『鬼滅の刃』において絶大な人気を誇る、煉獄杏寿郎の名言
原作はもちろんテレビアニメも大ヒットとなり、2019年から2020年にかけて社会現象にもなった漫画作品『鬼滅の刃』。
数多くの魅力的かつ個性的なキャラクターが登場しますが、その中でも高い人気を誇るのが煉獄杏寿郎です。
鬼殺隊の炎柱という圧倒的な強さと愛らしいキャラクターは、多くのファンを魅了しました。
今回は、そんな煉獄杏寿郎の名言をご紹介します!
ストーリーを彩るものから人生における教訓になるような言葉まで、幅広く集めましたので、ぜひチェックしてみてくださいね!
もくじ
- 『鬼滅の刃』において絶大な人気を誇る、煉獄杏寿郎の名言
- 老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ煉獄杏寿郎
- 俺は俺の責務を全うする!煉獄杏寿郎
- よもやよもやだ 柱として不甲斐なし!!煉獄杏寿郎
- 己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと心を燃やせ煉獄杏寿郎
- 貴女のような人に生んでもらえて光栄だった煉獄杏寿郎
- 強さというものは肉体に対してのみ使う言葉ではない煉獄杏寿郎
- そんなことで俺の情熱は無くならない!煉獄杏寿郎
- どんな道を歩んでもお前は立派な人間になる!煉獄杏寿郎
- 昨日の自分より確実に強い自分になれる煉獄杏寿郎
- 自分の心のまま正しいと思う道を進むよう伝えて欲しい煉獄杏寿郎
- 飲み込まれてしまうなその悲しみも、いつかきっと大切な力になる煉獄杏寿郎
- 俺がここで死ぬことは気にするな煉獄杏寿郎
- 柱ならば後輩の盾となるのは当然だ煉獄杏寿郎
- 胸を張って生きろ煉獄杏寿郎
- 俺は信じる、君たちを信じる煉獄杏寿郎
『鬼滅の刃』において絶大な人気を誇る、煉獄杏寿郎の名言
老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ煉獄杏寿郎

猗窩座との戦闘の中で「鬼にならないか」と勧誘され、それに対する返答として放たれた言葉です。
不老不死だからこそ鬼は人間にはたどりつけない場所へと向かっていけるのだという主張に対して、人間という有限だからこその時間の大切さを語りかけています。
生きていった先に老いや死が待っているからこそ、その時間を大切に過ごしていこうという気持ちが芽生え、そうして生きていく姿こそが美しいのだと主張しています。
無限ではなく有限を選ぶという強い決意、今という有限を生きてけることへの感謝も伝わるような言葉ですね。
俺は俺の責務を全うする!煉獄杏寿郎

猗窩座との戦いで危険な状態になりながらもなお、乗客や炭治郎たちを守ろうとする煉獄の名言がこちらです。
これは、ただみんなを守ることが彼の責任であるからやっているということでもなく、それをすることで心を燃やし、責任を持ち続けたいという彼の希望でもあるという気持ちが伝わってくるようです。
そして誰も死なせないという彼の強さからくるゆらぎのない意志もかっこいいですよね。
普段のんびりと過ごしている人は彼の強さについて考えてみるのもいいかもしれません。
よもやよもやだ 柱として不甲斐なし!!煉獄杏寿郎

周りの人も含めて血気術で眠らされ、起きた際に自分のふがいなさを恥じているようにして放たれた言葉です。
「よもや」には「万が一にも」という意味も含まれており、現代では使われない言葉だからこそ、感情が伝わりにくいのもおもしろいポイントですね。
それぞれの言葉のすべてが恥ずかしい気持ちを表現した言葉なので、表情と反してセリフでは恥ずかしさが詰め込まれています。
表情が読み取りにくいキャラクターだからこそ、印象に残るセリフではないでしょうか。
己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと心を燃やせ煉獄杏寿郎

煉獄杏寿郎が死期を悟り、主人公の竈門炭治郎を含む、若い隊員たちに伝えた言葉ですね。
母親を亡くし、炎柱になるほど強くなっても父には認めてもらえず、絶望しても良いような状況で強く生きてきた彼の言葉だからこそ、胸に響きます。
これから自分は死ぬというのに、希望を持つことを諦めるなと伝える彼の最期の言葉には、涙する方も多かったのではないでしょうか。
彼のように現実を知っても、絶望の縁に立たされようとも、諦めずに力強く進んでいきたいですね。
貴女のような人に生んでもらえて光栄だった煉獄杏寿郎

幼いころに母に言われた言葉を回想し、ここまで生きてこれたことへの振り返りとともに返答するような形で放たれたセリフです。
人として生きていく上での責務を語りかけているような母の姿、そのような考えを持っている人に産んでもらえたことへの感謝を伝えています。
母の言葉を胸に責務を全うする姿勢を貫いてきたという、自分の姿も誇らしく思っているような印象です。
熱いキャラクターの中にある、人を信じる気持ちや強い感謝の思いがしっかりと伝わってきますね。
強さというものは肉体に対してのみ使う言葉ではない煉獄杏寿郎

鬼の猗窩座が、肉体的に弱いものを嫌い、弱っている炭治郎を殺そうとしたときの煉獄さんの言葉がこちらです。
煉獄さんは彼自身肉体も強くありながら、本当の強さというものが何かよくわかっているからこそ、このようなセリフが出てくるのでしょう。
真の強さは心や精神にある、と考えるだけで価値観が変わってくる印象がありませんか。
また真の美しさについても同じかもしれません。
精神をきたえぶれない自分を作ることの大切さも彼の名言が教えてくれるようです。