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余韻 の検索結果(201〜210)
梅が香に 追ひもどさるる 寒さかな松尾芭蕉
春の季語として有名な「梅」ですが、こちらの句では「梅が香」が季語です。
梅が香とは文字通り、梅の花の香りを意味しています。
梅は春を告げる花ですが、寒い時期から暖かくなる時期にかけて咲き始める早春の花。
そんな梅の花が咲いたからといって、すぐに春になるわけではありません。
春の気配を感じながらもまだまだ続く冬の寒さに、思わず足が止まってしまい立ちすくんでしまう様子が読み取れ、季節の移り変わっていく様子が伝わってきますね。
手毬唄 かなしきことを うつくしく高浜虚子
美しい糸で鮮やかな三角形や円など、幾何学模様に巻いて作られた手まり。
手まりは江戸時代から明治時代まで、お正月によく遊ばれていたそうです。
そのため、新年の季語にもなっていますよ。
きれいな手まりの歌をうたいながら、遊ぶ子どもたち。
ですが、この俳句が詠まれたのは第二次世界大戦が始まった時期だったそうです。
手まりで遊ぶ無邪気な子どもたちが歌ううたも、重く暗い内容だったのでしょう。
そのような内容の歌も、美しい子どもたちの歌声だったため、やり場のない気持ちになったのかもしれませんね。
高齢者の方も、日常のちょっとした出来事を詠むことの参考になりそうな俳句ですね。
冷艶清美(れいえんせいび)
冷たさの中にも艶やかさと清らかな美しさを備えた姿を表す言葉です。
華やかさを競うのではなく、静かな輝きで人を惹きつける美を意味します。
年齢を重ねることで外見の美しさよりも、落ち着きや誠実さといった内面の光が際立っていくものです。
誰かを支える優しさや静かに物事を見守る姿勢こそが清らかで美しい姿といえるでしょう。
飾り立てずとも品格が漂い、心の透明感がそのまま表情に宿る。
時間をかけて磨かれた成熟の美をたたえる、静かで気高い言葉です。
雛祭る 都はづれや 桃の月与謝蕪村
3月の行事の1つに、桃の節句があります。
自宅に華やかでかわいらしい、桃の節句のお人形を飾っているとほほえましく思いますよね。
都からはずれた田舎でも、冬の厳しい寒さをのりこえて、迎えたひな祭り。
そう考えると、庶民のつつましい生活も伺えますね。
高齢者の方も、幼い頃のひな祭りの時期と重なる部分もこの俳句にはあるかもしれませんね。
俳句を詠みながら、高齢者の方のひな祭りの思い出話をするのもいいですね。
話に花が咲いて会話が弾むかもしれませんよ。
うらら

春の様子を表現できる言葉の一つに、うららがあります。
旧暦の1月と2月と3月の春の3カ月間をさす、三春の時期全てで使える季語です。
うららからは、春の日に晴れわたった空から、陽の優しい日差しがのどかに照らしている様子が浮かびます。
唱歌『花』の歌詞の中にも出てきますが、春の日の穏やかな隅田川や桜の美しさといった情景も感じますね。
作文や俳句に加えると、春の陽気に包まれたあたたかな雰囲気が出ますよ。
新学期や新生活といった、スタートの時期の華やかさにもピッタリな季語ですね。
言葉はじくプロ童子-T

