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芥川也寸志 の検索結果(21〜30)
鴬や 障子あくれば 東山夏目漱石
こちらは昭和を代表する文豪として名高い夏目漱石の俳句です。
「鴬や 障子あくれば 東山」は、初句の鶯から、穏やかな春の日を連想させますね。
京都で、鶯の声が聞こえ障子を開けることも、風情を感じます。
障子を開けた先に広がる、思いがけない東山の光景が広がっていたのでしょう。
咲き誇っている桜が、街を流れる川や建物などとまじ合った景色は絶景だと思わされますね。
あまりの美しい景色に、夏目漱石も思わず心を奪われたようです。
思わず俳句を詠んだことも、考えられる一句ですね。
人生というものは、かっきり切りのつくものじゃないのだ。葉山嘉樹
なんでも白黒はっきりさせたい、そう思いがちな現代ですが、人生というものは決してそう全てがはっきり明らかになるものではない。
そのように発言したのは、厳しい労働環境におかれた人の現実を描くプロレタリア文学の代表とも呼ばれた葉山嘉樹さんです。
自分の求めるものに対して、はっきりとした答えを望むのが人間の性ではあります。
でも、はっきりと決まらないことがあるからこそ、人生や世の中はおもしろいということもあるのではないかと、この言葉が思わせてくれます。
『暴走車、止まる時まで急だった』という辞世の句を読みたいと思います大石あきこ

2026年1月山本太郎さんが多発性骨髄腫一歩手前の状態であるという診断を理由に議員を辞職することを受け、大石さんが出したコメントの一部です。
辞世の句というとこの世を去る前に最後に詠む俳句のことを指し、通常は本人が詠むのが一般的ですよね。
しかし、大石さんは山本太郎さんの辞世の句を詠んだことで話題になりました。
この時山本さんは大石さんの隣に着席しており、「ブラックジョークだ」とコメントしました。
こんな冗談も言い合える2人の信頼関係がかいまみえるやり取りでした。
何をやってもしかられる、何をやっても叩かれる

政治や社会で挑戦する難しさを端的に示している言葉ですね。
たとえば、新しい政策を提案しても、支持者からは「もっとこうすべき」と批判され、反対派からは「これでは足りない」と言われることがあります。
街のインフラ改善や子育て支援の制度を変えようとしても、「予算の無駄だ」と文句を言われたり、「十分じゃない」と非難されたりするのが現実です。
しかし、この言葉は諦めることを勧めるのではなく、批判を恐れずに行動する覚悟の大切さを教えてくれています。
完璧に評価されなくても、国民の暮らしをより良くするために挑戦を続けることが、政治家や社会での責任であり、前に進む力になるというメッセージが伝わってきます。
完全なる愛は「無我」のまたの名なり泉鏡花
小説だけでなく戯曲や俳句をてがけたことでも知られている泉鏡花は、『外科室』や『高野聖』などが代表的な作品として知られています。
そんな幻想文学の先駆者としても評価を受けている泉鏡花による、完全な愛がどのようなものかという考え方を表現した言葉です。
最大まで愛が大きくなったときは自分のことを考えなくなる、それは仏教における悟りの境地である無我と同じものではないかと語りかけています。
自分のことを考えているうちは愛も完全なものではなく、それを完成に近づけることが悟りにも近づいているのだと思わせてくれますね。
程よい怠けは生活に風味を添える。梶井基次郎
なんでもきっちりやらないと気がすまない!
と、常に肩に力が入っている方は、一度この言葉を読んでみてください。
こちらは『檸檬』や『城のある町にて』などといった作品を残した小説家、梶井基次郎さんの言葉です。
全てに対してきっちりとこなしていくことは、とても素晴らしいことです。
しかし、なんとなくそこにおもしろみを感じられない、満たされないと感じる方もいるはず。
そんなときは、この言葉のように少し怠けてみましょう。
怠けた中で、また何か違ったものが見えてくるかもしれませんよ!
こおろぎ芥川也寸志

昆虫の鳴き声について歌った童謡というと「虫のこえ」が有名ですが、そちらでは触れられていないコオロギをクローズアップしたのがこの曲です。
コオロギの兄弟が歌っているという内容ですね。
実際のコオロギは羽で音を出しているので厳密には「声」ではないのですが、声と言われる方が親しみが湧いて良いですよね!

