春は、新しい始まりを感じさせる季節です。
暖かな日差しや色とりどりの花が頭に思い浮かびますよね。
自然と外へ出たくなる時期でもあります。
そんな春の訪れを、俳句を通じて楽しんでみませんか?
俳句は、五七五のリズムで季節の風景や気持ちを表現する、日本ならではのすてきな文化です。
特に高齢者の方にとって、昔を懐かしみながら言葉を紡ぐことは、脳の活性化にもつながります。
春の美しさを感じながら、楽しく俳句を詠むことに挑戦してみませんか?
- 【高齢者向け】3月の俳句。春の息吹を感じる名句
- 【高齢者向け】4月に楽しみたい!ゲームやレクリエーション
- 【高齢者向け】楽しく脳トレ!春にまつわるクイズ
- 【高齢者向け】4月の俳句。盛り上がる
- 【高齢者向け】春の楽しいレクリエーション。遊びやゲームまとめ
- 【高齢者向け】3月を楽しむレクリエーション
- 【高齢者向け】ひな祭りの気分を盛り上げる!オススメゲームと工作
- 【高齢者向け】暖かい春を楽しく過ごそう!4月の健康ネタまとめ
- 【高齢者向け】冬の俳句。盛り上がる脳トレ
- 【高齢者向け】春を楽しむ。4月の工作アイデア
- 【高齢者向け】春にぴったりなおやつレク。簡単でおいしいレシピ
- 【高齢者向け】人気の春の歌。音楽療法にもオススメの童謡と歌謡曲まとめ
- 【高齢者向け】3月にちなんだイベントレク
【高齢者向け】春の俳句。春のレク(1〜10)
島々に 灯をともしけり 春の海

春の海が暮れかけていくと、それとは対照に海に浮かぶ島々の家にあかりがぽつぽつとともるのが見えてくるといった正岡子規の俳句がこちらです。
正岡子規はこのころ毎日床に伏しており、起き上がれないくらいになっていたといわれており、この風景は想像して書かれたものか、心の中の風景だったのか、昔を思い出して書いたのかわかりません。
心の中の風景だとすると、人生が暮れかけていっても心のあかりは明るくともっているともとれるでしょう。
うすうすと 窓に日のさす 五月かな

5月はすがすがしく、過ごしやすい季節ですよね。
木々の枝からは新緑も出はじめ、生命力の強さも感じられます。
冬や春とは違い、日差しも強くなる季節です。
「うすうすと 窓に日のさす 五月かな」この俳句を詠んだ正岡子規も、5月を感じて詠んだそうです。
キラキラとした太陽の日差しが、窓から差し込んできているようですね。
ですが、勢いも感じる5月と反対に病気を患った正岡子規の様子も詠まれていますよ。
爽やかな5月ですが、正岡子規にとっては、苦手な季節でもあったようです。
おもしろく ふくらむ風や 鯉幟

正岡子規は愛媛県出身の俳人、歌人、国語学研究科で、明治を代表する文学者の1人です。
この句では、五月晴れの青空の中、風を受けて楽しそうに泳いでるように見える鯉のぼりを詠っており、そこに吹いている風や、鯉のぼりを喜んでみているであろう子供達の姿が目に浮かぶようです。
端午の節句に我が子の健やかな成長を願って鯉のぼりを飾る、という風習は昨今の日本ではあまり見られなくなりました。
こうした現代において、この句は古き良き時代にタイムスリップし、当時を思い出させてくれるようです。
みかん山 海見下ろして 五月尽

この俳句を詠んだのは、大正から昭和にかけて活躍した女性の俳人細見綾子です。
大正時代には、女性の俳人も増え、女性ならではの生活に密着した俳句が詠まれました。
細見綾子は、季節感を重視した俳句を多く詠んでいますよ。
「みかん山 海見下ろして 五月尽」も、5月の日常を詠んでいるようですね。
五月尽とは五月の末日という意味ですよ。
新緑が美しいみかん畑ですが、明日からは6月となりジメジメとした季節がやってきます。
爽やかな季節から、雨が降り続く梅雨になり盛夏になる。
五月尽からは、そんな自然に向き合って生きていく様子も伺えますね。
五月来て 困ってしまう 甘納豆

この俳句を詠んだ坪内稔典は、甘納豆を通して季節を表現していますよ。
5月以外にも12カ月ての月で、甘納豆を題材とした俳句を詠んでいます。
甘納豆十二句とも呼ばれているそうですよ。
その中でも3月のことですが「三月の甘納豆のうふふふふ」は有名です。
3月の俳句は教科書にも出ていますが、授業ではそれぞれ一人ひとりの解釈に俳句の意味は委ねられているそうですよ。
「五月来て 困ってしまう 甘納豆」は、甘くて柔らかな甘納豆から見た世界なのか、それとも甘納豆の周りの人々の様子なのか。
5月になると困ることを、高齢者の方と一緒に考えてみるのも面白いかもしれませんよ。
五月来ぬ 心ひらけし 五月来ぬ

星野立子は昭和期の俳人であり、初の女性主宰誌「玉藻」を創刊、主催た人物です。
この句で読まれる五月は「さつき」と読み、季語は夏を表します。
5月20日から始まる二十四節気「小満」は、これから本格的な夏に向けて草木も青みを増し、さまざまな生命が活動的になっていく時期を指します。
そんな1年の中でも最も過ごしやすく、気持ちが晴れるこの季節を楽しみに思う気持ちを詠ったのではないでしょうか?
現代風に言うなら「早く大好きな五月にならないかな」、といったところでしょうか。
昔も今も、過ごしやすい季節を心待ちにする気持ちは同じなのかもしれませんね。
五月雨や 大河を前に 家二軒

与謝蕪村は江戸時代中期に活躍した俳人、文人画家で、松尾芭蕉に強いあこがれと尊敬の念を抱き、奥の細道を実際にたどるために東北地方や関東地方を旅したという話があります。
この句の意味は五月の長雨が降り続いて、川が勢いを増して大きくなった川が激しく流れている。
その川のほとりには小さな家が二軒、寄り添って立っている、という内容です。
強まる自然の猛威の前には、たとえ家であっても心細く、なすすべがない存在であることを印象付けるのではないでしょうか。
松尾芭蕉の有名な句にも五月雨を季語としたものがありますので、見比べてみるといった楽しさもありますね。