【高齢者向け】脳トレにオススメ!懐かしい昭和クイズ
昭和には、暮らしに欠かせない電化製品から、食卓で囲む温かい団らん、そして今では懐かしい生活の風景まで、心に残る思い出がたくさんありますよね。
当時を生きた高齢者の方の記憶を呼び覚ますようなクイズは、脳の活性化につながるだけでなく、周りの方との会話も弾んで楽しい時間を過ごせます。
この記事では、昭和の文化や流行、暮らしにまつわる思い出深いクイズをお届けします。
高齢者の方と一緒に昭和の記憶を辿ってみませんか?
昭和時代の文化・流行・生活クイズ(1〜10)
昭和40年代に「新たな三種の神器」となった3Cとはカラーテレビ、クーラー、もうひとつは何でしょうか?

昭和の時代にタイムスリップできるような懐かしくクイズ。
「新たな三種の神器」となった3Cとはカラーテレビ、クーラー、もうひとつは何でしょうか?
という問いかけから始まるこの問題。
当時新3種の神器として注目された最後のひとつは、車を英語で表した「Car」。
家庭に車が来た日の喜びや、近所で話題になったエピソードを思い出す人もいるかもしれませんね。
こんなクイズは、昔を知る人は共感と笑いを、知らない世代に驚き学びを届けてくれます。
ちょっとした集まりや、高齢者施設のレクリエーションなどでおこなうと、おおいに盛り上がります。
レトロ好きにもオススメの一問です。
主に寝るときに体を温めるために使用していたお湯を入れて体を温める道具をなんというでしょうか?

冬が本格的にやってくると寝るときにも体が冷える、体をなんとかしてあたためたいという悩みはどの時代も共通ですよね。
そんなあたたかく眠れるようにという目的で主に使われている、お湯を入れて使う道具といえば何でしょうか。
現在でも使われる場合があり、昭和の全盛期とは使っている素材が違うほかにも、保温性をはじめとした機能も向上しています。
答えは湯たんぽ、熱いお湯をいれてから、やけどしないように布でくるんで体を温めていく道具ですね。
昭和20年に宝くじが初めて発売されました。ハズレくじ4枚と当時はあるものが交換できました。あるものとは何でしょうか?

宝くじが初めて販売されたのは、終戦直前の昭和20年7月。
販売価格は1枚10円、1等は10万円だったそうです。
当時はハズレくじ4枚とあるものが交換できるシステムでしたが、そのあるものはなんとキンシと呼ばれていた「タバコ」10本だったんです!
お酒ならまだしも、賞品や景品にタバコがついてくるくじなんて、現代では想像もつきませんよね。
おぼえていらっしゃる方にとっては、時代の変化を感じる懐かしいエピソードとなることでしょう。
満員電車に乗れなかった人を、電車に押し込むバイトがありました。昭和30年に現在のJR新宿駅で導入されたこの仕事を何というのでしょうか?

昭和30年に現在のJR新宿駅に導入された、満員電車に乗れなかった人を電車に押し込むバイトの名は「押し屋」。
通勤ラッシュの深刻化によって遅延が常態化するなか、定刻出発を実現するために導入されたのが、学生アルバイトを中心とする押し屋だったのだそうです。
「押さないでください」とアナウンスが入ることもある現代では、さすがにこの仕事もなくなっているだろうと思いきや、遅延防止や安全確保のための「サービススタッフ」として、今でも定期的に募集されているのだそうです。
食事をする際に使われていたテーブルで、現在はダイニングテーブルに変わったものは何でしょう?

食事の際に使うテーブルは、時代の流れとともに、椅子に座って食事が可能なダイニングテーブルが主流になりましたよね。
そんなダイニングテーブルに切り替わる前に使われていたテーブルのことを、何と呼んでいたかをおぼえているでしょうか。
畳が中心だったおうちの床に座って食事するようなイメージで、昭和の風景として丸いものが挙げられますよね。
答えはちゃぶ台、家族でまわりを囲んで食事を進める、一家の団らんを象徴するような家具ではないでしょうか。
大正末期から昭和初期にかけて流行した、夏用の女性の衣服は何でしょうか?

大正末期から昭和初期にかけて流行した、サッと着られる女性用の夏物衣料の名前は「アッパッパ」。
裾がパッと広がっていることを表す大阪の言葉が語源と言われています。
現代におけるファッション関連の流行語の語源は、外国の言葉であることがほとんどですが、国内の方言が語源というところに時代の流れを感じますよね。
昭和4年、東京が40年ぶりの猛暑に見舞われた際に、アッパッパも大流行したのだそう。
私の祖母はいまだに「アッパッパ」と言っているので、もしかしたらまだこの言葉を使われている方がいらっしゃるかも……。
昭和35年家庭用のテレビに革命が起きました。テレビの画面はどうなったのでしょうか?

昭和35年に家庭用テレビに起こった革命的な出来事、それは、カラー放送のスタート!
昭和28年2月1日にNHKの放送が始まり、同年8月28日に民放局の放送が開始されました。
その後、リモコン式テレビの販売開始やブラウン管の小型化を経て、昭和35年にようやくカラーでの放送が始まったのです。
当時のカラーテレビの価格は、大卒初任給の数十倍。
庶民にはなかなか手の届かない代物でしたが、技術の進歩とともに手に入りやすい価格へと変化していきました。
昔のテレビの写真や当時の番組の映像を見れば、若かりし頃の思い出がよみがえってくるかもしれませんね。