RAG Musicレクリエーション
素敵なシニアライフ
search

【高齢者向け】6月の俳句紹介。夏を感じるアイディア

6月に入ると、しっとりとした梅雨の季節がやってきます。

雨のしずくが葉を濡らし、初夏の香りが漂うこの時期は、自然の美しさをじっくり感じるのにぴったりです。

高齢者の方にとって、俳句はそんな季節の変化を楽しみながら心を豊かにしてくれる素晴らしい方法ですよね。

けれど「梅雨の季節をどう表現すればいいのか?」と迷うこともあるかもしれません。

この記事では、6月にぴったりな俳句を厳選してご紹介します。

初夏の空気を感じつつ、俳句の奥深さを一緒に楽しんでみましょう!

【高齢者向け】6月の俳句紹介。夏を感じるアイディア(1〜10)

六月の 氷菓一盞の 別れかな

六月の 氷菓一盞の 別れかな

中村草田男は1901年に中国で生まれ、日本では言うや国文学を研究した人物です。

高浜虚子の門下に入ることで俳句を学び、後に俳人協会初代会長となって俳句界の発展に貢献していきます。

この句は、六月のある日、最後は酒を酌み交わす間もなく、代わりに氷菓子を一緒に食べて慌ただしく別れたよ、という意味です。

男同士が酒ではなく、せわしなくアイスクリームをなめ合っている場面を想像すると、少しだけ、滑稽にも思えますね。

子供等よ 昼顔咲きぬ 瓜剥かん

子供等よ 昼顔咲きぬ 瓜剥かん

松尾芭蕉は世界的にも知られる日本史上、最高の俳諧師の一人です。

松尾芭蕉が詠んだ「子供等よ 昼顔咲きぬ 瓜剥かん」からは、元気な子供達の姿も想像できる俳句です。

昼顔が咲く頃は今いまかと待ちわびている子供達に向かって松尾芭蕉が声をかけたようですね。

日常の様子の一コマから、自然や植物を通じて季節が感じられ、松尾芭蕉の優しさも伝わってきます。

ウリを食べる子供達の嬉しい顔も、想像できそうですね。

明らみて 一方暗し 梅雨の空

明らみて 一方暗し 梅雨の空

高浜虚子は明治から昭和にかけて活躍した愛媛県の俳人で、同郷の正岡子規の弟子となって俳句を学びました。

自分で見た風景の描写を得意とし、自然を題材とした作品を多く残しています。

この句は明け方になり、空が明るくなってきたが、梅一方ではどんよりとした梅雨空が広がっている、という風景を描写した作品であり、皆さんも容易にその状況が想像できるかとおもいます。

良いことの兆しが見えたようでも、見方を変えると暗い部分もある、という例えにも使われるそうですよ。

【高齢者向け】6月の俳句紹介。夏を感じるアイディア(11〜20)

樹も草も しづかにて梅雨 はじまりぬ

樹も草も しづかにて梅雨 はじまりぬ

日野草城は昭和初期に起こった新興俳句運動の中心的存在であり、より自由で都会的、現代的な俳句を模索した人物です。

この句を現代風に表現すると「木々も草も音を立てず、静かにしている。

そうした静けさの中で、ぽつり、ぽつりと梅雨が始まった」という内容です。

派手な雨音や荒れた川、ぬれ景色を描くのではなく、雨が降り出す直前の瞬間を見事に捉え、音のない情景を描写しました。

梅雨の始まりや、静かに変わっていく様子を想像させてくれますね。

滝の上に 水現れて 落ちにけり

滝の上に 水現れて 落ちにけり

後藤夜半は明治から昭和にかけて活躍した大阪生まれの俳人で、喜多流の能楽師で人間国宝の後藤得三、喜多流十五世宗家の喜多実の兄としても有名です。

水はひとところに留まるものではなく、常に流れているものです。

滝の始まりから水がどんどんと現れては落ちていき、下の滝つぼにもたくさんの水があって、流れています。

ずっと見ていると、同じ光景に見えるけれども、流れているその水は、先ほど見た水ではありません。

それでも滝は流れ続けています。

という、変わり続けながらそこに存在する滝を表現しています。

見方を変えることで、考えされられる内容になっていますね。

田一枚 植えて立ち去る 柳かな

田一枚 植えて立ち去る 柳かな

松尾芭蕉は江戸時代前期に活躍した俳諧師であり、俳聖として世界的にも知られる、日本史上、最高の俳諧師の1人です。

特に自分の旅の様子を記した紀行文「奥の細道」が有名です。

この句では複数の解釈があるとされています。

「農民たちが田を1枚植えて立ち去り、後に残されたのは柳のみであった」や、「農民たちが田を1枚植える間、私は柳を見ていたが、田植えも終わって農民たちが去ったので、私も立ち去ろうと思う。

後に残るのは柳のみた」などです。

ほんの小さな生活の一場面を切り抜き、その意味を考えされてくれるこの句は、松尾芭蕉ならではと言えるでしょう。

紫陽花に 雫あつめて 朝日かな

紫陽花に 雫あつめて 朝日かな

加賀千代女は1703年に現在の石川県白山市辺りに生まれ、幼いころから俳諧に親しみ、湊町本吉などの俳人たちまだんでいたと伝えられています。

この句は、雨上がりの朝、庭に紫や青などの紫陽花が咲いている。

朝日が差し込み、しずくがついている紫陽花が太陽の光を受けて、キラキラと輝いていてとても美しい、という意味です。

現在のように娯楽が多くはない時代であっても、当時の人は自然の調和がもたらす美しさを感じ、楽しみ、表現するといった、すてきな感性があったのかもしれませんね。