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思わずくすっと笑ってしまうおもしろい名言

人生の本質をついた名言に出会うと、思わずニヤリとしてしまうことってありませんか?

各分野の偉人たちは、重みのある言葉とともに、ユーモアたっぷりな面白い名言も数多く残しています。

頭ではわかっているけれど、つい忘れがちな人生の真理を、シニカルな笑いとともに教えてくれる言葉の数々。

この記事では、思わず誰かに話したくなる人生の本質をついた面白い名言を紹介します。

きっとあなたの人生観をくすっと笑いながら豊かにしてくれるでしょう。

人生の本質を突く名言(1〜10)

シンデレラは夜遊びをしたから幸せになれたんだよ東国原英夫

シンデレラは夜遊びをしたから幸せになれたんだよ東国原英夫

東国原英夫さんはビートたけしさんの一番弟子としてそのまんま東の名義で活躍、宮崎県知事を経験したあとはコメンテーターとしてのイメージが強いかと思います。

そんな東国原英夫さんの考え方が伝わってくるような、行動に起こすことの大切さを伝える言葉です。

夜遊びという言葉でマイナスな印象も受けますが、普段とは違う環境に踏み出すことが大切なのだということをこの言葉で表現しています。

タレントから政治家へと転身した人物の言葉だからこそ、環境を変える勇気の大切さがしっかりと伝わってきますよね。

成功が努力より先に来るのは辞書の中だけだヴィダル・サスーン

成功が努力より先に来るのは辞書の中だけだヴィダル・サスーン

ヘアドレッサーや実業家として知られるヴィダル・サスーンさんは、名前を冠したブランドがあることが印象的ですよね。

そんな偉大なる実業家が残した、努力と成功の関係についてを考えさせられる名言です。

成功にたどり着くためには努力が必要なのだということを、身近なものと対比させてわかりやすく伝えていますね。

本来の努力とは関係がなさそうにも思えますが、まずは辞書のたとえでなるほどと思わせるからこそ、メッセージがストレートに感じられますよね。

もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからであるジャン・コクトー

もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからであるジャン・コクトー

フランスの芸術家であったジャン・コクトーさん、小説家や画家や映画監督などの幅広い活動でも注目されました。

そんな「芸術のデパート」とも呼ばれた人物による、猫に向けられた愛情を独特な目線で語った言葉です。

警察猫という存在がいないからこそ、犬よりも猫が好きなのだという独特な表現で、猫への愛情とともに警察へのうらみも伝わってきますね。

猫への愛をまっすぐに表現していないところから、天邪鬼な部分、ひねくれた人物であることもしっかりと感じられます。

人生の本質を突く名言(11〜20)

酒は人類にとって最大の敵かもしれない。だが聖書はこう言っている、「汝の敵を愛せよ」とフランク・シナトラ

酒は人類にとって最大の敵かもしれない。だが聖書はこう言っている、「汝の敵を愛せよ」とフランク・シナトラ

歌手としてだけでなく俳優としても活躍したフランク・シナトラさん、多くのミュージシャンに影響を与えました。

そんな20世紀のアメリカを代表するシンガーのひとりとしても語り継がれる人物による、自分とお酒との関係を示した楽しげな雰囲気の名言です。

お酒は失敗につながる可能性もあり、時には敵にもなりえる存在である、しかし聖書には「汝の敵を愛せよ」とあるので、お酒は愛すべき存在なのだというへりくつを披露しています。

どれだけ失敗しても、人はお酒をやめられないのだという、楽観的な姿勢も伝わってくるような言葉ですね。

勇敢の誉れ高い人のなかには、ただ逃げるのが怖かっただけの人もいる。トーマス・フラー

勇敢の誉れ高い人のなかには、ただ逃げるのが怖かっただけの人もいる。トーマス・フラー

周りから「すごい人だ」と評価を得ている勇敢な人は、皆心の根っこの部分まで本当に勇敢なのでしょうか?

「いや、実はそんなこともない」と言ってのけたのが、17世紀のイギリスの歴史家であり聖職者だったトーマス・フラーです。

彼は「逃げるのが怖かっただけで、行動を起こすしか選択肢がなかった者も居るだろう」ということを言ったんです。

一見勇敢に見えても、そこに至るプロセスはさまざまであることに気づかされますね。

とはいえ、勇敢な行動に出れたことはやはり称賛されるべきことですよね。

私が猫と戯れているとき、ひょっとすると猫のほうが、私を相手に遊んでいるのではないだろうかミシェル・ド・モンテーニュ

私が猫と戯れているとき、ひょっとすると猫のほうが、私を相手に遊んでいるのではないだろうかミシェル・ド・モンテーニュ

ルネサンス期の哲学者であったミシェル・ド・モンテーニュ、人間の生き方を探求した著書『エセー』が当時のヨーロッパに大きな影響を与えました。

そんな偉大な哲学者が残した言葉の中でも、自分と猫のかかわりにおける目線の違いに注目した言葉です。

自分が猫と遊んでいるのだという、自分が主体の言葉への疑問、猫の目線からするとどのような状況なのだろうかという部分を投げかけています。

自分が猫と遊んでいるのか、猫が自分と遊んでいるのか、多角的な見方を身近な話題から提唱していますね。

食事もほどほどにしておかないと、コックも毒を盛る人になってしまうヴォルテール

食事もほどほどにしておかないと、コックも毒を盛る人になってしまうヴォルテール

フランスで哲学者として活躍したヴォルテール。

哲学者の中でも啓蒙主義を代表する人物とされていますね。

そんな哲学者による哲学とは関係がなさそうな分野、適量への考え方についてを語りかけている名言です。

食事はほどほどにしておかないと体にも悪影響が出る、おいしい食事を提供していたはずのコックが毒をもっていたような結果が生まれてしまうと表現しています。

何ごとも適量を見定めることが重要、やりすぎると悪い結果につながる可能性があるのだと教えてくれるような言葉ですね。