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【高齢者向け】秋の情景が浮かぶ。10月の美しい俳句をご紹介

気候が穏やかになり、色とりどりの木々が映える10月は、俳句を詠むのにぴったりの季節です。

高齢者の方にも、秋の散歩やベランダから眺める風景を、俳句にして楽しんでいただきたいですね。

短い言葉で思いを伝える俳句は、脳の活性化や心のケアにも効果的なレクリエーションです。

今回は、10月にぴったりな美しい俳句をご紹介します。

秋ならではの風景や秋が旬の食べもの。

心に浮かんだ情景を、みんなで語り合いながら詠んでみませんか?

【高齢者向け】秋の情景が浮かぶ。10月の美しい俳句をご紹介(1〜10)

柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺NEW!正岡子規

柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺NEW!正岡子規

明治時代を代表する国文学者でもある正岡子規さん。

教科書に掲載される横顔の写真がとても印象的ですよね。

野球の熱心なプレイヤーでもあって、「バッター」「ランナー」の英語に「打者」「走者」と日本語を当てたのもこの子規さんといわれています。

そんな子規さんの代表句の1つであるこの句。

恐らく特に俳句に詳しくない人でも知っていることでしょう。

法隆寺の鐘の豊かさ、秋の実りの豊かさがともに響き合い、平和な時間を詠者の身の辺に流しています。

稲の穂の 伏し重なりし 夕日哉NEW!正岡子規

稲の穂の 伏し重なりし 夕日哉NEW!正岡子規

正岡子規さんと一番仲の良かった文豪って誰だと思いますか?

答えは夏目漱石さん。

一時は一緒に暮らしていたというのですから驚きですよね。

いくら仲が良くても一緒に暮らすとなれば……、文豪たちの感覚は私たちの感覚と少し違っているのでしょうか。

秋も深み、稲穂がその頭を重たそうに揺らしている。

稲穂の重なった姿もますます実りの秋を予感させる、そんな趣ある夕暮れ。

故郷がある方は故郷の田んぼを思い出したことでしょう。

秋は人をセンチメンタルにさせますね。

肌寒し 竹切る山の 薄紅葉NEW!野沢凡兆

肌寒し 竹切る山の 薄紅葉NEW!野沢凡兆

あの松尾芭蕉さんに師事した江戸時代の俳人。

近年その句が再評価されている「遅れて来た大物」とも。

俳諧せん集『猿蓑』にはその芭蕉さんよりも多くの句が入集しているんですよ。

ここに挙げた句は少し句をかじった方なら「季重なりなのでは?」と思うことでしょう。

季重なりとは1句の中に2つの季語が入っていることで、普通はタブーとされている手法なのですが、ここの季重なりはそんなタブーをも感じさせない収まりの良さを見せています。

中七に登場する「竹」の青さがまた鮮やかですね。

【高齢者向け】秋の情景が浮かぶ。10月の美しい俳句をご紹介(11〜20)

秋雨や 水底の草を 踏みわたるNEW!与謝蕪村

秋雨や 水底の草を 踏みわたるNEW!与謝蕪村

秋雨という言葉からは暑い夏が過ぎ、秋が訪れる様子を感じとれますよ。

俳句から、降り続ける雨の中、川底が見て分かる浅い川を歩いて渡ろうとしている様子が分かります。

川を歩いている際に、水草も足にあたって踏んでしまっているようです。

ですが、水草を踏んでいることも楽しい時間となっているようですね。

または、秋の雨によってできた、地面を流れる水を川にたとえているようにも読み取れます。

雨の日は気持ちが沈みがちになる方もいるかと思います。

ですが、視点を少し変えれば、雨の日も楽しい時間となりそうですね。

道暮れて 右も左も 刈田かなNEW!日野草城

道暮れて 右も左も 刈田かなNEW!日野草城

秋になると田んぼも、稲刈りをする時期ですよね。

夏までは青々とした田んぼが、稲が実を付けて一面が黄金色になったことでしょう。

秋が訪れ日が沈む時間も早まり、田んぼを見渡すと稲刈りが終わっている。

俳句からは、田んぼを通して、季節の移ろいも感じ取れますね。

高齢者の方にも、季節を感じ取れる俳句を作っていただくことで、季節を感じられるのではないでしょうか?

また秋の俳句つくりから、幼い頃の思い出も一緒に振り返っていただけそうですね。

枯れ枝に 鳥のとまりけり 秋の暮れNEW!松尾芭蕉

枯れ枝に 鳥のとまりけり 秋の暮れNEW!松尾芭蕉

短冊、石碑など多くに残されている松尾芭蕉さんの名句の1つ。

「枝」の字か違ったり、「烏」がひらがなの「からす」になったり、「秋の暮れ」や「秋の暮」と表記のレパートリーも多い句。

もともと漢詩からインスピレーションを受けた作品とされていて、そういわれるとどこか漢詩ならではの堅さが感じられます。

中七の字余りは当時の流行でもあったとか。

秋を迎えて枯れてしまった樹々、そこに止まるのは獲物を探すカラスだけとなってしまった。

寂しさの中にも厳しさ感じる1句です。

秋深き 隣は何を する人ぞNEW!松尾芭蕉

秋深き 隣は何を する人ぞNEW!松尾芭蕉

全国を旅しながら句を詠み続けた芭蕉さん。

一時体調を崩し大阪にとう留したことがあったのですが、この句はそのときに詠まれたものとされています。

体調が整わないので旅ができないのは仕方のないことだが、それでも季節は進む、秋も深まってきた。

特に付き合いもないが隣人はどんな人なのだろうか?

心に余裕ができたとき、私たちも何とはなしに「お隣さんって何をしている方なのかなあ?」と思うことがありますよね。

その感覚と同じなのかな。

芭蕉さんでも隣人のことが気になったりしたんですね。