アイドル歌詞の対立と転換の手法について考えてみた
「歌詞は音があって初めて活きるもの」そのような趣旨のことを、秋元康さんがどこかで言っていました。
「曲先だから書きたいものが書けない」なんて言っていたらいつまでたってもいい歌詞は書けなさそうです。
今回は対立や転換と、わりと昔からある手法について考えてみました。
お手本神曲 チームしゃちほこ「抱きしめてアンセム」
作詞は浅野尚志さんです。
対立とポエジー
独断のイメージからすると「アンセム」は応援や特別な場を盛り上げるための音楽、歌、メロディーのこと。
本来の意味や語源は調べていただければと思います。
最近では歌手やバンドの代表曲のこともアンセムと記す記事もあります。
分かりやすく言うなら、ロッキーのテーマは感動の凝縮点、クライマックスを象徴するアンセムであり、クイーンの「ウイ・アー・ザ・チャンピオン」は勝利者をたたえるアンセムです。
サッカー場や野球場で試合中、試合後に流れるチームの応援歌(サッカー通は「チャント」と言うらしいです)も立派なアンセムになるでしょう。
ここで取り上げる「抱きしめてアンセム」ではアンセムが1曲を貫くキーワードとなっています。
比較的強く熱い言葉であるアンセムをさらに抱きしめるのだから、野望や希望を絶えず胸に秘め続ける、ファイティングスピリッツ(座右の銘にも似たようなもの)の比喩として使われているのでしょうか。
作詞家はこの「ようなもの」を具象化するか抽象化するかの違いはあるものの、比喩を他の事象に置き換えて歌詞という物語(ストーリーの意味ではなく)をつむぎます。
そこでポエジーとの関連を考えます。
アイドルの歌詞にポエジーは必要ないという熟考を怠った(?
)意見もありますが、歌詞に恣意的(しいてき)な人間性や社会性を加味することはアイドルの歌詞に限らずポジティブに連想的な物語であって、そこには少なからずポエジーは関係するものと考えるのが普通です。
無作為に抽出された乱数表の数字にさえ、簡素で湿り気のないポエジーを見出すことも可能かもしれません。
ただし、それがいい歌詞になるかどうかは別の話です。
この楽曲には、愛でもない、恋でもない、人生諭しソングでもない、意地らしいまでの「負けてなるもんかっ!」の体育会系ノリが根底に流れています。
アイドルという新鮮な華やぎを極力抑えて、ファンの心を揺さぶる独断の作、まさしくアンセムと言ってもよいと思うのです。
- 文系…清楚、お嬢様。
乃木坂46系統
- 体育会系…汗、情熱。
モモイロクローバーZ系統
君ならできると言ったのに やり方は教えてくれない
ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」を思い出しました。
特にストーリーが似ているとの意味ではないです。
憤懣(ふんまん)とするエネルギーは十分にあるがその使い方が分からない、思春期に多く見られるやり切れないパワーの落し所に関する葛藤。
学校の先生が口にする「頑張ったら志望校に合格するよ」、先輩が口にする「とにかく頑張ってみれば」のような一見的確なアドバイスに見えるこの軽い突き放し、若者はいつの時代にもこの突き放しにいらだちを覚えるものです。
軽い葛藤こそポエジーの源です。
恋愛うんぬんとは別の位置にある作品では、歌詞を書く上で「対立」は大切な要素の1つです。
「アンパンマン」や「タイタニック」でさえも善悪や貧富の対立が描かれています。
対立があれば自然と物語が生まれ、歌詞の大筋が決まります。
よくある対立の構図として、
- 思春期の子どもと大人
- 田舎と大都会
- 自由と束縛
などが挙げられます。
いずれにしても「けがれなきものとけがれているもの」の対立構図の置き換えです。
田舎から上京して来た、自由な、思春期の少年はけがれなき存在で、束縛の多い大都会で能面顔で生きる大人は汚れたものとして登場します。
ベタですが、感動を生む歌詞はこの対立をベースに書かれていることが多いです。
小室哲哉さんや長渕剛さんの楽曲によく見られる歌詞のひな型です。
「君ならできると言ったのに……」の歌詞が出てくるまでに「あいつ」が出てきて、すぐ後ろには「わたしたち」が出てくるので、これらの人称代名詞は特定された誰かではなく、英語でいうところの一般的な人たちを表す「they」や「one」のたぐいと受け止められます。
この特定のあなた(人)を決めないで進める物語感も昔からある歌詞のひな型です。
「僕ら、僕たち」と言っても歌っている歌手のことではなく、その多くは若者代表である「僕たち」を意味しています。
自分が若者代表だと思って青年の主張みたいなことを書く、それだけで流行の歌詞ができ上がるかもしれません。
パロディー
お前のものは俺のもので 俺のものは俺のものって不条理
「お前のものは俺のもの 俺のものは俺のもの」は、ご存じ「ドラえもん」に出てくるジャイアンの有名なセリフのパロディー。
軽やかなパロディーをかぶせるのも嫌みではないと思います。
歌詞中の、
Don’t Think Feel
はブルース・リー「燃えよドラゴン」のセリフの引用。
歌の最後にも、
「あいつをたずねて三千里」
も、歌詞の流れに距離に関しては出てこなかったので、こちらは「母を訪ねて三千里」のパロディーかではないでしょうか。
小さなパロディーを見つけた時の、クスッ、との微笑がファンの心を快適化させます。
分かる人だけが分かるうれしさ、喜び、細かなくすぐりがこの楽曲の楽しさの1つです。
パロディの語感が少しコミカルな印象を与えるので言葉をオマージュだ、フューチャリングだと取って付けたようなものに変えても同じです。
チームしゃちほこは他の楽曲にも、事務所の先輩アイドル、ももいろクローバーZへのオマージュやフューチャリングがよくちりばめられていて、それらに気付いたファンがザワザワと騒ぐ、拡散する、までが売り手の計画だと思います。
足りない足りない モノたんない ゴールはまだまださWinding Road
足りない足りない モノたんない 勝つまで終わらせない!
