その不気味さに背筋が凍る…。『地面師たち』ハリソン山中の名言
新庄耕さんの小説を原作として実写化され、2024年にNetflixで配信されると瞬く間に注目を集めた配信ドラマ作品『地面師たち』。
綾野剛さん、ピエール瀧さん、小池栄子さん、北村一輝さんといった錚々たる俳優陣に加え、お笑いコンビ・マテンロウのアントニーさんがキャストとして出演していることも話題となりました。
その中でも、豊川悦司さん演じる地面師集団のリーダー、ハリソン山中の異質な存在感は、ストーリーに深み持たせていますよね。
今回は、そんなハリソン山中の名言をリストアップしましたので、ぜひチェックしてみてくださいね!
その不気味さに背筋が凍る…。『地面師たち』ハリソン山中の名言(1〜10)
大きい餌と大きい罠には大きい獲物がかかってきますハリソン山中

成果を得るためには事前の準備が大切、準備物が大きいほどに大きな成果が期待されるのだということを語ったセリフです。
成果に合わせた準備ということではなく、大きなエサやわなを準備しておけば、おのずと獲物も大きくなるのだと伝えています。
エサとわなと獲物が大きいからこそ、それをコントロールする力も試されるのだと思わせられますよね。
成果のためには扱いが難しいエサやわなのコントロールを身に着けるべきだというアドバイスにも聞こえてくる内容です。
目的まであと一歩というときに足を引っ張るのは 敵ではなく必ず味方ですハリソン山中

目標に近づいていると感じたときほど、油断せずに周りを観察、気を引き締めることが大切なのだと伝える言葉です。
目標が目の前にあるときには、味方すらも信じすぎるのがリスクになるので、自分の力で進む意志を持つことが重要なのだと伝えています。
味方への裏切りのようにも見えるセリフですが、目標のためになにを優先するべきなのかという考え方をメインに伝えていますね。
成果のためにはどのように取捨選択するべきなのかという、目標への非情な姿勢も感じられるような言葉です。
何か困ったことがあったら、連絡してくださいハリソン山中

近い将来きっと困るであろう辻本拓海に対して発したセリフ「何か困ったことがあったら、連絡してください」。
辻本拓海に利用価値があると判断したハリソン山中の先見性を感じさせる名言ですよね。
困難に陥った時、人は誰でも誰かに助けてほしいと願うものです。
そして、そのタイミングで助けてくれる人を恩人と感じ、勝手に信じてしまうのではないでしょうか。
もちろん本当に信頼できる人からの言葉であれば安心感がありますが、そうでないことがにじみ出ている言葉です。
その不気味さに背筋が凍る…。『地面師たち』ハリソン山中の名言(11〜20)
面白いですね。ターゲットは大きければ大きいほど狙いやすいハリソン山中

一見、理にかなっていると納得しかけてしまう名言「面白いですね ターゲットは大きければ大きいほど狙いやすい」。
このセリフが登場するやり取りで、ハリソン山中は「大きいエサと大きい罠には、大きい獲物がかかってきます」とも発しています。
確かに、とも感じてしまいますが、同時にハイリスクハイリターンであることも容易に想像できる場面ですよね。
ハリソン山中のように、仕事にスリルとエクスタシーを求める人であれば共感してしまうかもしれない言葉です。
つまらないじゃないですか。誰でもやれることをちまちまやっていてもハリソン山中

ハリソン山中の狂気が見える名言「つまらないじゃないですか 誰でもやれることをちまちまやっていても」。
作中において、地面師グループが大きな仕事に手をつけるきっかけとなったセリフです。
たとえリスクや障害が多くても、そのスリル自体を楽しみ、成功した時の快感を味わいたいという考え方が反映された言葉は、その猟奇性を感じさせるのではないでしょうか。
うかつに影響を受けたら取り返しのつかない事態になりますので、注意しましょう。
選択肢は1つしかありませんハリソン山中

ハリソン山中が刑事である下村辰夫に対し、殺されるか自殺するかという選択を迫る際に発せられるセリフ「選択肢は1つしかありません」。
自分から死ななければ家族が殺されるという極限状態にある人間を揺さぶる最後の一推しであり、どちらを選んでも死ぬしかないところまで追い詰めている辺りに、ハリソン山中の狡猾さが見えますよね。
現実の世界においても上手く使えば交渉を有利に進められそうですが、作中のような卑劣な使い方はしないよう注意しましょう。
人類の歴史は早い話 土地の奪い合いの歴史ですハリソン山中

ドラマの本題でもある、土地とはどのようなもので、そこにどのような感情が込められているのかを語ったセリフです。
自分の場所を奪い合うところから戦いが生まれ、それを繰り返してきたのが人類の歴史なのだと表現しています。
土地を奪い合う歴史があるからこそ、執着も無意識のうちに持っていて、だからこそ付け入るすきがあるのだということも伝えていますね。
人類の本質がどれほど愚かなのかということや、自分の行いも歴史の中では当たり前なのだという正当化にも聞こえてくる言葉です。