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昭和レトロ の検索結果(51〜60)

リカちゃん人形

【歴代シリーズ】歴代リカちゃんハウス、Successive Rika-chan Houses(English subtitles)
リカちゃん人形

かわいい洋服の着せ替えができる、リカちゃん人形は昭和47年に発売されました。

当時日本では、外国の型をモデルにした大きなサイズのお人形がメインだったそうです。

そこで、日本の住宅に合った大きさのドールハウスと、それに合うサイズの着せ替え人形として、リカちゃん人形が販売されました。

現在でもリカちゃん人形とおうちセットなどは、子どもの心をつかみ続け人気がありますよ。

リカちゃん人形をよく見ると、両目が実は左に流れています。

販売当初に、昔から人形の目は左右どちらかを向いているので、リカちゃんもそうしてほしいと開発側からの意見があったそうです。

そこから左に流れた目になっていますよ。

行商

ふるさと歴史館シリーズ34「行商」
行商

行商は昭和の暮らしを支えていた身近な仕事の一つで、魚や野菜、豆腐、薬などを担いだり、自転車やリヤカーに積んだりして各家庭を回って商品を販売していました。

近所にお店が少なかった時代には欠かせない存在で、多くの家庭が行商の訪問を心待ちにしていました。

品物を買うだけでなく、世間話を交わしたり、近況を伝えあったりする情報交換の場としても機能していましたが、現在ではスーパーやインターネット通販が普及し、行商の姿を見かける機会はなくなってしまいました。

だからこそ、当時を振り返ることで、昭和ならではの生活の工夫や温かい人のつながりが感じられるのかもしれませんね。

昭和を代表するシリーズ作品『男はつらいよ』の初代ヒロインは?

昭和を代表するシリーズ作品『男はつらいよ』の初代ヒロインは?

映画『男はつらいよ』は昭和を代表するシリーズ、渥美清さんが演じる主人公の寅さんの姿とその周りで起きる騒動が描かれていますよね。

そんな『男はつらいよ』といえば、寅さんとヒロインの関係も物語を盛り上げる大切なポイントですよね。

さまざまなヒロインが登場する中で、最初のヒロインである坪内冬子を演じたのは誰でしょうか。

寅さんのおさななじみであり、その後の作品にも登場するというヒントで、姿が思い浮かぶ人もいるかもしれませんね。

答えは光本幸子さん、『男はつらいよ 奮闘篇』や『男はつらいよ 寅次郎の縁談』にも登場しています。

スーパーボール

伝説のスーパーボール職人/なくなりつつある昭和の人情。
スーパーボール

アメリカで昭和40年に開発されたスーパーボールは、翌年日本でも発売され大ブームとなりました。

スーパーボールは、とても弾むボールなことが人気の理由だったようです。

現在でも色とりどりのスーパーボールを、お店や遊ぶ道具として見かけることもあるかと思います。

スーパーボールといえば、スーパーボールすくいを連想する方もいるのではないでしょうか?

金魚すくいの要領でスーパーボールをすくう姿は、お祭りや縁日などの出店でよく見かける光景ですね。

ゲイラカイト

【昭和のテレビ】【No.51】CM編 ヒューストンからやって来たゲイラカイト 飛べ飛べ 天まで飛べ【懐かしいCM】
ゲイラカイト

ゲイラカイトは、1970年代にブームとなったたこです。

たこにあるしっぽがなくても安定して空を高くまで上がることが特徴ですよ。

ゲイラカイトの形状は、ロガロ翼といったNASAの前身である、NACAの元開発者が発明した形状です。

ビニールとプラスチックのフレームといった軽量な作りですが、風にのると空をみんなが驚くほど高くのぼる理由です。

さらに、目玉のデザインも販売当時はインパクトが大きかったようですね。

現在でも販売されており、真っ白のゲイラカイトに、自分でイラストやデザインをするタイプもありますよ。

昭和レトロ の検索結果(61〜70)

1970年代の東京

1970年代の東京 [50fps HD] Tokyo in the 70’s | 昭和48年 (1973年)頃 / circa 1973
1970年代の東京

1970年頃といえば高度成長期、みなさんがよくご存じの『マクドナルド』が日本に初出店したのも1971年の事でした。

この頃には「東京タワー」、日本初の超高層ビル「霞ヶ関ビルディング」はありましたが、現在当たり前となった高層ビル郡の姿はほとんどありませんね。

「え?

ここって本当に東京?」と疑問に思われる方も多いのではないでしょうか。

日本の大都会と呼ばれる東京も、このような昭和を象徴する街並みの頃もあったんですよね。

昭和歌謡クイズ

脳トレ ¦ 昭和の歌クイズ 昭和歌謡 高齢者
昭和歌謡クイズ

歌が好きな方にチャレンジしてほしい!

昭和歌謡クイズのアイデアをご紹介します。

好きな昭和歌謡といえば、何を思い出すでしょうか?

さまざまな曲と一緒に思い出話に花を咲かせるのも楽しそうですね。

今回は、昭和歌謡クイズに挑戦してみましょう。

「歌を聴くのが好きだった」「歌うことが好き」という方には、ぜひ正解を目指してほしいですね。

例えば「さざんかの宿を歌ったのは誰でしょう?」という問題が出題されています。

3つの選択肢から選んで答えられるので、気軽に取り入れてみてくださいね。

昭和時代に、小学生の将来なりたい職業の上位だったものはなでしょうか?

昭和時代に、小学生の将来なりたい職業の上位だったものはなでしょうか?

