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冬の日午後 の検索結果(1〜10)
冬景色文部省唱歌

冬の初めの朝から夕方までの様子が描かれた文部省唱歌『冬景色』。
1番では霧が出る朝の水辺の様子、2番では昼間の麦がなる田園の様子、3番では小雨が降る夕方の里の様子が描かれています。
美しいメロディーに乗せて歌われるそれらの景色に、秋から冬に徐々に移ろいゆく季節の変化を感じさせます。
歌詞で描かれているどれもが秋の終わり、そして冬の始まりによく見られる光景を描いています。
この曲とともに、ゆったりと流れる時間と季節を感じてみてはいかがでしょうか。
木枯や ひろ野を走る 雪のかげ森鴎外
冬の訪れを告げる冷たい北風の季節を詠んだ句です。
「ひろ野」は広々とした野原を意味していて、そこを吹き抜ける木枯らしの勢いが感じられますね。
「雪のかげ」とは、空をかすめるように舞う雪の姿のこと。
まだ積もるほどではなく、ちらちらと舞う雪が風に乗って走るように見える光景が目に浮かぶようです。
冷たさの中にも、自然の動きや冬の美しさを感じさせるこちらの一句。
晩秋から初冬へと移りゆく11月、季節の変わり目の寒さと静けさを、しみじみと味わえますよ。
小春日や 石を噛み居る 赤蜻蛉村上鬼城
冬が始まる前の穏やかな「小春日和」を詠んだ句です。
「小春日」とは、冬の初めに見られる春のようにあたたかな日差しのこと。
「石を噛み居る赤蜻蛉」とは、ひだまりの中で赤とんぼが石にとまり、まるで石を口にしているかのようにじっとしている様子を表していますよ。
寒さの中でも、ほんのひとときのぬくもりを楽しむ赤とんぼの姿に、自然のいのちのたくましさと静けさが感じられます。
11月のやわらかな日差しを受けながら、季節の移ろいと小さな命のぬくもりを味わうことができる、あたたかな一句ですね。
冬の日午後 の検索結果(11〜20)
冬景色森麻季

12月ともなると本格的な冬の季節に入ってきますが、この曲は日本の冬の情景を歌ったものです。
日本の歌百選の1つであり、作詞者と作曲者はわかっていません。
1番では朝、2番では昼間、そして3番では夕暮れ時が歌われているのが特徴ですね。
桐の実の 鳴りいでにけり 冬構芝不器男
芝不器男が晩秋から初冬にかけての自然の移ろいを感じて詠んだ一句。
「桐の実の鳴りいでにけり」とは、桐の実が熟して落ちる音が響く様子を表しています。
その音を聞くことで、冬支度を整える時期が来たことを実感したようです。
「冬構」とは、寒さに備えて家や庭を整えること。
芝不器男は、自然の小さな変化―桐の実の落ちる音―から季節の深まりを感じ、生活と自然のつながりをしみじみと思ったのでしょう。
11月の静かな秋の日、冬の訪れを静かに受け止める、やさしく落ち着いた一句です。
時雨

冬の初めに降る雨を時雨と言います。
ずっと降り続く雨とは違い、パラパラと短時間で降っては止み、雨が来るたびに冬が近づきますよ。
冬の訪れを感じさせるので、寂しさを感じる感情表現としても、俳句では詠まれているようです。
旧暦10月の異称として、時雨月という言葉もあります。
高齢者の方も冬が近づいてきたことを、晩秋のぱらぱら降るにわか雨から感じる方もいらっしゃるかもしれませんね。
時雨という言葉は全国的に広まっていますが、実は、時雨は日本の特定の場所で降るそうですよ。
冬至

与謝蕪村さんの有名な俳句に「貧乏な儒者訪ひ来る冬至かな」というのがあります。
小林一茶さんにも「日本の冬至も梅の咲きにけり」があります。
一年の内で一番昼が短いとされている冬至はどこかもの暗さやもの寂しさがイメージとしてありますが、そこをあえて明るくカラッと詠んだ方がいい俳句に近付くのかなと思います。
ゆず湯に入ったり、かぼちゃの料理を食べたりと、冬至のイメージを広げる風習も親しみ深いですね。
いずれも無病息災を願う行事ですので、他者への思いを句に込めるのもいいかもしれませんね。

