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春の午後 の検索結果(11〜20)
春たちて まだ九日の 野山かな
こちらは江戸時代の偉大な俳人松尾芭蕉の句で、立春を9日すぎた野山の様子を詠っています。
暦の上では立春を過ぎていても、完全に春というわけではなく冬の気配も十分に残している野山、とはいえ注意深くみてみるとそこここに春の気配も感じるという味わい深い内容となっています。
四季を愛し、四季の変化に敏感な日本人なら肌感覚でわかる、そんな俳句ではないでしょうか。
現代人もこの俳句を思い出す瞬間が生活の中にあるはずです。
人影の 映り去りたる 水温む高浜虚子
春になると寒さもゆるみ、川や池の水の氷が溶けて、水から温かさも感じやすくなる季節ですよね。
この俳句を詠んだ高浜虚子も、屋外でのささいな変化から春の訪れを感じたのでしょうか。
現在は四季ではなく、二季ともよばれることもありますが、季節の移ろいを詠んでみるのもいいですね。
高齢者の方とお散歩に行った際も、木々から葉が出てきたこと、うぐいすが鳴いているなど春を探してみましょう。
季節の変化に触れられ、今までの思いでも振り返られ、会話も広がるきっかけにもつながりますよ。
碧天や 雪煙たつ 弥生富士水原秋桜子
3月の穏やかな気候の中、冬とは違い雲のない青い空を見ることも多くなりますよね。
それとは反対に、富士山にはまだ、まだ真っ白な雪が積もっているようです。
俳句からはコントラストの美しさのシーンが浮かんできます。
冬の終わりでもあり、春の始まりでもある3月には、冬と春の両方の情景が見られますね。
季節の移りかわりを感じられる俳句は、高齢者にとっても季節や時間を実感できそうですよね。
暖かな春の日に、今までの3月のエピソードなどを取り入れた俳句を詠んだり、会話をすることで周りの方とも交流も広がりそうです。
ゆさゆさと 春が行くぞよ 野べの草小林一茶
この俳句は、春の季語「行く春」を使って、春が少しずつ過ぎていく様子を感じ取った一句です。
小林一茶は、野原の草がふわふわと風に揺れるのを見て、「春がもうすぐ行ってしまうのかな」と感じました。
「ゆさゆさと」という言葉は、草が揺れる軽やかな動きをやさしく伝えています。
「春が行くぞよ」は、まるで春が草むらの中をそっと通り過ぎていくみたいだよと話しかけているようです。
読んでいると、野原に吹く春の風や、やさしく揺れる草の波が目に浮かんできます。
この一句は、春の名残を感じながら、それを惜しむ気持ちをやわらかく表した、ほんのり心に残る俳句です。
夕燕 我にはあすの あてはなき小林一茶
夕燕とは夕暮れに飛ぶつばめのことです。
つばめには帰る巣があるのに対し、小林一茶にはこのとき宿泊できる場所のあてがなかったのでしょう。
その寂しさや心細さを、そっと燕に話しかけているのかもしれません。
小林一茶は3歳の時に実の母親を亡くし、8歳で新しい母親ができましたがなじめず、奉公に出されたという過去があります。
そういった心情も奥底にあるのでしょうか……。
卒業シーズンである3月にぴったりの作品ですね。
五月来ぬ 心ひらけし 五月来ぬ
星野立子は昭和期の俳人であり、初の女性主宰誌「玉藻」を創刊、主催た人物です。
この句で読まれる五月は「さつき」と読み、季語は夏を表します。
5月20日から始まる二十四節気「小満」は、これから本格的な夏に向けて草木も青みを増し、さまざまな生命が活動的になっていく時期を指します。
そんな1年の中でも最も過ごしやすく、気持ちが晴れるこの季節を楽しみに思う気持ちを詠ったのではないでしょうか?
現代風に言うなら「早く大好きな五月にならないかな」、といったところでしょうか。
昔も今も、過ごしやすい季節を心待ちにする気持ちは同じなのかもしれませんね。
春の午後 の検索結果(21〜30)
明日、春が来たら松たか子

いろいろな情景の中に、春を待つ気持ちが描かれています。
トンネルを抜けるような感覚。
春という季節は、新芽や冬眠から目覚めた動物たちにとっても待ち遠しい季節です。
すべての生き物に降りそそぐ太陽の光はこんなにもあたたかいのですね。

