【高齢者向け】春の俳句。春のレク
春は、新しい始まりを感じさせる季節です。
暖かな日差しや色とりどりの花が頭に思い浮かびますよね。
自然と外へ出たくなる時期でもあります。
そんな春の訪れを、俳句を通じて楽しんでみませんか?
俳句は、五七五のリズムで季節の風景や気持ちを表現する、日本ならではのすてきな文化です。
特に高齢者の方にとって、昔を懐かしみながら言葉を紡ぐことは、脳の活性化にもつながります。
春の美しさを感じながら、楽しく俳句を詠むことに挑戦してみませんか?
【高齢者向け】春の俳句。春のレク(1〜10)
三月の 甘納豆の うふふふふNEW!坪内稔典
現代俳句のパイオニアとも呼べる俳人、坪内稔典さんの作品です。
この俳句は国語の教科書にも掲載され、坪内さんの代表作として知られています。
季語は春を示す「三月」で、春に口にした甘納豆への喜びを詠んでいますよ。
この作品以外にも「甘納豆十二句」と呼ばれる、全ての月で甘納豆を詠んだ句を発表しています。
よほどこだわりがあるのでしょうね。
その中で本人もお気に入りというこの三月の句は、最後の「うふふふふ」が特に印象的ですね。
音声をそのまま活字化したものはめずらしく、捉え方も人によって変わるのが面白いです。
ぶつぶつと 大なるたにしの 不平かなNEW!夏目漱石
明治時代の有名な作家、夏目漱石が詠んだ一句です。
句に出てくる春の季語は、「たにし」という、田んぼや池にいる丸い巻き貝のことです。
漱石は、水の中でたにしがプクプクと泡を出している様子を見て、「まるでぼやいているみたいだなぁ」と感じました。
「ぶつぶつと」は、その泡がいっぱい出ている様子を表す言葉です。
そして「不平かな」は、「何か言いたいことでもあるのかな?」とたにしをやさしく見ている気持ちを表しています。
小さな自然の動きから人の気持ちを想像して楽しむ、ユーモラスでやさしい一句です。
すごすごと 摘やつまずや 土筆NEW!宝井其角
季語は「土筆」で「つくし」と読みます。
春といえば土筆という印象を持っておられる方も多いのではないでしょうか?
土筆は遊びにも使えますし、佃煮にしてもおいしいですよね!
この句はそんな土筆をテーマにした春の句なのですが、楽しげな雰囲気はあまりなく、もくもくとを意味する「すごすごと」があることで、なんとなく土筆をひたすら作業のように集めている様子に感じます。
どうして土筆を摘んでいるのか気になる作品ですよね。
おらが世や そこらの草も 餅になるNEW!小林一茶
春になるとヨモギが自生しているのをよく見かけますよね。
そのヨモギを摘んで草餅を作った経験を持つ方もおられるのではないでしょうか?
この小林一茶の句もまさにそんな春らしい気持ちを詠んだ句です。
季語は「草餅」で、こちらが春を表しています。
「おらが世や」というのは、自分が生きるこの世に感謝する気持ちが表現されていますよ。
春になると自生するヨモギで草餅を作れることに、ありがたいという気持ちをつづっているのですね。
ゆさゆさと 春が行くぞよ 野べの草NEW!小林一茶
この俳句は、春の季語「行く春」を使って、春が少しずつ過ぎていく様子を感じ取った一句です。
小林一茶は、野原の草がふわふわと風に揺れるのを見て、「春がもうすぐ行ってしまうのかな」と感じました。
「ゆさゆさと」という言葉は、草が揺れる軽やかな動きをやさしく伝えています。
「春が行くぞよ」は、まるで春が草むらの中をそっと通り過ぎていくみたいだよと話しかけているようです。
読んでいると、野原に吹く春の風や、やさしく揺れる草の波が目に浮かんできます。
この一句は、春の名残を感じながら、それを惜しむ気持ちをやわらかく表した、ほんのり心に残る俳句です。
痩蛙 負けるな一茶 是に有NEW!小林一茶
痩せたカエルを応援する一茶の姿が印象的な俳句です。
この作品は俳句全体の中でも有名で、特に最後の「一茶これにあり」は独特でめずらしい表現です。
メスの争奪戦に負けそうなカエルを応援しながら、自分はここにいると言っているのですね。
この俳句は、なかなか結婚できない自分の不遇をカエルに重ねたという説、病弱なわが子に対して詠んだという説があります。
一茶は52歳の時に初めて結婚しますが、生まれた子供たちはみな次々に亡くなってしまいます。
その背景を知ると、カエルを応援する一茶の気持ちがよく分かりますよね。
笋の うんぷてんぷの 出所かなNEW!小林一茶
この句にある「うんぷてんぷ」は、漢字にすると「運否天賦」です。
運や不運は天命である、運を天に任せる、という意味ですね。
つまりこの句は、季語である笋の出所は天が決めると言っているのでしょう。
あえて運否天賦という言葉を使うのが、小林一茶らしいと言えるかもしれません。
三月ごろになると春の味覚である笋掘りに出かける方も多いですよね。
なかなか見つからないその姿に諦めそうになったとき、この句を思い出すかもしれません。



