津軽三味線の歴史と特徴
近年、第2次津軽三味線ブームと言われて久しいのですが、以前に比べ目新しさがなくなったせいか、テレビなどのマスコミに取り上げられる頻度も少なくなり、津軽三味線人気が下降傾向のような気がします。
一方以前からの根強い人気もあり、津軽三味線のテクニックを競う全国大会は各地で開催され、老若男女多くの参加者で盛況を博しています。
最近は津軽三味線を単にアドリブ楽器として捉えて、簡単に弾き始める傾向の人が多いようですが、きちんとした指導者に確かな技術・理論・歴史、また時代に即した考え方・指導法に基づいて津軽三味線を教えていただきたいと願うばかりです。
今回はまず三味線の歴史からひも解いていき、説明していきたいと思います。
三味線の歴史

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胴体に動物の皮を張って、長い棹(さお)に複数の糸を張り、これを爪などでひっかいたり、動物の尻尾の毛を張った弓で音を鳴らす楽器は、古代エジプトからシルクロードをへて東へ伝わったとされています。
永楽年間の1562年に、大阪堺の港に琉球から「三線」が持ち込まれたのが、現在の日本を象徴する和楽器「三味線」のルーツだと言われています。
これは三線 ↓

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当時持ち込まれた琉球の「三線」にはウミヘビの皮が張られていましたが、日本本土にウミヘビは生息していません。
そこで器用な日本人はウミヘビの代わりに猫や犬の皮を使い、撥(ばち)は象牙や鼈甲(べっこう)を使うようになりました。
当時は音楽に対してきびしい制限があって、雅楽(ががく)は貴族、能楽は武家、箏曲(そうきょく)は盲人、尺八は虚無僧(こむそう)などと限定されていました。
そこに登場した一般庶民にも許された三味線はまたたく間に全国に広がることとなります。
用途によって、長唄、義太夫、民謡など多くの種類の三味線に改良されて現在に至っています。
今回の主役の「津軽三味線」は、この多くの種類の三味線の中でも最近、明治時代になって改良されて登場した新顔なのです。
津軽三味線の登場と変遷
江戸時代末期から明治時代にかけて、津軽地方では「ボサマ」と呼ばれる盲目の門付け芸人が存在しました。
医療の発達していないこの時期、幼児期に麻疹や天然痘(てんねんとう)にかかって失明する子どもたちがたくさんいたといいます。
不幸にして失明した子供達は、男の子は「ボサマ」と呼ばれる門付け芸人になるか、女の子は「イタコ」と呼ばれるシャーマンになるかしかなかったようです。
盲目の門付け芸人は、晴れていれば三味線を弾いて、雨が降れば笛や尺八を吹いて、家々を回り生活の糧を得ていました。
その中で、金木新田の神原村(現五所川原市)の岩木川の渡し守の息子として生まれた「仁太坊」は、幼くして天然痘にかかり失明したが、盲目の女三味線弾きに技術を習得して「ボサマ」として生活の糧を得るようになります。
彼こそが現代津軽三味線のルーツで、最近になって大條和雄先生や、松木宏泰先生の尽力で「仁太坊」を頂点とする津軽三味線奏者の系譜が完成しています。
この「仁太坊」の津軽三味線の発生を契機として、仁太坊以降、津軽人独特の「じょっぱり」のかたぎが相まって、今までになかった新しい奏法をどんどん生み出したり、三味線という楽器自体もどんどん改良が加えられて今日の津軽三味線に受け継がれています。
他のジャンルの三味線に比べて、登場が比較的新しくてその進化のスピードが早かったためか、今でも新しい奏法や、楽器への改良が進んでいるのは、津軽三味線独特の特徴とも言えます。
津軽三味線の種類と特徴
長唄や民謡の三味線に比べて、津軽三味線はひとまわりサイズが大きく作られています。
長さは同じなのですが、棹(さお)も太く、胴も大きくて、掛ける糸も太いものを使います。
当然重量も違いまして、長唄や民謡の三味線に比べてはるかに重いです。
また構え方も違いますので、津軽三味線と民謡の三味線は全く別物として取り組んだ方が良いと思います。
津軽・民謡の両方を弾くことがある人は、特に頭の切り替えが必要です。
