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松尾芭蕉 の検索結果(1〜10)

田一枚 植えて立ち去る 柳かな松尾芭蕉

田一枚 植えて立ち去る 柳かな松尾芭蕉

松尾芭蕉は江戸時代前期に活躍した俳諧師であり、俳聖として世界的にも知られる、日本史上、最高の俳諧師の1人です。

特に自分の旅の様子を記した紀行文「奥の細道」が有名です。

この句では複数の解釈があるとされています。

「農民たちが田を1枚植えて立ち去り、後に残されたのは柳のみであった」や、「農民たちが田を1枚植える間、私は柳を見ていたが、田植えも終わって農民たちが去ったので、私も立ち去ろうと思う。

後に残るのは柳のみだ」などです。

ほんの小さな生活の一場面を切り抜き、その意味を考えされてくれるこの句は、松尾芭蕉ならではと言えるでしょう。

草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家松尾芭蕉

草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家松尾芭蕉

俳聖と呼ばれる松尾芭蕉。

日本で知らぬ者はいないとされる、もっとも有名な俳人です。

芭蕉は40代のころから旅に出ては俳句を詠む日々を送っており、暖かくなったらまだ見ぬ東北へ旅に出たいと考えていました。

そしてついに決心します。

住んでいた家を売り、旅の費用に充てることにしました。

その時に詠まれたのがこの句です。

現代語に訳すると、このみすぼらしい家とも、いよいよお別れだ。

もしかしたら後で住む人がおひなさまを飾って華やかにすることもあるかもしれないな。

といった、これまでの暮らしを振り返り、まだ見ぬ住人の暮らしを想像した内容になっています。

ここから奥の細道が生まれる旅へつながると想像すると、芭蕉の気持ちの一片が感じとれそうですね。

旅に病んで 夢は枯れ野を かけめぐる松尾芭蕉

旅に病んで 夢は枯れ野を かけめぐる松尾芭蕉

松尾芭蕉は、江戸時代に活躍した俳諧師です。

現在でも松尾芭蕉が、日本各地で詠んだ俳句が残っていますよね。

「旅に病んで 夢は枯れ野を かけめぐる」は、松尾芭蕉が51歳のときに詠んだ、生前最後の俳句ですよ。

弟子たちの言い争いの仲裁のために向かう途中で、病に倒れて寝込んでいるときに詠みました。

辞世の句でもありますが、この俳句を詠んだ時点では、辞世の句と思っていなかったという説もあります。

この俳句以外でも高齢者の方と、俳句に込められた本当の意味を考えるのも楽しいかもしれませんね。

山路来て なにやらゆかし すみれ草松尾芭蕉

山路来て なにやらゆかし すみれ草松尾芭蕉

松尾芭蕉は江戸時代を代表する俳人で、俳句を和歌のと肩を並べるほどの芸術にまで高めた偉人です。

芭蕉は旅をしては俳句を詠む生活を送っていました。

ある時、京都から伏見を経て大津へ向かう途中、ふと道端にすみれが咲いているのを見かけてこの句を詠んだとされています。

現代語に訳すると、山道を歩いていたら、道端にすみれの花が咲いていた。

なんだが心ひかれるなぁ、といった内容です。

派手な花ではありませんが、つつましく咲いているさまを見て、山道を歩いて疲れた気持ちも癒やされたのでかもしれませんね。

元日や おもへばさびし 秋の暮松尾芭蕉

元日や おもへばさびし 秋の暮松尾芭蕉

松尾芭蕉さんの名前を聞かずに大人になった人はいないでしょう。

小学校から高校の教科書まで、芭蕉さんの名前が出てこない教科書はないのですから。

この句は芭蕉さん40歳の作といわれています。

大みそかまでなんだかんだと新年の用意にバタバタとしていたが、新年になると打って変わって水を打ったように静かになる、この寂しさはどこかあの秋の夕暮れに似ているなあ……と。

最近の日本は元旦から騒がしい?

ので、芭蕉さんのようにしんみりとはならないかな。

田一枚 植えて立ち去る 柳かな

田一枚 植えて立ち去る 柳かな

松尾芭蕉は江戸時代前期に活躍した俳諧師であり、俳聖として世界的にも知られる、日本史上、最高の俳諧師の1人です。

特に自分の旅の様子を記した紀行文「奥の細道」が有名です。

この句では複数の解釈があるとされています。

「農民たちが田を1枚植えて立ち去り、後に残されたのは柳のみであった」や、「農民たちが田を1枚植える間、私は柳を見ていたが、田植えも終わって農民たちが去ったので、私も立ち去ろうと思う。

後に残るのは柳のみた」などです。

ほんの小さな生活の一場面を切り抜き、その意味を考えされてくれるこの句は、松尾芭蕉ならではと言えるでしょう。

五月雨を あつめて早し 最上川

五月雨を あつめて早し 最上川

松尾芭蕉は江戸時代前期に活躍した俳諧師です。

芭蕉は46歳の時に「奥の細道」で知られるように、東北から北陸を経て、現在の岐阜県辺りまでを巡りながら心情や風景を詠んでいました。

この句は現在の山形県に流れる日本三大急流の1つと言われる最上川を詠った句です。

五月に降り続く長雨の影響で最上川に水が流れ込み、水の勢いが非常に早く、激しい水流であったことを表しています。

季節によって移り替わる自然の様子が目に浮かんでくるようです。