お館様・産屋敷耀哉の名言集。やり遂げる強い想いと救いの言葉
人気作『鬼滅の刃』の中でも、とりわけ印象的な言葉を残したのが、お館様である産屋敷耀哉ではないでしょうか?
柱たちを導く存在として、時に厳しく、時に温かい心に響く言葉を紡ぎ出しました。
彼の言葉には、深い慈悲の心と揺るぎない信念が込められています。
この記事では、産屋敷耀哉が残した心に刺さる名言を紹介します。
厳しい現実の中でも、希望の光を見いだそうとした彼の言葉に、きっとあなたも心を揺さぶられるはずです。
お館様・産屋敷耀哉の名言集。やり遂げる強い想いと救いの言葉(1〜10)
あまね、これまで本当にありがとうNEW!

病状が悪化して会議に出られない産屋敷耀哉の代理として、妻のあまねが出席、会議の内容を報告する中で耀哉があまねに向けて放った言葉です。
呪いにほんろうされてきたことや、仲間のサポートなど、困難な道を突き進む中でいつもそばで支えてくれたことへの感謝が込められています。
戦いはまだ続いていくのに、最期の言葉のように言われているところが印象的ですよね。
鬼殺隊を率いる立場でありつつも、感謝の言葉を真っすぐに伝えているところで、その人柄もしっかりと感じられます。
とにかく生きることだけ考えなさい。生きてさえいればどうにかなるNEW!
https://www.tiktok.com/@user7762000983005/video/7365178073706171666まだ鬼殺隊に入る前の記憶喪失状態だった霞柱・時透無一郎にかけた名言「とにかく生きることだけ考えなさい 生きてさえいればどうにかなる」。
鬼に襲われ、兄を殺された後遺症で記憶障害に陥った時透無一郎にとって、生きる指針となったセリフです。
後に竈門炭治郎の存在によって記憶を取り戻していくことから、産屋敷耀哉の言葉は的を射ていたと言えるのではないでしょうか。
死んでしまったら何もかも終わってしまいますが、生きてさえいればチャンスが巡ってくると教えてくれている名言です。
叶うことなら私も君たちのように体一つで人の命を守れる強い剣士になりたかったNEW!

仲間たちを支える立場で活躍する産屋敷耀哉の、本心が込められたようなセリフです。
鬼殺隊が命をかけて戦っている中でも、自分がその戦闘には参加していないという事実に対する悔しさも感じさせます。
本当はともに剣士として戦いたかったという部分で、仲間の身を案じる姿勢も伝わってきますよね。
前線で戦いたかったという悔しさがあるからこそ、仲間を全力でサポート、自分のできることに全力で取り組もうという考え方も表現されているような言葉です。
君が人を守る為に戦ったのだと私は知っているよ。君は人殺しではないNEW!

まだ鬼殺隊の岩柱になる前の悲鳴嶼行冥にかけた名言「君が人を守る為に戦ったのだと私は知っているよ、君は人殺しではない」。
一緒に暮らしていた身寄りのない子供たちを守るために鬼と戦ったにもかかわらず、殺人の罪で処刑されそうになっていた悲鳴嶼行冥を救ったセリフです。
生来のカリスマ性と先見の明、そして誰も信じない鬼の存在を知っているからこその言葉なのではないでしょうか。
他の鬼殺隊メンバーも幾度となく救ってきたのであろうことが分かる名言です。
君たちが捨て駒だとするならば私も同じく捨て駒だNEW!

初めて柱合会議に参加した風柱・不死川実弥からの発言に対して返した名言「君たちが捨て駒だとするならば私も同じく捨て駒だ」。
当主として鬼殺隊をまとめながらも自らは戦線に出ない産屋敷耀哉に対し、不死川実弥は隊員を捨て駒にしか思っていないと詰め寄ります。
生来病弱であるために剣士にはなれなかった産屋敷耀哉はそれを受け止め、不死川実弥に対して優しく語りかけました。
後にその言葉がいかに本心であったか、その覚悟の真実を裏付けることになる名言です。
君は誰にも許されていない。この千年間一度もNEW!

お互いに怨敵でありながら一度も出会うことがなかった鬼舞辻無惨との会話で発せられた名言「君は誰にも許されていない この千年間一度も」。
理不尽に大切な人を奪われた人たちは決して鬼を許さないという思いが詰まったセリフですよね。
どれだけ生きようと、どれだけ強くなろうと、鬼舞辻無惨が求める永遠や不滅には届かせないという意志の強さも感じられるのではないでしょうか。
自分の行いは必ず自分に返り、そこから逃げ切ることはできないという真理を語った名言です。
君を悪く言う人は皆、君の才能を恐れ羨ましがっているだけなんだよNEW!
https://www.tiktok.com/@kk__n.15/video/7538642762590080278恋柱・甘露寺蜜璃に対してかけた名言「君を悪く言う人は皆、君の才能を恐れ羨ましがっているだけなんだよ」。
筋肉の密度が常人の八倍もあり、大食であることから自分の価値に疑問を持っていた甘露寺蜜璃の心を救ったセリフです。
この言葉をきっかけに、鬼殺隊に自分の居場所を見つけた甘露寺蜜璃は、女性でありながら鬼殺隊最高位剣士集団である柱にまで上り詰めました。
人の特徴を短所でなく長所として捉え、導くカリスマ性が見える名言です。