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稲盛和夫 の検索結果(26〜30)
人は何度やりそこなっても、「もういっぺん」の勇気を失わなければ、かならずものになる。松下幸之助

パナソソニック創業者の松下幸之助の言葉です。
1989年に亡くなったあとも幸之助が残した数々の名言は語り伝えられ枚挙にいとまがありません。
幸之助は「Peace and Happiness through Prosperity」(繁栄によって平和と幸福を)の頭文字をとったPHP研究所も創設し倫理教育にも尽力し、松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも力を注ぎました。
“Kibou” requiem for victims of earthquake in Japan曽我大介

桐朋学園大学でコントラバスを学んだ曽我大介さんですが、1993年第43回ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、その後もさまざまな国際指揮者コンクールで入賞してきました。
「”Kibou” requiem for victims of earthquake in Japan」は、2011年3月11日に発生した東日本大震災で亡くなられた方々を追悼して作られた曽我さんの曲です。
「天・地・人」より【人】山本直純

作曲家で指揮者の山本直純さんは、同じく作曲家で指揮者の父、打楽器奏者の弟、ファゴット奏者の弟を持つ音楽一家に生まれました。
クラシック音楽の普及に力を注ぎ、1973年から10年間放送されたTBSのテレビ番組「オーケストラがやって来た」の企画、音楽監督、総合司会者として活躍し、日本人指揮者として日本ではよく知られる指揮者です。
その後、小澤征爾さんとともに新日本フィルハーモニー交響楽団を結成しました。
日本人として初めてボストンポップスを指揮したスゴイ人です。
小澤征爾さんとは同じく日本人指揮者である齋藤秀雄さんの弟子で同時代の同門です。
やってみなはれ鳥井信治郎

サントリーは、この精神で創業しました。
この言葉は、後にこう続きます。
「やらな、わからしまへんで」。
もちろん、提案するものの情熱を感じて放ったはずです。
それにしても、情熱を汲み取ってくれるトップがいるというのは何より心強いですね。
現状に満足したらそれで終わり。金本知憲

「アニキ」「鉄人」の愛称で愛された平成を代表するスラッガーの1人である金本知憲さん。
骨折した左手をかばいながらバッターボックスに立ち、右腕一本手でヒットを放った打席は今でも伝説ですよね。
また監督になってからの鬼軍曹ぶりは選手からも恐れられていたとか。
そんなアニキの名言はさらなる向上心の大切さを説いてくれたもの。
現状のあらゆる成績にまた社会人の方なら今のお給料に満足すること、どんな場面でもさらに上を目指したいものです。
アニキの顔を思い浮かべると自然と頑張れる気がしますよね。