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昭和好きさんへ の検索結果(31〜40)

森永コーラス

昭和2年から販売された、森永コーラス。

乳酸菌飲料で甘酸っぱい味で販売当時は人気がある飲み物だったそうですよ。

雑誌の裏表紙に掲載されたコーラスを飲む姿を描いたポスターからは、当時の昭和の和風と洋風をおり交ぜた、モダンな様子が感じられますね。

ちなみに、販売当初のコーラスは瓶入りで希釈タイプだったそうです。

販売当初、瓶入りの希釈タイプは珍しく大注目されました。

多くの家庭で、愛用されたそうですよ。

ポスターからも、紙で包まれたコーラスが入った瓶の様子がわかりますね。

10月10日は銭湯の日です。銭湯の壁に描かれていることが多いものは何でしょうか?

10月10日は銭湯の日です。銭湯の壁に描かれていることが多いものは何でしょうか?

10月10日は銭湯の日。

近年は、サウナや岩盤浴、食事処などがあるスーパー銭湯が増えていますが、実は昔ながらの銭湯も「昭和レトロ」として最近若者に人気なんですよね。

こちらは、そんな銭湯に関する問題です。

銭湯の壁に描かれていることが多いものは何でしょうか?

答えは「富士山」です。

なぜ富士山が描かれているかというと、縁起の良いからだそうですよ。

とは言ってもそれは関東近辺に多く、西日本ではそれほどでもないようですね。

昭和20年代、女性の人気職業だったのはエレベーターガール、デパートガール、もう一つは何ガール?

昭和20年代、女性の人気職業だったのはエレベーターガール、デパートガール、もう一つは何ガール?

バスガール、今では聞き慣れない言葉でバスガイドのこと?

と思いますがガイドさんではなく、女性の車掌さんのこと。

当時はとても人気の職業で昭和32年には『東京のバスガール』という曲がヒットしました。

さらに女性の間でも、バスガールは人気がある職業だったそうです。

昭和の喫茶店や飲食店のテーブルには、ルーレット式の小型自販機が置いてありました。何の自販機だったのでしょうか?

昭和の喫茶店や飲食店のテーブルには、ルーレット式の小型自販機が置いてありました。何の自販機だったのでしょうか?

昭和の喫茶店や飲食店のテーブルには、ルーレット式の小型自販機が置いてありました。

その中身は、なんと「占いの結果」!

硬貨を投入してレバーを引くと中のルーレットが回転し、ロール状に巻かれた紙が出てくる仕組みになっていました。

昭和50年代には、星占いブームと喫茶店ブームのダブル流行によって、この小型自販機の製造数は年間20万台を超えていたのだそう。

平成に入ってからも、古い中華料理店などで見かけた記憶がありますが、現在ではなかなかお目にかかれない貴重なものとなってしまいました。

板垣退助 百円券

「B百円券」といわれている板垣退助百円券をご紹介します。

板垣退助が描かれた百円券の裏面には、国会議事堂が描かれています。

発行は昭和28年にあたる1953年の12月1日であり、昭和49年にあたる1974年の8月1日に支払停止されているようです。

板垣退助は「いたがきたいすけ」と読み、国会の開設を求めて、自由民権運動を活発に展開したことで知られています。

また、有名な言葉として「板垣死すとも自由は死せず」と発したことも印象に残りますよね。

昭和好きさんへ の検索結果(41〜50)

ハローキティ

平成から現在まで、世代を超えて愛され続けている「ハローキティ」。

1970年代に誕生したキティは、平成期には日常生活のあらゆる場面に浸透しました。

その愛らしいデザインは「平成レトロ」の象徴として、多くの人々の記憶に刻まれています。

ハローキティの魅力はまず、その“シンプルさ”。

小さなリボンと愛嬌ある表情という最小限の要素で構成されるデザインは、どの世代にも親しみやすく、また幅広いアレンジを可能に。

さらに時代のトレンドに合わせて、ハローキティは現在も進化を遂げているのが人気の秘密なんです。

二宮尊徳 一円券

もうひとつの一円券!

二宮尊徳一円券をご紹介します。

昭和18年に発行された武内宿禰一円券のあとに発行された二宮尊徳一円券。

発行が開始されたのは昭和21年にあたる1946年3月19日で、支払停止日は武内宿禰一円券と同じく昭和33年にあたる1958年の10月1日です。

ふたつの一円券のサイズも、やや異なるのが気になるポイントです。

二宮尊徳は「にのみやそんとく」と読み、江戸時代後期の経世家、農政家、思想家なのだそう。

ちなみに正確には「たかのり」と読むという説もあるようです。

東京の花売り娘岡晴夫

岡 晴夫/東京の花売り娘(本人歌唱)
東京の花売り娘岡晴夫

青い柳の芽吹く東京の辻に咲く、一輪の希望を描いた昭和21年の名曲。

岡晴夫さんの温かみのある歌声で紡がれるメロディは、戦後の混乱期にあった人々の心を優しく包み込みました。

柔らかな物腰で花を売る少女の姿を通じて、焦土から立ち上がろうとする東京の姿が浮かび上がります。

佐々詩生さんの詞と上原げんとさんの曲が見事に調和し、寂しさの中にも確かな希望が感じられる珠玉の一曲となっています。

本作は春の訪れとともに新たな一歩を踏み出そうとする人々の心情を、優美に描き出した珠玉の一曲です。

春の陽気とともに心温まるひとときを過ごしたい方にオススメしたい、心に染み入る名曲です。

昭和時代ではテレビは一家に何台だったでしょうか?

昭和時代ではテレビは一家に何台だったでしょうか?

みなさんのお宅には、テレビは何台あるでしょうか?

最近は一人1台と言っても過言ではないようですよね。

昭和時代ではテレビがたいへん高価なときがあり、一家に1台でした。

家族が多いご家庭だとチャンネル争いもあったそうですよ。

テレビが普及されたばかりの頃は、テレビを購入した近所のご自宅にみんなで見にいった話も残っています。

昭和42年に日本で始めて「動く歩道」が設置されたのはどこでしょうか?

昭和42年に日本で始めて「動く歩道」が設置されたのはどこでしょうか?

今も梅田にある動く歩道「ムービングウォーク」は昭和42年、1967年に設置されました。

設置された理由として、駅設備移転にともなう他鉄道との乗り換え不便解消だそうです。

その3年後に大阪万博が開催されて有名な存在に。

今現在でも日本で一番大きな動く歩道として知られています。