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【高齢者向け】3月の俳句。春の息吹を感じる名句

3月は、冬の名残を感じつつも、春の息吹があちこちに広がる季節ですよね。

暖かな風が吹き始めるこの時期に俳句を通じて春の訪れを感じてみませんか?

俳句は、自然や季節の移り変わりを五七五のリズムで表現する、日本ならではのすてきな文化ですよね。

思い出や風景を俳句にすることで、心が和み、会話も弾みます。

この記事では3月の俳句をご紹介しています。

春の彩りを言葉に乗せて、仲間と一緒に楽しく創作を楽しむレクリエーションを始めてみませんか?

【高齢者向け】3月の俳句。春の息吹を感じる名句(1〜10)

毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは

毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは

こちらは明治時代を代表する正岡子規の句です。

暑さ寒さも彼岸まで、という言葉がありますが、この句ではその春の彼岸の入りを詠っています。

現代語訳すると、「彼岸の入りで寒さが残っているのは毎年のことだ」という意味ですが、正岡子規が母に「彼岸の入りなのに寒いね」と言い、母が「毎年のことよ」と返したことから生まれたと言われています。

近代文学に名を遺す偉人である正岡子規も、こんなお話をしていたかと思うと、なんだか身近に感じられますね。

草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家

草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家

俳聖と呼ばれる松尾芭蕉。

日本で知らぬ者はいないとされる、もっとも有名な俳人です。

芭蕉は40代のころから旅に出ては俳句を詠む日々を送っており、暖かくなったらまだ見ぬ東北へ旅に出たいと考えていました。

そしてついに決心します。

住んでいた家を売り、旅の費用に充てることにしました。

その時に詠まれたのがこの句です。

現代語に訳すると、このみずぼらしい家とも、いよいよお別れだ。

もしかしたら後で住む人がおひなさまを飾って華やかにすることもあるかもしれないな。

といった、これまでの暮らしを振り返り、まだ見ぬ住人の暮らしを想像した内容になっています。

ここから奥の細道が生まれる旅へつながると想像すると、芭蕉の気持ちの一片が感じとれそうですね。

菜の花や 月は東に 日は西に

菜の花や 月は東に 日は西に

江戸時代の俳句の三大巨匠のひとりである与謝蕪村。

俳人でありながら、画家でもあった蕪村の俳句はその情景が絵画の様に浮かび上がってくると評されています。

この句の舞台は現在の神戸市にある六甲山地の摩耶山。

当時の神戸市では菜種油の生産が盛んであり、菜の花畑が一面に広がっていたそうです。

蕪村が摩耶山に山登りをして夕暮れを迎えた時、ふと見降ろした眼下に見える菜の花畑に魅了され、この句を詠んだと言われています。

夕日に照らされた一面の菜の花畑と、夕日の反対にうっすら見える月。

その地に居なかった私たち読者にも、その情景を想像させてくれる句です。

【高齢者向け】3月の俳句。春の息吹を感じる名句(11〜20)

薄赤き 顔並びけり 桃の酒

薄赤き 顔並びけり 桃の酒

正岡子規は、自然やもの事を見たままに描写したような、印象的な俳句を残しました。

「薄赤き 顔並びけり 桃の酒」も、3月の桃の節句にお酒を飲みかわした様子が伺えますね。

お酒を飲んだので、みんな顔が赤くなっているようです。

七段飾りのお雛さまやごちそうを並べて、家族で桃の節句のお祝いをしている風景も感じられますね。

その場の雰囲気が伝わってくるのと同時に、桃の酒とすることで和やかな空間も感じられます。

気候の暖かさと、気持ちの温かさも感じる俳句ですね。

野に出れば 人みなやさし 桃の花

野に出れば 人みなやさし 桃の花

法医学者でもあり、俳人でもある高野素十は大正から昭和にかけて活躍しました。

「野に出れば 人みなやさし 桃の花」の俳句では、春の陽気のなかで多くの人が優しく笑っていることだとあります。

確かに、春の暖かな日の中では心も穏やかになり笑顔になる方も多くなりますよね。

ですがこの俳句が詠まれた背景を考察すると、また違ったニュアンスに。

高野素十はこの俳句を詠んだ時に、単身でドイツ留学中でした。

知っている人がいない中、ドイツの田舎に住む方との交流が嬉しかったことも伝わってきますね。

雛壇や 襖はらひて はるかより

雛壇や 襖はらひて はるかより

水原秋桜子は大正から昭和後期に活躍しました。

俳人であり医師でもあります。

一人ひとりそれぞれが持つ独自の視点や感情を、俳句で詠んだと言われていますよ。

「雛壇や 襖はらひて はるかより」は、桃の節句で飾ってあるおひなさまのことを詠んでいます。

はるかよりから、現在主流となっている一段飾りのおひなさまではないようです。

三段や五段や七段の立派なおひなさまだったかもしれません。

家のふすまを取り払って飾ったおひな様を、家族が見るのはもちろんですが、外からも見えるようにしていたようですね。

俳句から3月の和やかな、ひな祭りが思い浮かびます。

鴬や 障子あくれば 東山

鴬や 障子あくれば 東山

こちらは昭和を代表する文豪として名高い夏目漱石の俳句です。

「鴬や 障子あくれば 東山」は、初句の鶯から、穏やかな春の日を連想させますね。

京都で、鶯の声が聞こえ障子を開けることも、風情を感じます。

障子を開けた先に広がる、思いがけない東山の光景が広がっていたのでしょう。

咲き誇っている桜が、街を流れる川や建物などとまじ合った景色は絶景だと思わされますね。

あまりの美しい景色に、夏目漱石も思わず心を奪われたようです。

思わず俳句を詠んだことも、考えられる一句ですね。