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【永遠に色あせない】あゝ青春の昭和歌手たち

青春の日々を彩った昭和の歌手たちの歌声は、時を超えて私たちの心に響き続けています。

沢田研二さんが魅せる大人の色気、山口百恵さんの凛とした佇まい、小林旭さんの熱い魂。

それぞれが持つ独特の個性と、楽曲に込められた深い思いが、世代を超えて多くの人々を魅了しているのです。

時代とともに変化する音楽シーンの中で、昭和の歌手たちが残した珠玉のメロディは、まさに日本の音楽史に輝く宝物といえるでしょう。

この記事では昭和に活躍した歌手を一挙に紹介していきます。

【永遠に色あせない】あゝ青春の昭和歌手たち(1〜10)

手紙由紀さおり

別れ際の女の気持ちを歌った昭和の名曲『手紙』をご紹介します。

由紀さおりさんの『手紙』は、歌い始めからインパクトのある歌詞で心をひかれた方も多いのではないでしょうか?

作詞はなかにし礼さん、作曲は川口真さんです。

1970年にリリースされたこの歌は、一緒に暮らしていたであろう恋人に、別れの手紙を書く女の心情が歌詞に反映されています。

雪さおりさんの透き通った美しい声と表現力で、より一層、魅力的な歌ですよね。

北の旅人石原裕次郎

生前、最後にレコーディングされたといわれている名曲『北の旅人』をご紹介します。

石原裕次郎さんの『北の旅人』は、療養していたハワイのオアフ島でレコーディングしたようです。

作詞は山口洋子さん、作曲は弦哲也さんです。

石原裕次郎さんが亡くなった後に、追悼版としてリリースされたこの曲に思い入れのある方も多いのではないでしょうか?

北海道を舞台につづられた歌詞は、情景が目にうかぶような表現が特徴的です。

石原裕次郎さんの魅力的な歌声が心にしみますね。

川の流れのように美空ひばり

聞くところによると、美空ひばりさんくらいの大物になるとレコーディングもワンテイク、一回収録が当たり前のようです。

『川の流れのように』を作詞した、まだ若かった頃の秋元康さんがそのレコーディングに立ち会ったときのエピソード。

秋元さんは1回の歌唱を終えスタジオを立ち去ろうとするひばりさんを呼び止め「もう1回歌ってください、この歌はもっといい歌になります」と声を掛けたといいます。

現場のスタッフは全員凍り付きました。

ですが、美空さんは秋元さんに向かって「あなた、おもしろい子ね」とほほ笑み、もう1度『川の流れのように』を歌ったのです。

大物とはまさにこのひばりさんのこと。

戦後から復興、そして成熟、日本のあらゆるシーンにひばりさんは数々の名曲を残しました。

不死鳥と呼ばれたのは、その並々ならぬ体力だけをたたえたものではなかったのでしょう。

【永遠に色あせない】あゝ青春の昭和歌手たち(11〜20)

スローモーション中森明菜

【公式】中森明菜「スローモーション(from『はじめまして』)」【1stシングル(1982年5月1日発売)】Akina Nakamori /Slow Motion
スローモーション中森明菜

中森明菜さんのデビューシングル「スローモーション」。

作詞は来生えつこさん、作曲来生たかおさんが手掛け、1982年にリリースされました。

また、中森明菜さんは当時新人ながら、初めてのレコーディングはアメリカのロサンゼルスでおこなわれたそうです。

出会いの衝撃で時間がまるでスローモーションになったようだといった表現で夏の恋の始まりを歌ったこの楽曲を皮切りに、アイドルの当たり年として言われた花の82年組の代表の1人となり、音楽活動の他、女優など幅広く活動していきます。

青い珊瑚礁松田聖子

松田聖子 – 青い珊瑚礁 〜Blue Lagoon〜
青い珊瑚礁松田聖子

1980年に発売された2枚目のシングル「青い珊瑚礁」は、日本レコード大賞や、日本歌謡大賞で新人賞をとった松田聖子さんの代表曲の1つです。

大好きな相手とすごす時をまるで南国の風にのって駆け巡るようだ、と歌われた楽曲は、初週から徐々に売り上げを伸ばし、大ヒットとなりました。

また、可愛らしいしぐさやルックスも人気を獲得し、松田聖子さんの髪形は「聖子ちゃんカット」として一世を風靡するに至ります。

その人気さから1989年、2004年、2010年にそれぞれ再発売もされています。

YOUNG MAN(Y.M.C.A.)西城秀樹

YOUNG MAN(Y.M.C.A.)は西城秀樹さんの28枚目のシングルとして1979年に発売されました。

ディスコ音楽として、当時のアメリカでヒットしていたVillage Peopleの「Y.M.C.A」を青春の応援歌として訳詞し、ポップス風にアレンジした楽曲です。

「Y」「M」「C」「A」を全身で表現し皆で歌い、一緒に踊るという観客参加型のパフォーマンスが取り入れられたことも大人気となり、数々の音楽チャートで記録を樹立、更新していくこととなります。

2億4千万の瞳ーエキゾチック・ジャパン-郷ひろみ

郷ひろみ「2億4千万の瞳ーエキゾチック・ジャパン-」LIVE DVD&Blu-ray「Hiromi Go Concert Tour 2024 Initial G」より
2億4千万の瞳ーエキゾチック・ジャパン-郷ひろみ

1984年に発売された郷ひろみさんの50作目のシングルです。

日本国有鉄道最後のキャンペーン「エキゾチック・ジャパン」キャンペーンソングとなり、国鉄職員であった郷ひろみさんの父親が東京駅の助役に抜擢されたことも話題となりました。

楽曲の由来は、当時の日本の人口が約1億2000万人であることと、若者たちが持つ日本への期待と、恋や出会いを求める熱い感情を表現したものと言われています。

現在でも「ジャパーン!」の掛け声は広く浸透しており、郷ひろみさんを象徴する代表曲となっています。