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昭和ネタ の検索結果(51〜60)

聖徳太子 千円券

「B千円券」といわれている聖徳太子千円券をご紹介します。

百円券としても描かれていた聖徳太子ですが、千円券としても活躍していました。

発行は昭和25年にあたる1950年の1月7日であり、昭和40年にあたる1965年の1月4日に支払停止されました。

紙幣の表面には聖徳太子が描かれており、裏面には法隆寺夢殿を描いています。

聖徳太子は他にも紙幣のデザインとして取り上げられることが多く、日本の歴史でいかに偉大か改めて感じさせられますよね。

日清チキンラーメン

チキンラーメンは日清を代表するインスタントラーメンのひとつ、商業的にはじめて成功した即席めんということで歴史にも刻まれていますよね。

そんなチキンラーメンが誕生したのが1958年、お手軽に作れる面として長く愛される商品です。

その開発の過程はドラマにもなっていて、この手軽さを実現するために努力があったことがしっかりと語り継がれています。

シンプルだからこそアレンジの幅も広く、それぞれの楽しみ方ができるところも愛され続けるポイントなのかもしれませんね。

昭和の子供たちのお使いで定番だったあるものとは何でしょうか?

昭和の子供たちのお使いで定番だったあるものとは何でしょうか?

現在は、年齢確認ができないとタバコは購入できませんよね。

ですが、昭和時代は子供でもタバコが購入できました。

親から頼まれて、お金を握りしめて近所のタバコ屋さんに行く光景が見られたそうですよ。

タバコを吸う場所も、現在よりも緩い規制でした。

職員室で先生がタバコを吸いながら生徒と話すこともあったそうです。

鉄腕アトム

【公式】鉄腕アトム(1980) 第1話『アトム誕生』
鉄腕アトム

手塚治虫さんのマンガを原作にしたSFアニメ『鉄腕アトム』。

1963年から4年にわたって初めてアニメが放送され、その後もリメイクされたり、内容を変えたりして放送されました。

お茶の水博士のもとで、人間の子供と同じように育てられたアトムですが、もともとは天馬博士という人物が亡くなった自分の息子をイメージして作りました。

人間とロボットがうまく共存できるような世界を目指したアトム。

昭和から平成、令和へと時代が進むとともにロボットの技術も進んだ未来の世界をまさに映し出しているようですね。

日本のみならず、海外でも人気を集めた作品です。

不二家 ミルキー

日本のロングセラーお菓子ブランド「不二家」を代表するキャラクターのペコちゃんとお菓子のミルキー。

こちらのポスターは、亀に乗って竜宮城へ向かう浦島太郎の物語と、お菓子のミルキーの玉手箱を組み合わせたユニークな世界観が魅力的です。

舌をペロッと出したチャーミングでかわいいペコちゃんの表情も時代に合わせて変化をしてきたのが分かります。

ミルキーのパッケージも当時のデザインがそのまま使われているので時代を感じることができますね。

現代ではあまり見かけないレトロな色遣いとイラストのタッチから懐かしさとかわいらしさがあふれています。

昭和ネタ の検索結果(61〜70)

板垣退助 百円券

「B百円券」といわれている板垣退助百円券をご紹介します。

板垣退助が描かれた百円券の裏面には、国会議事堂が描かれています。

発行は昭和28年にあたる1953年の12月1日であり、昭和49年にあたる1974年の8月1日に支払停止されているようです。

板垣退助は「いたがきたいすけ」と読み、国会の開設を求めて、自由民権運動を活発に展開したことで知られています。

また、有名な言葉として「板垣死すとも自由は死せず」と発したことも印象に残りますよね。

昭和42年に日本で始めて「動く歩道」が設置されたのはどこでしょうか?

昭和42年に日本で始めて「動く歩道」が設置されたのはどこでしょうか?

今も梅田にある動く歩道「ムービングウォーク」は昭和42年、1967年に設置されました。

設置された理由として、駅設備移転にともなう他鉄道との乗り換え不便解消だそうです。

その3年後に大阪万博が開催されて有名な存在に。

今現在でも日本で一番大きな動く歩道として知られています。

スリンキー

昭和のおもちゃ レインボースプリングで遊んでみた!【開封あり】
スリンキー

スリンキーは昭和20年にアメリカで誕生したバネ状のおもちゃです。

日本では昭和35年に金属をばね状にしたものをトムボーイという名前にし、販売して大ヒットしました。

その後プラスチック製のものや、商品名を変えて各メーカーから販売されたそうですよ。

スリンキーを腕にはめたり、机に置いてペンなどを入れて置いてもいいですね。

ですがスリンキーで楽しめるのは、なんといっても階段を勝手に下りることなのではないでしょうか?

芋虫のようなユニークな動きにも、当時は大変人気があったそうです。

最近では100均のお店のおもちゃコーナーで販売もされています。

商品の進化もあり、バネの色が虹色のものや、暗闇で光るタイプ、バネの形が星形やハート形などさまざまな商品が発売されているそうですよ。

ハンコください!!

