【ジャズ界の革命児】ジャミロクワイにまつわるクイズ
1990年代後半から2000年代にかけて、世界に大きな衝撃を与えたソロプロジェクト、ジャミロクワイ。
バンドと混同されがちですが、形態としてはソロプロジェクトで楽曲ごとにバンドメンバーも変わっています。
そんなジャミロクワイの特徴といえば、やはりジャジーでオシャレな音楽性。
当時のジャズシーンにはなかった前衛的な表現は、瞬く間に世界中から愛されました。
今回はそんなジャミロクワイにまつわるクイズをご紹介。
誰でも分かるキャッチーなクイズからマニアでも答えるのが難しいクイズまで幅広く取りそろえております。
ぜひチェックしてみてくださいね!
もくじ
- 【ジャズ界の革命児】ジャミロクワイにまつわるクイズ
- 『Virtual Insanity』は日本のとある都市の地下街からインスピレーションを受けました。その都市とはどこ?
- カップヌードルのCMで話題になったジャミロクワイの名曲といえば?
- ジャミロクワイの名前の由来は?
- エイミー・ワインハウスさんへの追悼の意をこめた名曲といえば?
- ジェイ・ケイさんがライブのときによく身につける被り物といえば?
- 1994年にリリースされたジャミロクワイのヒットソングといえば?
- ジャミロクワイが楽曲でよく扱うテーマといえば?
- ジャミロクワイのデビュー年は?
- ジャミロクワイは一般的に何のジャンルとして知られている?
- 車好きで知られるジャミロクワイのジェイ・ケイさんが愛するメーカーは?
- ジャミロクワイのフロントマン、ジェイ・ケイさんの出身は?
- 長年にわたってジャミロクワイを支えたキーボーディストといえば?
- 2003年にジェイ・ケイさんと交際報道された女性歌手といえば?
- カップヌードルのCMでジェイ・ケイさんが被っていた帽子の名前は?
- ジャミロクワイの1stシングルは次のうちどれ?
【ジャズ界の革命児】ジャミロクワイにまつわるクイズ
『Virtual Insanity』は日本のとある都市の地下街からインスピレーションを受けました。その都市とはどこ?

- 札幌
- 東京
- 大阪
こたえを見る
札幌
『Virtual Insanity』は、ジェイ・ケイさんが札幌の地下街を訪れた際に受けたインスピレーションをもとに制作されたと言われています。
札幌の地下街の独特な雰囲気が、この楽曲のコンセプトに大きな影響を与えたと考えられます。
カップヌードルのCMで話題になったジャミロクワイの名曲といえば?

- Virtual Insanity
- Cosmic Girl
- Canned Heat
こたえを見る
Virtual Insanity
答えは『Virtual Insanity』です。
この曲はジャミロクワイの代表曲の一つで、1996年にリリースされ、日本のカップヌードルのCMで使用されたことで、日本でも広くその名が知られるようになりました。
ジャミロクワイの名前の由来は?

- テキトーに作った特に意味のない言葉
- 『スターウォーズ』のキャラクター、クワイ=ガン・ジン
- 「ジャムセッション」と「イロコイ」を組み合わせた造語
こたえを見る
「ジャムセッション」と「イロコイ」を組み合わせた造語
ジャミロクワイの名前は、即興演奏を意味する「ジャムセッション」と、ネイティブアメリカンのイロコイ族を意味する「イロコイ」を組み合わせて作られた造語です。
このユニークなバンド名は、彼らの音楽性とも合致していると言えるでしょう。
エイミー・ワインハウスさんへの追悼の意をこめた名曲といえば?

- Half the Man
- Nights Out In The Jungle
- Talullah
こたえを見る
Nights Out In The Jungle
『Nights Out In The Jungle』はジャミロクワイがアルバム『Automaton』に収録した曲で、ドラッグの問題とそれに関連する苦痛を表現しています。
エイミー・ワインハウスさんへの追悼の意をこめて作られた曲として知られています。
ジェイ・ケイさんがライブのときによく身につける被り物といえば?

- チロリアンハット
- ベレー帽
- ウォーボンネット
こたえを見る
ウォーボンネット
ジェイ・ケイさんがライブでよく身につける被り物はウォーボンネットです。
ウォーボンネットとは、北米の先住民族が着用していた羽根飾りのついた帽子のことで、観客から自分の位置がひと目で分かるようにという意図で被るようです。
1994年にリリースされたジャミロクワイのヒットソングといえば?

- Space Cowboy
- Virtual Insanity
- Cosmic Girl
こたえを見る
Space Cowboy
『Space Cowboy』は1994年にリリースされたジャミロクワイのヒット曲であり、彼らを国際的なスターダムへと押し上げました。