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Pablo Haiku の検索結果(71〜80)
町中がゆうやけ色にそまってく
夏休みは外に出て遊ぶことも多く、夕方を感じたタイミングを家に帰る合図にしている場合もあるかと思います。
そんな夕方に向かって少しずつ時間が過ぎていく様子、それを感じる風景を表現した俳句です。
夕方の太陽は昼間の太陽とは色が違うので、町がその色に染まるという表現から、独特な雰囲気がイメージされますよね。
徐々に町の色が変わっていくという描き方だからこそ、時間が少しずつ流れていく様子が強調されているような内容です。
薄暑来ぬ 人美しく 装へば
昭和を代表する女性俳人の星野立子が詠んだ俳句です。
薄暑と書いてはくしょと読みますが、5月初旬の立夏を迎えてから下旬頃までの時期を指します。
ぽかぽかと暖かな春が過ぎ、暑さを感じられる頃のようです。
星野立子がパリに行ったときのことを詠んだもので、パリの街に1人だけ着物を着ている様子だそうですよ。
暑さを感じられる時期の着物姿からは、りんとした美しさを周りの方も感じていたことでしょうね。
さらに異国の地の風景に、着物が映えていた様子も感じ取れる俳句です。
鏡餅 暗きところに 割れて坐す西東三鬼
鏡餅に象徴される年神様や季節の移ろいを静かに見つめながら詠んだ俳句です。
「鏡餅」とは正月に飾る餅で、新しい年の豊かさや無事を願うものですが、「暗きところに割れて坐す」とあるように、光が届かない場所でひっそりと置かれ、少しだけ割れている様子が描かれています。
西東三鬼は、完璧ではないものにも年の終わりの趣や人生の現実を感じ、ありのままの姿に美しさや哀愁を見いだしたのでしょう。
静かに鏡餅を眺めると、季節の終わりと来る年への思いをしみじみ感じさせる一句です。
メランコリコ(Melancólico)Julian Plaza

いかにもアルゼンチンタンゴらしいメロディながら、スペイン語圏を中心に数々のヒット曲を生んできたフリアン・プラサ。
こちらの『Melancólico』は、激しいパートと静かなパートの差が激しく、情熱的な雰囲気とともに秀逸な抑揚も楽しめる1曲となっています。
三月の 甘納豆の うふふふふ坪内稔典
現代俳句のパイオニアとも呼べる俳人、坪内稔典さんの作品です。
この俳句は国語の教科書にも掲載され、坪内さんの代表作として知られています。
季語は春を示す「三月」で、春に口にした甘納豆への喜びを詠んでいますよ。
この作品以外にも「甘納豆十二句」と呼ばれる、全ての月で甘納豆を詠んだ句を発表しています。
よほどこだわりがあるのでしょうね。
その中で本人もお気に入りというこの三月の句は、最後の「うふふふふ」が特に印象的ですね。
音声をそのまま活字化したものはめずらしく、捉え方も人によって変わるのが面白いです。
竹の川 そうめんたちの きょう走だNEW!
最近は流しそうめんを気軽にできる商品が販売されていますが、昔は竹を切って道を作りそうめんを流していましたよね。
この俳句ではその懐かしい様子が目に浮かびます。
竹の川、そしてきょう走という着眼点が面白く、思わず「捕まらずにゴールにたどり着けるのは誰かな」と想像して楽しんでしまう作品ではないでしょうか。
ゴールはおそらくバケツ……と考えてしまった私はつまらない大人になってしまったようです。
ちょっと悲しくなってしまいました。
ブエノスアイレスの夏(Verano porteno)Ástor Piazzolla

