RAG Musicレクリエーション
素敵なシニアライフ
search

【高齢者向け】11月の有名な俳句。美しい秋の情景を詠んだ句をご紹介

秋の深まりを感じる11月は、紅葉や冬の訪れを詠む俳句作りにぴったりな季節ですね。

五七五のリズムに乗せて季節の風景や心の動きを表現する時間は、言葉選びの楽しさと創作の喜びを味わえます。

今回は、晩秋の風情を感じる季語や身近な景色を題材にした俳句をご紹介します。

「木枯らし」や「初霜」、「散る紅葉」など11月の季語を使った句を多数集めました。

詠まれた情景を想像したり、ご自身で一句詠んでみたり……自然と会話が弾み心豊かなひとときを過ごせますよ。

言葉で紡ぐ秋の情景とともに、秋の深まりを感じるひとときをお過ごしください。

【高齢者向け】11月の有名な俳句。美しい秋の情景を詠んだ句をご紹介(1〜10)

木枯や ひろ野を走る 雪のかげ森鴎外

木枯や ひろ野を走る 雪のかげ森鴎外

冬の訪れを告げる冷たい北風の季節を詠んだ句です。

「ひろ野」は広々とした野原を意味していて、そこを吹き抜ける木枯らしの勢いが感じられますね。

「雪のかげ」とは、空をかすめるように舞う雪の姿のこと。

まだ積もるほどではなく、ちらちらと舞う雪が風に乗って走るように見える光景が目に浮かぶようです。

冷たさの中にも、自然の動きや冬の美しさを感じさせるこちらの一句。

晩秋から初冬へと移りゆく11月、季節の変わり目の寒さと静けさを、しみじみと味わえますよ。

月影や 外は十夜の 人通り正岡子規

月影や 外は十夜の 人通り正岡子規

晩秋の夜の静けさと人の営みを見つめて正岡子規が詠んだ句です。

「十夜」とは、11月に行われる仏教の法会で、人々が寺へ参詣する行事のこと。

月の光がやわらかく照らす夜、外ではその「十夜」に向かう人々が行き交っています。

子規は病を抱えながらも、部屋の中からその静かな光景を見つめ、世の中の動きと自らの静かな時間とを対比させたのでしょう。

「月影」という言葉には、やさしくもはかない思いが込められています。

11月の澄んだ月夜に、人の信仰やぬくもり、そして命の静けさを感じさせるしみじみとした一句ですね。

返り花 満ちてあはれや 山ざくら水原秋桜子

返り花 満ちてあはれや 山ざくら水原秋桜子

晩秋の静かな季節に、ひっそりと咲く山桜を見つめて水原秋桜子が詠んだ一句。

「返り花」とは、本来の季節を過ぎて再び咲く花のこと。

11月の山に、春のようにひっそりと花を咲かせる山桜を見て、秋桜子は季節の不思議さやはかなさに心を打たれたのでしょう。

「満ちてあはれや」という表現には、花の美しさだけでなく、過ぎゆく時間や命のはかなさを思うしみじみとした気持ちが込められています。

晩秋の静かな山で、季節外れの花に出会う喜びと切なさを感じさせる、やさしく温かい気持ちを感じさせてくれますね。

【高齢者向け】11月の有名な俳句。美しい秋の情景を詠んだ句をご紹介(11〜20)

通りをる 電車不思議や 酉の市久米正雄

通りをる 電車不思議や 酉の市久米正雄

11月のにぎやかな街の風景を眺めながら久米正雄が詠んだ俳句です。

「通りをる電車」とは、街中を忙しなく行き交う電車のこと。

その動きや音に、作者はどこか不思議な感覚を覚えています。

「酉の市」は、11月に開かれる商売繁盛の市で、露店や人々の活気が街を彩ります。

久米正雄は、電車の近代的な速さと、酉の市の昔ながらのにぎわいとを対比しながら、日常の中の非日常や、季節の移ろいを感じたのでしょう。

11月の街角で、懐かしさと新しさが入り混じる景色をやさしく味わえますね。

海に出て 木枯らし帰る ところなし山口誓子

海に出て 木枯らし帰る ところなし山口誓子

この句は明治時代の俳人、山口誓子が詠んだ句です。

木枯らしとは秋から冬にかけて吹く強く乾いた風のことで、天気予報などで耳にしたことがある人が多いかもしれませんね。

木枯らしは一度海に出ていくと、行き場をなくして再び陸に帰ってくることはない、という意味です。

当時50歳くらいだった山口誓子は疎開のため、伊勢湾の近くに住んでいました。

のちに木枯らしを「特攻隊にたとえて」詠んだ句だと名言しています。

木枯らしも特攻隊も、出ていったきり帰ってはこないという嘆きも含んで詠まれた句です。

初時雨 人なつかしく 待ちにけり星野立子

初時雨 人なつかしく 待ちにけり星野立子

星野立子は明治期の俳人で、高浜虚子の次女として生まれました。

「初時雨 人なつかしく 待ちにけり」、ここでの季語は「初時雨」。

秋から冬にかけて降るにわか雨のことです。

そんな雨の降る少し肌寒い天候のなか、人恋しく愛しい人が来るのを待っている姿を詠んだ句です。

どのくらいの時間を待っているのでしょうか。

現代のように簡単に連絡がとれなかった時代に、ただひたすら愛しい人が来るのを待つ、そんな切なくも儚げな様子が読み取れますね。

木がらしの 吹き行くうしろ 姿かな服部嵐雪

木がらしの 吹き行くうしろ 姿かな服部嵐雪

服部嵐雪は江戸時代の俳人で、松尾芭蕉の高弟として俳諧を学んだ人物とされています。

そしてこの「木がらしの 吹き行くうしろ 姿かな」は師匠である松尾芭蕉が旅立つ際に、服部嵐雪が詠んだ一句です。

ただ単に木枯らしに吹かれているというものではなく、その旅立ちの前途を祝福し、送別の気持ちを込めて詠まれました。

「木枯らし」とは木の葉を吹き散らすほど強く吹く、冷たい風のこと。

「吹き行く」という表現から、旅立つ松尾芭蕉の後ろ姿に力強さを感じられます。