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松尾芭蕉 の検索結果(1〜10)
梅が香に のつと日の出る 山路かな松尾芭蕉
こちらは有名な松尾芭蕉の書いた俳句で、芭蕉は江戸時代に活躍した俳人です。
この句は芭蕉が亡くなる年に書かれた俳句だそうです。
朝日が梅の香りに誘われるように顔をだすのですが、のっとという擬態語の雰囲気が独特で、芭蕉のセンスを感じますよね。
梅の香りとの質感のコントラストがとても興味深く、こんな組み合わせが意外に合う、といったイメージです。
そしてこの短い句の中に嗅覚と視覚の両方が刺激されるのもおもしろいところです。
人々を しぐれよやどは 寒くとも松尾芭蕉
江戸時代初期に伊賀に生まれた松尾芭蕉が詠んだ句で、伊賀上野の配力亭に集まった俳句を詠む人たちの会で、寒くなってもよいのでここで時雨がふったらより情緒のある会になるだろうなという句といわれています。
ともに俳句を磨きあえる仲間との泊まり込みの会で風雅を楽しみたいという芭蕉の粋と俳句への情熱、そしてその場の空気感も感じられておもむきが深い俳句といえるのではないでしょうか。
志を同じくした仲間の会は楽しかったでしょうね。
鶯や柳のうしろ藪の前松尾芭蕉
柳のうしろへ行ったり、藪の前に出たり、落ち着きのない鶯の姿が目に浮かぶような俳句ですね。
春告げ鳥とも呼ばれる鶯は、梅に鶯というように、春の情景の代表格として描かれることが多いです。
だからなんとなく優美な生き物……という印象があるのですが、実は意外に動き回る鳥なんですよね。
この俳句はそんな鶯のありのままを表現し、まるで目の前にいる鶯の様子を実況しているみたいでしょう。
想像すると、ふっと笑顔になる、ステキな作品です。
松尾芭蕉 の検索結果(11〜20)
顔に似ぬ 発句も出でよ 初桜松尾芭蕉
自分や弟子たちが年齢を重ねてきた様子を描きつつ、その年齢をものりこえる桜の美しさも伝えていく俳句です。
初桜の美しさを表現する時には、年齢を重ねた顔には似合わないような言葉が飛び出すものだというところを表現していますね。
初桜を表現するときには若々しい言葉を使った方がいいという、弟子たちへの教えのようにも感じられます。
言葉に込められた年齢感、それをどのようにコントロールするのかというテクニックも込められたような内容ですね。
この道や 行くひとなしに 秋の暮れ松尾芭蕉
松尾芭蕉が晩年、最後に出席した句会で詠んだと言われている俳句です。
季節の終わりを感じさせる「秋の暮れ」という季語が使われており、その前にあたる「この道や行く人なし」という言葉からもなんだか寂しさを感じます。
この時、松尾芭蕉は門下生たちの主導権争いに悩んでいたと言われており、心労がたたったのか、句会の数週間後には亡くなってしまいます。
人生の終わりを迎える中で、後継者がいない孤独を感じていたのかもしれませんね……。
明月や 池をめぐりて 夜もすがら松尾芭蕉
日本の俳句の基礎を築いた江戸時代前期の俳人であり、多くの名句を後世に残した松尾芭蕉。
この句では美しい月夜に池の周りを歩きながら夜通し月を眺めて過ごすという風雅な光景が詠まれています。
夜の池や月夜が思い浮かぶとともに、ひたすらに月を愛でるその心の豊かさが伝わるでしょう。
彼の句には自然と一緒に生きる心の余裕や秋の季節の美しさを感じ取る感性が詰まっています。
秋の夜長に美しい月の光を浴びながら静かに過ごす時間は、心を穏やかにしてくれるものです。
山里は 万歳遅し 梅の花松尾芭蕉
町中から離れた山里には、年が明け梅の花が咲いた頃にようやく万歳師がやってくる……という内容の句ですね。
万歳とは、新年を祝う言葉を歌唱して家々をまわる芸能のことで、現在の漫才の元祖とも言われていますよ。
また、お気づきの方もおられるかもしれませんが、この一句には「梅の花」と「万歳」の2つの季語が使われています。
季重なりは基本的に避けるべき技法です。
しかしこの句に関しては、主題となる季語がはっきりしており、俳句の内容が損われていません。
さすが俳聖と呼ばれる松尾芭蕉ですよね。