昭和時代は野球が人気を集めていました。

ゴールデンタイムでプロ野球のテレビ中継していたそうです。

特に昭和50年代には、テレビアニメや漫画で野球を題材にしたものが人気を集めました。

そのため、プロ野球選手に憧れを持つ子供たちも当時は多かったのかもしれませんね。

ある屋内のスポーツが大人気となった昭和30年後半から昭和40年代。スポーツとは何でしょうか?

ある屋内のスポーツが大人気となった昭和30年後半から昭和40年代。スポーツとは何でしょうか?

答えとなるスポーツ、高齢者の方もこのブームに合わせて若い頃よくやったという方も多いかもしれませんよ!

さて、そのスポーツとは一体なんなのでしょうか。

ヒントは、重いボールを使うスポーツだということ、ある的に向かってそのボールを投げるということなど。

答えは、ボウリングです!

当時は全国に3500をこえるボウリング場があり、マイシューズやマイボールを持っている人も少なくありませんでした。

須田開代子さんや中山律子さんといった、スター選手も数多く生まれました。

1970年代に、須田開代子選手や中山律子選手が活躍し、人気があったスポーツは何でしょうか?

1970年代に、須田開代子選手や中山律子選手が活躍し、人気があったスポーツは何でしょうか?

1970年代に東京を中心に一大ブームを巻き起こしたスポーツといえば、「ボウリング」!

美人プロボウラーとして人気を博していた中山律子選手、須田開代子選手、石井利枝選手は「花のトリオ」と呼ばれ、スポーツ選手としては異例の週7本のレギュラー番組に出演しながら活動を続けていたのだそうです。

ボールを転がしてピンを倒すというシンプルなルールで、老若男女問わず幅広い層から愛され続けているボウリング。

若かりし頃、夢中になっていたことを懐かしく思い出される方もいらっしゃるかもしれませんね。

1960年代の大阪

1960年代の大阪、梅田周辺では整った街並みに大勢の人が行き交う様子が印象的です。

御堂筋線梅田駅の出口から続く歩道には洋装の人々が次々と姿を見せ、駅前の広がりとともに都市のにぎわいが感じられます。

阪急百貨店の堂々とした外観や中央郵便局の建物など、当時のランドマークも街の景色に溶け込んでいました。

御堂筋では路面電車がゆっくり進み、車やバスもすぐそばを走り抜けて行きます。

人の流れと交通の動きが自然に重なり合っていて、昭和の大阪が持っていた都会らしさと勢いが穏やかに伝わってくる映像です。

10月10日は銭湯の日です。銭湯の壁に描かれていることが多いものは何でしょうか?

10月10日は銭湯の日です。銭湯の壁に描かれていることが多いものは何でしょうか?

10月10日は銭湯の日。

近年は、サウナや岩盤浴、食事処などがあるスーパー銭湯が増えていますが、実は昔ながらの銭湯も「昭和レトロ」として最近若者に人気なんですよね。

こちらは、そんな銭湯に関する問題です。

銭湯の壁に描かれていることが多いものは何でしょうか?

答えは「富士山」です。

なぜ富士山が描かれているかというと、縁起の良いからだそうですよ。

とは言ってもそれは関東近辺に多く、西日本ではそれほどでもないようですね。

東京物語

「東京物語」は1953年に作られた小津安二郎監督の作品です。

静かな日常にある“家族の真実”派手な事件はなく、老いた両親と都会で暮らす子どもたちのすれ違いを淡々と描きます。

その静けさの中に、家族の愛情・寂しさ・時代の変化がにじむのが魅力です。

戦後日本のリアルな風景と空気昭和の東京・尾道の街並み、畳の部屋、ちゃぶ台のある生活など、当時の日本の“本当の姿”が丁寧に映し出されています。

派手さはないのに、見終わると胸に沁みるのが特徴です。

普遍的なテーマ親と子の距離、老い、家族の絆と孤独など、昭和だけでなく、今を生きる人にも共感できるテーマを描いています。

1970年(昭和45年)公衆電話の市内通話料が3分10円になりました。以前はどのような料金形態だったでしょうか?

1970年(昭和45年)公衆電話の市内通話料が3分10円になりました。以前はどのような料金形態だったでしょうか?

外出先で電話をかける際には欠かせなかった公衆電話、時代が進むにつれて目にする機会も減ってきましたね。

利用する機会が減ったからこそ、料金のイメージも薄れてきているかと思いますが、3分で10円という料金設定です。

そんな3分10円という料金は、1970年から変わったもので、その以前は違う料金でした。

では1970年より前にはどのような料金で公衆電話が使用できたのでしょうか。

答えは「1回につき10円」、10円さえ支払えば無制限、時間を気にせず電話がつなげたので、長時間にわたって独占した人が多かったというエピソードも含めて知っておきたいですよね。

昭和20年に宝くじが初めて発売されました。ハズレくじ4枚と当時はあるものが交換できました。あるものとは何でしょうか?

昭和20年に宝くじが初めて発売されました。ハズレくじ4枚と当時はあるものが交換できました。あるものとは何でしょうか?

宝くじが初めて販売されたのは、終戦直前の昭和20年7月。

販売価格は1枚10円、1等は10万円だったそうです。

当時はハズレくじ4枚とあるものが交換できるシステムでしたが、そのあるものはなんとキンシと呼ばれていた「タバコ」10本だったんです!

お酒ならまだしも、賞品や景品にタバコがついてくるくじなんて、現代では想像もつきませんよね。

おぼえていらっしゃる方にとっては、時代の変化を感じる懐かしいエピソードとなることでしょう。