2005年発売の2ndメジャーアルバム「童夢」の6曲目に収録。
まさにカラフル、多彩な言葉選びのセンスに圧倒されます。
ハードコアでアングラな雰囲気の曲調にも中毒性あり。
元スノーボード選手の今井メロとも親交があるそうです。
薄月夜 花くちなしの 匂いけり正岡子規
6月は雨が降り続く梅雨の時期でもあります。
じめじめした雰囲気に、少し気持ちも沈みがちになることもありますよね。
正岡子規の俳句から、梅雨の時期の気分転換にもなるアイディアをご紹介します。
正岡子規は、明治を代表する文学者でもあり、俳人ですよ。
正岡子規の俳句「薄月夜 花くちなしの 匂いけり」は、月も多くの雨雲に隠れている夜、ふとくちなしの花の匂いに季節を感じた様子が詠まれていますよ。
花の形ではなく、匂いに季節を感じるところが情緒を感じますね。
この俳句のように、雨が降ることが多い梅雨の時期だったからこそ、感じられることもあるかもしれませんよ。
五月来ぬ 心ひらけし 五月来ぬ
星野立子は昭和期の俳人であり、初の女性主宰誌「玉藻」を創刊、主催た人物です。
この句で読まれる五月は「さつき」と読み、季語は夏を表します。
5月20日から始まる二十四節気「小満」は、これから本格的な夏に向けて草木も青みを増し、さまざまな生命が活動的になっていく時期を指します。
そんな1年の中でも最も過ごしやすく、気持ちが晴れるこの季節を楽しみに思う気持ちを詠ったのではないでしょうか?
現代風に言うなら「早く大好きな五月にならないかな」、といったところでしょうか。
昔も今も、過ごしやすい季節を心待ちにする気持ちは同じなのかもしれませんね。
でんでらりゅうば

長崎県に古くから伝わるわらべ歌の1つです。
中国風の「ド・レ・ミ・ソ・ラ」の明るい音階がメインに使われているのが特徴で鵜。
福山雅治さんのライブの時の入場曲にもなっている他、トヨタの車のCMでも使われたことで認知度が広まりました。
早春賦作詞:吉丸一昌/作曲:中田章

伸びやかで爽やかなメロディーが印象的な『早春賦』。
タイトルは「そうしゅんふ」と読み、1913年に発表された非常に長い歴史をもつ唱歌なんです。
この曲は作詞家の吉丸一昌さんによる『新作唱歌』という作品の中に収録されたもので、美しい風景描写が魅力的な歌詞になっています。
ちなみに、曲名の「賦」とは「財」という漢字のように、天から与えられた宝物を意味する言葉。
浮世離れした春を美しくとらえた『早春賦』という曲名もすてきですね。
余韻 の検索結果(211〜220)
雷
三夏を通して使える夏の代表的な季語の1つ、雷。
「雷雨」「遠雷」「日雷」など、さまざまな表現がありますよ。
小さい頃から雷さまにおへそを取られるという話を聞かされているので、空がゴロゴロと鳴りだすと怖いと思う子が多いかもしれませんね。
しかし雷はある意味夏の風物詩!
夏の俳句を作るなら、せっかくですから使ってみてはいかがでしょうか。
風景を詠んでも良いですし、心情と重ねて使っても面白いと思いますよ。
夏の夕立やゲリラ豪雨を思い出して考えてみてくださいね。
門の花 静かに白し 花曇
大正時代を代表する俳人の原石鼎の俳句をご紹介します。
「門の花 静かに白し 花曇」は、春のぼんやりと薄く曇った天気の中で咲いている花の美しさを詠んだ俳句です。
花雲が季語で、桜の花が咲く頃に薄い雲が空を覆い、ぼんやりと曇っている様子をいいますよ。
散歩などで、道端に咲いている花に気づくことが、現代は少なくないようです。
そういった視点を持った生活もすてきですよね。
高齢者の方とのお散歩の最中に、見つけたお花で俳句を作ってみるのも楽しいかもしれません。
野に出れば 人みなやさし 桃の花高野素十
桜の花に比べればどこか派手さのある桃の花。
淡い色合いの桜に比べると桃の花は濃いピンク色というイメージもあります。
浮世離れした夢のような世界を「桃源郷」と表す言葉もあるくらいです。
あなたは桃の花にどんなイメージがありますか?
厳しい寒さもゆるみ暖かい春がやってきた。
どことはなしに行き交う人の表情も楽しげだと、春の到来で人がなごんでいる様子を俳句にしました。
「人みなやさし」の「やさし」は単に「優しい」という意味だけではないのですね。
その人のなごやかさのイメージがまた桃の花を呼び起こします。
部首の歌(へん/形のままの名前のものB)