「リベルタンゴ」を作曲したアストル・ピアソラの代表作品で、組曲「ブエノスアイレスの四季」のなかの一曲です。
ピアソラのタンゴはジャズやクラシックの要素を取り入れこれまでにないタンゴを生み出してきた一方で、一時は「踊れないタンゴ」と言われてピアソラの音楽性は評価されていませんでした。
いまでは数多くのアルゼンチン・タンゴ・ダンサーに踊られるようになり、ハード・ボイルド映画のBGMにも似合いそうな楽曲です。
組曲「ブエノスアイレスの四季」では、「ブエノスアイレスの冬」も有名で合わせて聞いてみてください。
日本が ここに集まる 初詣山口誓子
信仰心と行事がちぐはぐだとたまに指摘を受ける日本人。
クリスチャンでもないのにクリスマスに大騒ぎすることなどは典型的なその1つ。
そういう意味では神道とは縁のない人でも神社に初詣に出掛けますね。
ちなみに初詣の人出ランキング1位は明治神宮で約300万人らしいです。
人は人が集まる所が大好き?
なのかなと、この俳句はやや一歩引いた場所から詠まれている、そんな気もしますよね。
俳人の山口誓子さんは昭和初期に活躍した「ホトトギス4S」の1人。
この句の他「ピストルがプールの硬き面にひびき」の句も有名です。
草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家
こちらの句は松尾芭蕉が奥の細道で詠んだ句のひとつです。
芭蕉が旅に出るにあたり、今まで住んでいたぼろぼろの家を出ようとしていますが、またこの家にも新しい人が住み、おひな様などを飾ったりするのかなあという句です。
芭蕉という、華やかさがない年齢も高い男性が住んでいた家ですが、おひな様を飾るということは小さい女の子がいる家庭が住むのかもしれません。
この変化も、冬から春へという季節の移り変わりを感じさせますよね。
当たるかなアイスのぼうをまたなめる
暑い季節は冷たい食べ物がほしくなるもので、アイスはその中でも定番の食べ物というイメージがありますよね。
そんなアイスの中でも当たりがついたものに注目、おいしさの先にある当たりへも期待感も表現していく俳句です。
当たりは棒に書かれているので、アイスをなめながらその先に理想があるのかという考えを描いています。
「また」という言葉も注目のポイントで、当たりを目指して何度もアイスを食べているということが伝わる表現から、ついアイスを食べてしまうような暑さも表現されているような印象です。
Pablo Haiku の検索結果(81〜90)
暮まだき 星の輝く 枯野かな与謝蕪村
江戸時代中期の俳人である与謝蕪村は大阪に生まれ、江戸に出たのち、最終的には京都に定住しました。
絵画を描く人としても知られており、そのためか景色の描写がとても美しい絵画的な俳句を詠まれるのかもしれません。
暮れまだきとは、暮れるにはまだ少し間のある時分のことを指します。
暮れゆく空に少しずつ星が現れ始め、その下には枯野が広がっているという情景は美しく、枯野と星の対比や、そのころの空気感まで感じられる俳句ですよね。
野に出れば 人みなやさし 桃の花高野素十
法医学者でもあり、俳人でもある高野素十は大正から昭和にかけて活躍しました。
「野に出れば 人みなやさし 桃の花」の俳句では、春の陽気のなかで多くの人が優しく笑っていることだとあります。
確かに、春の暖かな日の中では心も穏やかになり笑顔になる方も多くなりますよね。
ですがこの俳句が詠まれた背景を考察すると、また違ったニュアンスに。
高野素十はこの俳句を詠んだ時に、単身でドイツ留学中でした。
知っている人がいない中、ドイツの田舎に住む方との交流が嬉しかったことも伝わってきますね。
そぼの家今年も出会った牛がえる
夏休みに遠方に住んでいるおじいちゃんやおばあちゃんの家に行くという人も多く、そこでは普段とは違った風景が広がっていますよね。
そんないつもとは違う風景を夏の時期には体験しているというところを、そこでであう生き物をテーマに描いた俳句です。
ここで登場するのはウシガエルで、この表現から豊かな自然がイメージされ、それによる夏のさわやかな風も感じさせます。
「今年も」というところで、ウシガエルの声を毎年聞いていること、これで夏を感じているのだということが伝わってくる内容ですね。
俳句を楽しく読んでみよう

全編手話で学ぶ!
俳句を楽しく読んでみようのアイデアをご紹介しますね。
日常的に手話を活用する人や手話を学んでいる最中という方にオススメしたいアイデアです。
動画の中では、江戸時代の俳諧三大巨匠の1人といわれる小林一茶の俳句を紹介しながら、季語について学べる内容となっていますね。
手話で俳句をどのように表現するのか知りたいという方は、学びを深められるのではないでしょうか?
ぜひ、この機会に取り入れてみてくださいね。
初時雨 猿も小蓑を 欲しげなり松尾芭蕉
霧雨や長雨など日本には雨を表現する言葉が、400以上もあるそうです。
かつての日本人は、雨が降ることも楽しんでいるかのように、たくさん雨を表現する言葉があります。
俳句でも雨を表現する言葉は季語になっていることが多いようです。
松尾芭蕉が詠んだ「初時雨 猿も小蓑を 欲しげなり」も、初時雨が季語となっていますよ。
初時雨の意味をみなさんはご存じでしょうか?
時雨は秋の終わりから冬の初め頃にパラパラと降る雨のことです。
ですので俳句では、旅の途中にその年初めて、秋の終わりから冬の初め頃にパラパラと雨が降りました。
趣を感じ、しばらく雨宿りをしていると、猿も近くの樹の上で雨を寒そうに見て、小さいみのを欲しそうにしているとの意味になります。