上記以外のカ所の歌詞「戻るつもりだって毛頭ない」「経験に学べおバカでケッコー」「出る杭打たれてたまるもんか」に見られる力強さはこの楽曲だけに見られる特徴ではなく、このチームしゃちほこというグループ全体が持っているバイタリティーの大きさです。
かわいさやダンスのうまさが多少見劣りしても、アイドルにとって大切な熱量で比べるならば、現役アイドルの中でもトップクラスでしょう。
さらに気になる歌詞、を書き出すと、
- 完成形はまだ未定
- 自分が一番いいじゃない?
- 私は私でいたい
に散見できる自分大好き、自信過剰な女の子像もこのグループにぴったりです。
大人の部分と子どもの部分をあわせ持った思春期の少女が持つあざとさも意地らしくかわいいのです。
「流行なんて関係ないよ」と表では言いながらも、誰よりも流行に敏感でなくてはならない日本人、特に若者にはグッとくる歌詞ではないでしょうか。
学校や会社では本音と建て前を巧みに使い分けないと生きてはいけません。
建前という仮の自分が、もやもやとしながらも日常生活を送る中、本音だけでぶつかって来る歌詞に出会うと「ハッ」とするのは当たり前のことだと思います。
誰もが思っている一般論であっても本音は人の心を打ちます。
1曲全てをトゲトゲしい本音だけで書き上げるとちょっと聴くのがしんどい歌詞になります。
その意味では、本音は歌詞のスパイスなのかなと思います。
お手本神曲 東京女子流 「おんなじキモチ」
黒須チヒロさんの作詞です。
転換、歌詞的脈絡とは
東京女子流は、あえて書きませんが、大きな組織のアイドルグループです。
アイドルの世界では古株に部類するほどのキャリアにもなりました。
「そろそろブレイク」「来年は勝負の年」と言われ続けてメンバーの平均年齢も上がってきました。
ドームツアーをするほど人気があるわけでもなく、紅白歌合戦に出るほどの知名度もありません。
ミリオンヒットがあるわけでもありません……とネガティブなことばかり並べてしまいましたが、胸を張って言えることは、それでもいい楽曲がそろっているということです。
もっともっと知ってもらえればなあと思うのです。
1番の歌詞、
たくさん笑った日は すごくお腹がすくね
2番の歌詞、
たくさん泣いた夜も すごくお腹がすくね
1番、2番とメロが変わっていないので韻を踏んでいます。
並べてみると三好達治の「雪」の
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
のようにも思えます。
笑ったり泣いたりして感情を消費した後の空腹感は若さの証なのかな、と感心しました。
何でもない澄んだ歌詞が聴く人の胸の内にスッと入り込みます。
ドラマでよくある純真無垢なヒロインでないと成り立たないセリフ「ホッとしたらお腹が空いちゃった」も同じベクトルなのでしょう。
これが大人なら一生懸命働いた→消費カロリーの対価としてお腹が空いた、と理詰めな「→」が示されます。
理詰めでない言葉の例としましては、俵万智さんの短歌
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
もその部類でしょう。
七月六日の日付と「この味がいいね」と言ったその間には感覚しかなく、論理的な関係性はありません。
鑑賞を心に迫らなくても「理詰めでない歌詞」と少し意識するだけでずいぶん変わると思います。
言葉の印象を脳が理解しなくても心がきちんと整理してくれます。
例えば、本当に思い付きですが、
- 虹から宇宙の紙吹雪 It’s no ホワイト ワールド 君のことを思うたび
- 森羅万象 因果応報 イノシシの中 世論が駆ける
などの歌詞があったとします。
世間的な狭い日本語のコンセンサンスなんて必要ありません。
歌詞は用件を伝えるメモではないと思いますので。
解釈がたくさんある楽曲も楽しいと思います。
あとは神メロディーがどうにかしてくれるだろう、くらいの開き直りも時には必要です。
「時には」です。