また、津軽三味線・民謡三味線ともに、三味線の長さが数センチ短いものが存在します。
ノーマルのものを「正寸」、短いものを「短寸」もしくは「短棹(たんざお)」と呼びます。
何故短いものが存在するかと言いますと、唄の伴奏をする際に洋楽器のように転調するのではなく、カラオケの機械のように+にしたり−にしたり、つまり糸を張って音を上げたり、緩めて音を下げたりするのです。
その際にどうしても声の高い女性や子供の伴奏の場合、糸の張力が非常に高くなってすぐに糸が切れたり、演奏しにくくなったりします。
そこであらかじめ棹(さお)が短い(糸の長さが短い)三味線を使って、張力があまり高くならないようにするのです。
民謡三味線では、この「短棹(たんざお)」を使う人が比較的多くいらっしゃいます。
津軽三味線の場合も女性や子供の唄の伴奏をする機会の多い人は「正寸」のほかに「短棹(たんざお)」を持っている方がいらっしゃいます。
津軽三味線の楽譜
もともと津軽三味線は、師匠から弟子へ口伝で奏法などを伝授されてきた経緯があり、現在全国にある津軽三味線教室でも楽譜を一切使わないで教えているところはかなりの数あると思います。
最近では、楽譜(三味線文化譜)を使って指導した方がはるかに効率的で上達が速いということで、楽譜を使用する教室が増えてきています。
私の師匠の教室には一切楽譜というものが存在しなかったので、私は毎回カセットテープに録音してきて(今ではデジタルレコーダーなのでしょうが、カセットテープ全盛の頃でしたので・・・)、自宅でせっせと耳コピーをして三味線文化譜に書き記して練習をしました。
おかげで予習・復習も効率的にできた記憶があります。
指導者となった今ではその時の三味線文化譜を清書して生徒さんに教えるときの教材として使っています。
三味線の楽譜は何種類かありますが、最も普及しているのが三味線文化譜です。
三味線文化譜は横書きの三線譜で、ギターやベースの「タブ譜」と同様のものです。
タブ譜経験者の方なら簡単に弾けるようになると思います。
三味線の勘所(ギターで言うところのポジション)は、西洋音階に準じてオクターブに12カ所あります。
ギターなどと同じように順番に「0」から「12」まで数字を配置すれば良いような気もしますが、三味線ではオクターブのところが「10」です。
これは良いところもありまして、「1」のオクターブ上が「11」、「4」のオクターブ上が「14」というように、意外とこちらの方が理屈に合っているような気もします。
ちなみに、解放(何も押さえない)が「0」で、順に12カ所は次のようになっています。
「0」「1」「2」「3」「3♯」「4」「5」「6」「7」「8」「9」「10♭」「10」「11」「12」「13」・・・「20」
「3♯」と「13♯」は「♯」だけ、「10♭」と「20♭」は「♭」だけで記載します。
民謡の三味線ではせいぜい高い方の勘所でも14辺りまでしか使いませんが、津軽三味線や長唄の三味線では「19」から「20」辺りまで使います。
以下は、筆者の三味線の勘所マークです。
津軽三味線といっても基本は民謡の日本音階。
基本的に1オクターブに5音しかありません。
この5音×3オクターブ、計15の音を駆使してあの速いパッセージの津軽三味線のアドリブを演奏するのです(当然例外はありますが)。
ちなみにDを基音にして音を表すと次のようになります。
(尺八の一般的な管が1尺8寸管=D管なので、三味線もD基準のことが多いのです)
- 民謡陽旋律:D−F−G−A−C
- 俗に言う「ヨナ抜き」の音階の民謡:D−E−F♯−A−B
- 民謡陰旋律:D−E♭−G−A♭−C
ちなみに、民謡陽旋律を三味線の勘所に置き換えると次のようになります。
「0」−「3」−「4」−「6」−「9」−「10」
同様にヨナ抜きは、次の通り。
「0」−「2」−「♯」−「6」−「8」−「10」
陰旋律は次の通り
「0」−「1」−「4」−「5」−「9」−「10」
やや専門的になってきましたが、次回は三味線と付属品の種類や購入方法、さらに奏法について話を進めたいと思います。
参考書籍
「加賀山昭民謡集 三味線文化譜、入門編」加賀山昭著 (株)加賀山