猗窩座の名言に込められた強さへの渇望。鬼の心に宿る武人の心
『鬼滅の刃』において、強大な力を持つ鬼のひとり、上弦の参・猗窩座。
その圧倒的な戦闘力とともに、彼が放った言葉の数々は、多くの人の心に深く刻まれています。
鬼らしい冷徹な面を持ちながら、人間だった頃の強い思いを抱き続ける複雑な人物像を映し出す名言の数々には、涙を浮かべてしまうものも……。
この記事では、猗窩座の心の機微が垣間見える言葉をご紹介します。
彼の生きざまが凝縮された言葉の世界に、きっとあなたも引き込まれることでしょう。
猗窩座の名言に込められた強さへの渇望。鬼の心に宿る武人の心(1〜10)
お前も鬼にならないか?
https://www.tiktok.com/@yuuna01060/video/7368760770823195911猗窩座のセリフの中でもとくに有名な一言ですね。
杏寿郎の強さを認めた上で、もっと強くなるために鬼になるよう誘うセリフです。
人間はいつか死ぬ弱い存在である一方、鬼は死ぬことがない強い存在だと猗窩座は考えており、「杏寿郎はせっかく強いんだから鬼になってもっと強くなろう」と純粋な気持ちで誘っているんですよね。
そして、このセリフのあとには「鬼にならないなら殺す」と言い放ち、手段を問わず、とにかく強くなろうとすることだけに興味を持っていることがわかります。
弱者を嫌い強くあることに執拗なまでのこだわりを見せる猗窩座の性格がよくわかる名言ですね。
お前は確かに弱くなかった。敬意を表する
無限列車で初めて炭治郎に会ったとき、猗窩座は炭治郎のことをまったく相手にもせず、無限城で再会したときにも炭治郎のことを弱者といって罵りました。
しかし、その直後に炭治郎の攻撃を受けて、鍛錬を積み重ねて強くなった炭治郎の実力を認めてこのセリフを言いました。
猗窩座は十二鬼月の一人であり、炭治郎たちの敵ではあるものの、強い者に対してはその実力を認め敬意を払うという性格をしています。
この言葉をキッカケに、炭治郎たちと猗窩座の最終決戦が始まったのでした。
何ともまあ惨めで滑稽でつまらない話だ
猗窩座が自身の人間時代の記憶を振り返っている中、自身の人生を指してこぼしたセリフがこちらです。
彼の人間時代の名前は狛治といい、その人生はつらく悲しいものでした。
盗みや暴力を振るうなど荒れた人生を送っていましたが、その根底には家族や大切な人を守るためという事情があったんですよね。
鬼になってからは忘れていた狛治の記憶がよみがえったとき、その人生を自嘲するかのようにこの言葉が出てきたんです。
炭治郎たちの強敵として現れた憎き存在でありながら、彼の背景を知って同情してしまった方も多いのではないでしょうか?
今日行けなくても来年も再来年も花火は上がるからその時行けばいいですよ
かつて狛治という名の人間だった頃に、病弱な恋雪に向けたセリフ「今日行けなくても来年も再来年も花火は上がるからその時行けばいいですよ」。
鬼となった猗窩座のイメージとは違い、優しさにあふれていますよね。
鬼も元々は人間であり、それぞれにドラマがある作品ならではの名言なのではないでしょうか。
また、こうしたギャップがストーリーに奥行きや深みを持たせている理由なのかもしれませんね。
のちに鬼になってしまうからこそ切なさが強調されている名言です。
杏寿郎死ぬな
「杏寿郎死ぬな」という名言は、「生身を削る思いで戦ったとしても全て無駄なんだよ、杏寿郎」と続きます。
強者との戦いを常に欲している猗窩座は無限列車で炎柱・煉獄杏寿郎と戦い、その強さから鬼になるよう誘いますが、煉獄杏寿郎は価値観の違いから断ります。
それでも煉獄杏寿郎を殺したくないほど気に入ってしまった猗窩座から発せられたこの言葉は、矛盾を感じさせながらも心を揺さぶりますよね。
人間と鬼との違いが描かれたシーンを彩る名言です。
ごめんごめん守れなくてごめん。大事な時傍にいなくてごめん
https://www.tiktok.com/@mi4e7/video/7532457109204552978猗窩座が自分の過去を振り返り、その時の姿を取り戻そうとしている中、後悔を打ち明けるようにして放たれたセリフです。
人間のときの自分と鬼になった自分の間をさまよう中で現れた恋人がこの言葉のきっかけで、全ての後悔がこの瞬間にはき出されています。
自分が離れているときに大切な人を亡くしてしまったことや、守る拳を血で染めてしまったという後悔がこの謝罪で伝わりますよね。
鬼としての自分から解放される最後のきっかけになった、感情をありのままで見せるような言葉ですね。
そうだ俺が殺したかったのは
https://www.tiktok.com/@kt__bk/video/7168067206570315010猗窩座が炭治郎と義勇との戦いをとおして過去の自分と向き合い、そこで気付いた結論のようにして語られたセリフです。
なぜ鬼になったのか、なぜ強さを求めているのかというところが過去に由来していたものだというのが判明、本当に打ち勝つべきものは何かに気付くという流れですね。
これまでは戦い相手を「弱いもの」としていましたが、この過去の回想をとおして本当に弱かったのは「自分」だったのだと描かれていますね。
愛する人を守れなかった後悔、守るための力を血で染めてしまったという後悔など、過去の苦しみがこのセリフに込められています。