人や動物、自然を成り立ちとする部首を学びたい方には『部首の歌(へん/形のままの名前のものB)』がオススメ。
おもに小学校低学年で学ぶ漢字に構成される部首を歌っています。
形のまま名前が付けられているので、部首の成り立ちをイメージしやすいですね。
イラストや歌詞に合わせて、言葉の意味を覚えてみるのもオススメ。
よく使われる部首を覚えることで、難易度の高い漢字への苦手意識を持たずにトライできますよ!
部首ごとの漢字をグループに分けて勉強するきっかけをくれる楽曲です。
光風霽月(こうふうせいげつ)
雨が上がり澄みわたる空に光と風と月が調和するさまを指し、心の清らかさや器の広さを表す言葉です。
怒りや迷いを抱えた心も、やがて時とともに晴れていく自然の摂理を思わせます。
長い人生の中では、数多くの苦難のあとに訪れる穏やかな時間こそが最も尊いものです。
過去を責めず未来を恐れず、今を受け入れる穏やかな心があればどんな嵐も必ず晴れ渡るでしょう。
光と風と月が織りなす調和のように心の澄んだ生き方を映す、美しく清らかな言葉です。
凛として花一輪家入レオ

シンガーソングライターの家入レオさんが自身の座右の銘としてブログで紹介されていた言葉です。
お花屋さんで売られているきれいな花ではなく、アスファルトの隙間から生えているような小さなお花を見かけた彼女。
見る人によっては花で、また別の人にとっては雑草と捉えられるその花は、周りからどんな風に見られていようとも凛としているように見えたそうです。
そうして彼女はどんな逆境であっても凛としていたいという思いでこの言葉を座右の銘として大切にしているんです。
雪井上苑子

気持ちを、雪と表現している感じが素敵だなと思いました。
雪と言う言葉が歌詞にあるので、冬に聴きたい曲です。
井上苑子さんは、個人的に夏に聴きたい曲が多いなと思っていたのですが、これは冬の寒い時期に聴きたい曲です。
葉ざくらの ひと木淋しや 堂の前
炭太祇は江戸時代中期の俳人です。
京都島原の遊郭内にて不夜庵を作り、遊女に俳諧や手習いの教授をおこない、花街の活性化に務めました。
後に盟友であった与謝蕪村と三菓社結成に参加しています。
この句で詠まれている葉桜は夏の季語であり、堂の前に咲いていた桜の木の花が散り、葉ざくらになってしまったという惜しむ思いが込められています。
しかし、かれんな花びらが落ちた後は寂しく見えても、青々とした葉の爽やかさや力強さが感じられるという側面もあります。
日本人の桜を思う気持ちはやはり特別なのかもしれませんね。
鯉のぼり作詞:近藤宮子

端午の節句に欠かせない、雄大に空を泳ぐ魚たちの姿を描いた本作。
近藤宮子さんが作詞を手掛け、1931年12月発行の唱歌集に収録された楽曲です。
文化庁による『日本の歌百選』にも選ばれている名曲で、お父さんの真鯉と子供たちの緋鯉が仲良く泳ぐ歌詞は、家族の温かい絆を感じさせますね。
3拍子のゆったりとしたリズムに乗って、体を左右に揺らしながら歌うのがコツ。
後から追いかけるように輪唱で声を重ねれば、まるでたくさんの魚が広い空を泳いでいるような一体感が生まれますよ。
懐かしい節句の思い出話に花を咲かせながら、心温まるハーモニーを高齢者の方と一緒に響かせてみてくださいね。
春たちて まだ九日の 野山かな
こちらは江戸時代の偉大な俳人松尾芭蕉の句で、立春を9日すぎた野山の様子を詠っています。
暦の上では立春を過ぎていても、完全に春というわけではなく冬の気配も十分に残している野山、とはいえ注意深くみてみるとそこここに春の気配も感じるという味わい深い内容となっています。
四季を愛し、四季の変化に敏感な日本人なら肌感覚でわかる、そんな俳句ではないでしょうか。
現代人もこの俳句を思い出す瞬間が生活の中にあるはずです。