カネボウ ハンコください !!
ハンコください!!

昭和のおもしろいチョコレート菓子といえばこちら。

1980年にカネボウフーズから販売された「ハンコください!!」。

商品名の通り、ハンコの形をしたチョコレート菓子なのです。

チョコレート部分には名前が彫ってあり、なんとその種類は108個!

自分の名字を探しながら食べていた人も多いのではないでしょうか?

電卓と時計とハンコを持っていればもう大人、というCMも印象的でしたね。

イチゴチョコレートの「お返事ください」という姉妹商品も販売されていました。

パンチパーマの「パンチ」は何のことでしょうか?

パンチパーマの「パンチ」は何のことでしょうか?

唐突ですが、パンチパーマの「パンチ」ってなんのことなのでしょうか?

答えは、「『平凡パンチ』という雑誌の名前」です。

細かく、硬いカールがかかった短髪のパーマであるパンチパーマは、1970年代、北九州市の理容師に考案されました。

それが関西の利用器具商社によって、当時大流行していた雑誌『平凡パンチ』にあやかって「パンチパーマ」と命名されたのだそうです。

威圧感があり、ケンカをしても崩れにくい髪形として特にコワモテの方たちに人気が広がったパンチパーマ、さすが由来もパンチの効いた話ですね!

昭和45年に開催された大阪万博を象徴する「太陽の塔」をデザインしたのは?

昭和45年に開催された大阪万博を象徴する「太陽の塔」をデザインしたのは?
  1. 横尾忠則
  2. 丹下健三
  3. 岡本太郎
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岡本太郎

終戦25周年記念として開催された大阪市で開催された日本万国博覧会といえば太陽の塔を思い出される方も多いでしょう。「爆発する芸術家」こと岡本太郎さんが制作した太陽の塔は、まさに大阪万博のシンボルとして今も多くの人に愛されていますね。

昭和40年代の後半に訪れた空前のテニスブームをけん引した漫画のタイトルは?

昭和40年代の後半に訪れた空前のテニスブームをけん引した漫画のタイトルは?
  1. サインはV!
  2. アタックNo.1
  3. エースをねらえ!
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エースをねらえ!

1973年の連載開始以来、全国の少年少女たにテニスブームを巻き起こした昭和のスポーツ漫画の金字塔が『エースをねらえ!』。二度のアニメ化や劇場版、OVAでのリリースを経て2004年には上戸彩さんが主演を務めたテレビドラマが放映されるなど、世代をこえて根強い人気を誇ります。

およげ!たいやきくん子門真人

誰もが一度は耳にしたことがある、昭和を代表する国民的大ヒットソングといえば本作でしょう!

毎日鉄板で焼かれるたい焼きが自由を求めて海へ逃げ出すというユーモラスな物語でありながら、最後には哀愁漂う結末を迎える不思議な魅力を持った一曲ですよね。

子門真人さんが力強くも素朴な歌声で表現しており、子どもだけでなく大人たちの心にも深く刺さりました。

1975年12月当時にリリースされた楽曲で、子ども向け番組『ひらけ!ポンキッキ』のオリジナルソングとして大反響を呼び、累計で453.6万枚もの売上を記録しています。

仕事や日常のしがらみから少しだけ解放されたいと願う方が、ふと一息つきたいときに聴くのがおすすめですよ!

ロッキングオン

昭和の音楽カルチャーを象徴した雑誌『ロッキングオン』は、当時の若者たちにとって欠かせない存在でした。

洋邦の注目アーティストやライブレポート、インタビュー記事を通して、音楽への熱気やカルチャーの息吹を誌面に詰め込み、写真やグラフィックからはライブハウスの雰囲気が伝わります。

当時の誌面を手に取れば、熱狂と自由が交差する昭和の空気が鮮やかによみがえるのです。

『ロッキングオン』は現在も発刊され続けていますが、とりわけ昭和の時代では、音楽カルチャー史の中で特別な輝きを放った一冊として、音楽好きの心をつかみ続ける一冊でありました。

1970年(昭和45年)公衆電話の市内通話料が3分10円になりました。以前はどのような料金形態だったでしょうか?

1970年(昭和45年)公衆電話の市内通話料が3分10円になりました。以前はどのような料金形態だったでしょうか?

外出先で電話をかける際には欠かせなかった公衆電話、時代が進むにつれて目にする機会も減ってきましたね。

利用する機会が減ったからこそ、料金のイメージも薄れてきているかと思いますが、3分で10円という料金設定です。

そんな3分10円という料金は、1970年から変わったもので、その以前は違う料金でした。

では1970年より前にはどのような料金で公衆電話が使用できたのでしょうか。

答えは「1回につき10円」、10円さえ支払えば無制限、時間を気にせず電話がつなげたので、長時間にわたって独占した人が多かったというエピソードも含めて知っておきたいですよね。