【どこまで知っている?】高齢者の方向け・昭和文化と生活の豆知識健康雑学クイズ
「頭がウニになる」という昭和時代の流行語をご存じでしょうか?
混乱した状態を表す、なんともユーモラスな表現ですね。
昭和文化と生活の豆知識を通して、高齢者の方との会話が弾む楽しいクイズをご紹介します。
駅の伝言板から消費税導入前の話題まで、懐かしい昭和の雑学が盛りだくさん!
当時を知る高齢者の方には思い出を振り返るきっかけに、スタッフさんなどの若い世代には新鮮な驚きをお届けします。
ぜひ当時のお話を伺って、楽しい時間を共有してくださいね!
- 高齢者が盛り上がる!雑学豆知識クイズで頭も心もすっきりNEW!
- 昭和レトロが懐かしい!高齢者の方に盛り上がるクイズ特集NEW!
- 高齢者が盛り上がる言葉と漢字のクイズ遊び。楽しく脳トレ!NEW!
- 【高齢者向け】7月雑学クイズ&豆知識問題。簡単で盛り上がるNEW!
- 【高齢者向け】夏祭りの雑学クイズ&豆知識問題。知識が増える楽しいクイズNEW!
- 【高齢者向け】人に話したくなる。掃除に関する雑学クイズ&豆知識問題NEW!
- 【高齢者向け】夏に挑戦しよう!海の雑学クイズ&豆知識問題まとめNEW!
- 【どこまで知っている?】高齢者向け。意外と知らない豆知識クイズ
- 【高齢者向け】脳トレにオススメ!懐かしい昭和クイズ
- 【高齢者向け】面白い!ためになる雑学クイズ集
昭和文化と生活の豆知識(1〜20)
1970年(昭和45年)公衆電話の市内通話料が3分10円になりました。以前はどのような料金形態だったでしょうか?NEW!

外出先で電話をかける際には欠かせなかった公衆電話、時代が進むにつれて目にする機会も減ってきましたね。
利用する機会が減ったからこそ、料金のイメージも薄れてきているかと思いますが、3分で10円という料金設定です。
そんな3分10円という料金は、1970年から変わったもので、その以前は違う料金でした。
では1970年より前にはどのような料金で公衆電話が使用できたのでしょうか。
答えは「1回につき10円」、10円さえ支払えば無制限、時間を気にせず電話がつなげたので、長時間にわたって独占した人が多かったというエピソードも含めて知っておきたいですよね。
昭和20年に宝くじが初めて発売されました。ハズレくじ4枚と当時はあるものが交換できました。あるものとは何でしょうか?NEW!

宝くじが初めて販売されたのは、終戦直前の昭和20年7月。
販売価格は1枚10円、1等は10万円だったそうです。
当時はハズレくじ4枚とあるものが交換できるシステムでしたが、そのあるものはなんとキンシと呼ばれていた「タバコ」10本だったんです!
お酒ならまだしも、賞品や景品にタバコがついてくるくじなんて、現代では想像もつきませんよね。
おぼえていらっしゃる方にとっては、時代の変化を感じる懐かしいエピソードとなることでしょう。
昭和35年家庭用のTVに革命が起きました。TVの画面はどうなったのでしょうか?NEW!

昭和35年に家庭用TVに起こった革命的な出来事、それは、カラー放送のスタート!
昭和28年2月1日にNHKの放送が始まり、同年8月28日に民放局の放送が開始されました。
その後、リモコン式テレビの販売開始やブラウン管の小型化を経て、昭和35年にようやくカラーでの放送が始まったのです。
当時のカラーテレビの価格は、大卒初任給の数十倍。
庶民にはなかなか手の届かない代物でしたが、技術の進歩とともに手に入りやすい価格へと変化していきました。
昔のテレビの写真や当時の番組の映像を見れば、若かりし頃の思い出がよみがえってくるかもしれませんね。
昭和44年アメリカのあるロケットが、人類で初めて月に着陸しました。ロケットの名前は何というでしょうか?NEW!

昭和44年に人類初の月面着陸を成功させたアメリカのロケットといえば、「アポロ11号」ですよね!
ケネディ宇宙センターから打ち上げられた宇宙船に乗船した3名の顔写真や、ニール・アームストロング船長が月に残した人類初の足跡の写真を見て、当時の盛り上がりを思い出される方もいらっしゃるかもしれませんね。
クイズをきっかけに、多くの人に夢を与えてくれた歴史的快挙を思い出しながら、昔話に花を咲かせるのもよいのではないでしょうか?
昭和の喫茶店や飲食店のテーブルには、ルーレット式の小型自販機が置いてありました。何の自販機だったのでしょうか?NEW!

昭和の喫茶店や飲食店のテーブルには、ルーレット式の小型自販機が置いてありました。
その中身は、なんと「占いの結果」!
硬貨を投入してレバーを引くと中のルーレットが回転し、ロール状に巻かれた紙が出てくる仕組みになっていました。
昭和50年代には、星占いブームと喫茶店ブームのダブル流行によって、この小型自販機の製造数は年間20万台を超えていたのだそう。
平成に入ってからも、古い中華料理店などで見かけた記憶がありますが、現在ではなかなかお目にかかれない貴重なものとなってしまいました。