思わずくすっと笑ってしまうおもしろい名言
人生の本質をついた名言に出会うと、思わずニヤリとしてしまうことってありませんか?
各分野の偉人たちは、重みのある言葉とともに、ユーモアたっぷりな面白い名言も数多く残しています。
頭ではわかっているけれど、つい忘れがちな人生の真理を、シニカルな笑いとともに教えてくれる言葉の数々。
この記事では、思わず誰かに話したくなる人生の本質をついた面白い名言を紹介します。
きっとあなたの人生観をくすっと笑いながら豊かにしてくれるでしょう。
人生の本質を突く名言(11〜20)
最初は君が酒を飲む。それから酒が酒を飲み、最後に酒が君を飲む。F・スコット・フィッツジェラルド

お酒とは節度を持って付き合いたいものですが、これまでにお酒にまつわる失敗をしたことがあるお酒好きの方は少なくないのではないでしょうか?
そこで紹介したい名言が、『グレート・ギャツビー』などの作品で知られる作家のF・スコット・フィッツジェラルドさんによるお酒についての言葉です。
最初はお酒を飲んでいたのに、気がつけばお酒に飲まれている……そんな多くのお酒好きが経験したであろう出来事が見事に言い表されています。
彼自身、お酒におぼれてしまった経験があり、反面教師として心に留めておきたい言葉です。
法律は蜘蛛の巣である。大きな虫は突き抜け、小さな虫だけが引っかかる。オノレ・ド・バルザック

19世紀のフランスの小説家、オノレ・ド・バルザックが残した皮肉たっぷりの言葉です。
法律をクモの巣にたとえ、それを突き破る方法があるんだということを言い表しています。
「小さな虫が巣の隙間を通り抜けられて、大きな虫が引っかかるんじゃないの?」と思うかもしれませんが、恐らく彼が言いたかったのは、大きな虫はクモの巣があろうとも強行突破して突き破り、その力がない小さい虫がクモの巣に引っかかってしまうということでしょう。
つまりこの言葉の中に登場する虫の大小は、権力の有無を表しているのではないでしょうか?
まるで社会の縮図のように言い表した、皮肉たっぷりで深いメッセージが込められた言葉ですね。
食事もほどほどにしておかないと、コックも毒を盛る人になってしまうヴォルテール

フランスで哲学者として活躍したヴォルテール。
哲学者の中でも啓蒙主義を代表する人物とされていますね。
そんな哲学者による哲学とは関係がなさそうな分野、適量への考え方についてを語りかけている名言です。
食事はほどほどにしておかないと体にも悪影響が出る、おいしい食事を提供していたはずのコックが毒をもっていたような結果が生まれてしまうと表現しています。
何ごとも適量を見定めることが重要、やりすぎると悪い結果につながる可能性があるのだと教えてくれるような言葉ですね。
心配とは、取り越し苦労をする人々が支払う利息である。ジョージ・ワシントン

利息なんてできれば払いたくありませんよね。
心配というものも、そんな利息と同じで払いたくない、必要のないものだと言ったのがこの言葉。
こちらは、アメリカの初代大統領をつとめたジョージ・ワシントンの言葉です。
何かあると、心配で仕方ないという方もいるでしょう。
でもその心配って、本当に今必要なことなのでしょうか。
どうなるかわからないことを心配することは、答えが見えないので、考えるだけ時間のムダにもなりかねません。
そんな払いたくない利息と同じような思考は捨てて、前向きに考えなさいと、この言葉は教えてくれているのでしょう。
「私にはその行為に責任があるのだろうか?ないのだろうか?」という疑問が心に浮かんだら、あなたに責任があるのです。フョードル・ドストエフスキー

「そっか」というタイプの、自分に対してあきれ笑いが出てしまう格言がこちら。
『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』などの作品を生んだロシアの小説家、フョードル・ドストエフスキーの言葉です。
自分の身に起こった出来事に対して「自身に責任がある」「自身には責任がない」の2択が自然と心に芽生えた経験のある方、多いと思います。
でもそういうときの「自身には責任がない」って、無意識的に準備した逃げ道な場合がありますよね。
この言葉を覚えておけな、問題に直面したとき第三者的視点が持てるかも。