知識(1〜10)
近藤勇の愛刀は「長曽祢虎徹」NEW!
近藤勇が大切にしていた刀は、「長曽祢虎徹」という名前の名刀です。
当時は「とてもよく切れる刀」として大人気で、多くの武士のあこがれでした。
池田屋事件のあと、近藤勇は「仲間の刀は傷ついたけれど、自分の虎徹は無事だった!」と手紙に書いています。
まるで相棒を自慢するようですね!
でも実は、この虎徹は本物ではなく、よく似た刀だったかもしれないという説もあるそうです。
本物かどうかは今もはっきりしておらず、歴史ミステリーのひとつとして多くの人に語り継がれていますよ。
近藤勇の流派は「天然理心流」NEW!
天然理心流とは、江戸時代後期に生まれた剣術です。
実践を重視した流派として知られ、華麗な演武よりも相手を制するための実用性を大切にしていました。
現在の東京都多摩地域で広まり、農民や町民でも学びやすかったことから、多くの門人を集めたそうです。
近藤勇はこの流派の四代目宗家となり門弟の指導にあたります。
のちの新選組の中核である土方歳三や沖田総司も試衛館で天然理心流を学び、その剣術が新撰組の強さを支えることになるのです。
実戦で役立つ技を磨くことを重視した天然理心流は、幕末という激動の時代にふさわしい剣術でした。
現在も流派は受け継がれており、幕末の剣術文化を今に伝えています。
近藤勇の道場「試衛館」は今の新宿にあったNEW!
新選組局長、近藤勇が若き日に腕を磨いていた剣術道場「試衛館」は、現在の東京都新宿区付近にあったとされています。
今では高層ビルや多くの人が行き交う都会ですが、幕末にはここで近藤勇や土方歳三、沖田総司、永倉新八など、後に新選組を代表する剣士達が稽古に励んでいました。
ここで築かれた仲間との絆が、新撰組結成の大きな土台となったと言われています。
幕末を動かした人物たちがここで汗を流していたのか、と考えると、とても興味深いですよね。
友人と新宿を訪れた際には「この辺りには近藤勇の試衛館があったんだよ」お伝えすると、意外性のある歴史ネタとして盛り上がると思いますよ。
【一般向け】思わず誰かに話したくなる新撰組の雑学&豆知識(11〜20)
戦場に先頭で入っていく人を「死番」と言っていたNEW!
戦場で一番先頭に立って突入する役目は「死番」と呼ばれていました。
新選組では、敵が潜んでいる家や建物に入るとき、一番最初に入る人がとても危険で、ほとんど命がけだったためです。
そのため4人ほどの班で順番を決め、日ごとに先頭役を交代していたのですね。
今日は自分が死番だと分かると、その日は朝から心の準備ができ、迷わず突入できるようになっていたといわれます。
怖さをなくす工夫でもあり、仲間同士で負担を分け合う知恵でもありました。
まさに「勇気とチームワーク」を大切にした仕組みだったのです。
斎藤一は明治時代に警察官になったNEW!
明治時代に、かつて新選組で活躍した斎藤一は「藤田五郎」という名前を使い、警察官として働きました。
戦争で敵同士だった新政府でしたが、明治になると実力のある人材が必要になり、斎藤はその剣の腕を買われて採用されたといわれています。
警視庁で巡査として働き、西南戦争にも参加しました。
昔は敵同士だったのに、時代が変わると一緒に日本の治安を守る立場になるのは、とてもおもしろい歴史の逆転ですよね。
かつての剣士が近代の警察官として生きたことは、新選組のその後を知る大切なポイントです。
新撰組の門限は午後8時頃NEW!
新選組の門限が午後8時ごろだったと言われるのは、当時の厳しい規律「局中法度」の影響です。
新選組は京都の治安を守るために作られた組織で、隊士たちには「勝手に外出しない」「規律を守る」といった細かい決まりがありました。
夜の町は事件も多くて危険だったため、早い時間に宿に戻ることが重視されていたと考えられています。
つまり午後8時ごろというのは、史料で一つに決まった正式な門限というより、「夜は早めに帰る」という厳しい生活リズムの目安です。
破れば厳しい罰があったため、隊士たちは自然と規則正しい行動を心がけていたのですね。
永倉新八が残したとされる『新撰組顛末記』という史料があるNEW!
新選組の中でも生き残った幹部の一人である永倉が、自分の体験をもとに語った記録です。
これは後の時代に新聞の連載としてまとめられ、新選組の戦いや仲間たちの様子を知るためのとても大切な史料とされています。
池田屋事件や激しい戦いの場面など、教科書ではわからない「現場のリアルな声」が書かれているのが特徴です。
ただし、本人の記憶にもとづくため、すべてが完全に正しいとは限らず、ほかの資料と比べながら読むことが大切だとされています。
それでも新選組の姿を身近に感じられる貴重な証言として、多くの歴史好が好きな人たちに読まれていますよ。


