子供のころから活躍している演歌歌手まとめ
演歌の世界といえば、「人生の酸いも甘いも噛み分けた大人の世界」というイメージをお持ちの方も多いのではないでしょうか?
。
しかし、中には幼い頃から演歌歌手としてデビューして、幅広い分野で活躍している方もいらっしゃいます。
この記事ではそうした子供のころから活躍している演歌歌手を紹介していきますね!
子供ならではの純粋無垢な歌声や仕草のかわいらしさなど、たくさんの魅力がありますので、ぜひこの機会に彼らの魅力に触れてみてください。
子供のころから活躍している演歌歌手まとめ
嫁にこないか新沼謙治

新沼謙治が歌手になるきっかけは、この時代のスターへの登竜門「スター誕生」ですが、予選で4回も落ち、5回目で合格した根性の持主です。
でも最後の決戦大会では男性では最高の17社が新沼謙治をスカウトしました。
東北訛りのやさしい感じが新しい、演歌アイドルを生み出しました。
おんなの出船松原のぶえ

演歌歌手の方って結構九州出身が多いですね。
松原のぶえも九州は大分県の出身です。
素直でクセのない歌声で、演歌歌手の実力派の1人ですが、幼少期から腎臓障害があったそう。
年齢を重ねると共に、ひどくなり、コンサートやキャンペーンなどがある場合は周囲に透析を受けられる病院を探しての活動をしていました。
今では弟からの腎臓移植で、第2の人生を歩まれてます。
せんせい森昌子

13歳の森昌子は郡を抜いての歌唱力でしたが、本格的な演歌を歌い始めたのは、1977年の「なみだの桟橋」あたりからです。
恩師の作詞家である阿久悠からは、「歌は上手く歌うな」と「今の自分を出して歌え」とのお言葉を頂いたそうで、確かに13歳時のド演歌ってちょっと引きますね。
涙を抱いた渡り鳥水前寺清子

威勢のいい歌声と着流しの着物は男姿で、あっという間にスターになりました。
その後はNHK紅白歌合戦の司会や先日、記憶に残るTVドラマの1位に輝いた「ありがとう」の主演として女優としても活躍しています。
女優業はご本人は頑なに「歌が売れなくなるから出ない」とオファーを断り続けたのですが、プロデューサーの執拗な誘いに根負けした形でしぶしぶ承諾した経緯があります。
箱根八里の半次郎氷川きよし

昭和の時代はJ-POPと演歌が上手く重り合い、どちらも流行歌として世に出ていました。
この時代にデビューした演歌歌手の方は、実力派として今も第一線で活躍されている方も多いですが、若手のホープとして2000年にデビューした氷川きよしは、ルックス、実力ともに低迷していた演歌界を盛り上げた貢献者です。