もし歌詞に行き詰っているのなら、今まで書いてきた、「お前が好きだ→そのお前の黒髪も→そのお前の微笑みも」という安定志向の歌詞を飛び出て、「お前が好きだ→爆発した大都会→100万個の指輪を降らすよ」も悪くはないかと思います。
せっかく転換するのにお話が起承転結の中に納まっていてはもったいないと思います。
匂いと恋心
芝生に寝転んだら 緑の匂いがフワリ
鑑賞に強制されることは何もありません。
芝生の匂いではなくて緑の匂いであるところが歌詞であり、詩なのだと思います。
音符のない場所で読み解きすると、音と歌詞がこすれ合いながら、きらめいている様子を耳にはできません。
1分でいいので上に掲載された動画を観て欲しいです。
この歌詞のきらめき、東京女子流のきらめきが伝わる瞬間がそこにはあると思います。
宇多田ヒカルさんの「First Love」の歌詞に
最後のキスはタバコのflavorがした
があります。
「タバコの匂いがした」と書かないところが才能ではないでしょうか。
しかし和訳した、この「匂いがした」のフレーズは人間の五感の1つであるものの、他の感覚に比べれば歌詞に使われることが少ないです。
視覚や聴覚ににいろんな表現があるのに比べて、恐らく嗅覚「匂いがする」にはバリエーションが少ないからでしょう。
- 懐かしい匂いがした 「ら・ら・ら」大黒摩季
- ぬるい風と少し夏の匂い 掛け違えた季節が 「ともだちがいない!」negicco
- キミの匂いが シャンプーと 混ざり合って 「ツヨガリ・ファンファーレ」Lisa
具体的にある特定の匂いが定まっている「せっけんの匂い」や「チョコの匂い」とするよりも、「夜の匂い」「別れの匂い」などと限定されないあやふやな匂いの方が歌詞に広がりを持たせることができると思います。
事柄の具体性だけが的確な歌詞ではないです、匂いは限定され答えが分かった瞬間に消えてしまう感覚だと思いますので。
アイドルの楽曲の多くは男と女の恋の機微によって成り立っています。
(Woo Let’s get together now) ちいさな奇跡
(Woo Let’s get together now) おんなじキモチ
この「おんなじキモチ」は大きなメリハリを付けていない楽曲の部類になるでしょうか、「Let’s get together now」のキラーフレーズがかわいい呪文のように繰り返されます。
「ちいさな奇跡」「おんなじキモチ」は、平仮名で表記された「ちいさな」、「同じ」ではなく「おんなじ」、「気持ち」ではなく「キモチ」、どれも意図的に選ばれた言葉でしょう。
そう思うと私たちの使っている日本語、特に話し言葉は私たちが思っている以上に変化に富み、にごっているのだあと思います。
アイドルが見せてくれる幻の世界に登場する無垢な言葉を目にするたび、アイドルに選ばれ書き留められた言葉は美しいのだなと思います。
大スキなキミがそばにいる それだけで大丈夫 どんな問題も解ける
弱いWi-Fiと同じく人の気持ちも不安定なもので、誰かがそばにいてくれるだけで勇気づけられることも数多くあります。
「家族が支えてくれたから頑張れました」や「ファンの声援がなければどこかでくじけていたかもしれません」はただのリップサービス、社交辞令ではなく、「目に見えない不思議な力に後押しされた」という本音だと思うのです。
この楽曲での不思議な力はスバリ恋心。
付き合っている彼氏彼女、はたまた付き合ってはいなくても片思い相手、その人のおかげで頑張れる、恋心に支配されたいかにも予定調和な歌詞ではありますが、私は良い歌詞だなと思っていつも聴いています。
米米クラブの、
たとえば君がいるだけで心が強くなれること
がベースにあるのでしょうか。
あってもなくても、この恋心で書ける歌詞の裾野はまだまだ広いと思います。
恋心に動かされて困難に立ち向かうドラマや映画は掃いて捨てるほどありますが、どれもこれも最後にほろっとさせられる話に仕上がります。
ドラマや映画でいまだにこのパターンが通用しています。
そんなベタなラブストーリーのベースにも新しい歌詞が潜んでいると思いますが、どうでしょうか。