岩手県出身のバンド・アーティスト・歌手
あなたは岩手県出身のアーティストをご存じですか?
岩手県出身だということをアピールしながら活動されているアーティストというとあまり思いつかないかもしれませんが、実はたくさんの名アーティストを輩出しているんです。
この記事ではそんな岩手県出身のアーティストを一挙に紹介していきますね!
ソロのシンガーやバンド、大御所演歌歌手まで幅広い年代とジャンルから選びました。
ぜひこの機会に岩手県出身者の楽曲を聴いてみてください。
岩手県出身のバンド・アーティスト・歌手(1〜10)
命預けます藤圭子

岩手県一関市に生まれた演歌歌手の藤圭子さん。
藤さんの両親はともに浪曲師であり、そして藤さん自身宇多田ヒカルさんの母であり、音楽の才能あふれる遺伝子を継いでいることがわかりますね。
1969年『新宿の女』でデビューし、夜の世界を舞台とした楽曲を持ち前のハスキーボイスで力強く歌っています。
女性が感じる哀愁としたたかさを歌った楽曲が数多く、今でもお酒の場で耳にすることもたくさんあります。
歌詞の情感の深さを味わってみてください。
北国の春千昌夫

岩手県陸前高田市の生まれた演歌歌手・千昌夫さん。
1965年に戦後歌謡界を代表する作曲家の遠藤実さんに入門し、その後『君が好き』でデビュー。
1972年からは「アベインターナショナル」という個人事務所を立ち上げ、不動産業などを展開するようになります。
1977年にリリースされた『北国の春』が大ヒットし、「歌う不動産王」という異名をもつまでになりました。
1991年からは歌手活動を再スタートさせていますので、故郷が目に浮かぶような懐かしさに包まれる楽曲の数々に触れてみてください!
DistanceLONG SHOT PARTY

華やかなブラス・セクションを有する新感覚のオルタナティヴ・ロックバンドであるLONG SHOT PARTY。
ギターを担当する秀一さんは岩手県奥州市出身です。
1998年に仙台で結成され、2002年には計53カ所の全国ツアーを成功させました。
2008年にリリースされたメジャーデビュー・シングル『distance』は、テレビ東京系アニメ『NARUTO疾風伝』の主題歌に起用されたんですよね。
フランスで開催されたJAPAN EXPO2010に出演するなど活躍していましたが、惜しまれながらも2010年のワンマンライブ「THANKS 2010」をもって解散しています。
岩手県出身のバンド・アーティスト・歌手(11〜20)
あの頃の夏に僕らは瀬川英史(Hooper)

コマーシャルソングやサウンドトラックを中心に活躍する岩手県出身の作曲家・瀬川英史さんが結成したバンドがHooperです。
1995年にシングル『あの頃の夏に僕らは』でメジャーデビューを果たします。
のちにバンド名をFleming Pieと改名して活動を続けましたが、2002年に解散して活動を終了しました。
ボーカルを務めた中嶋朋子さんはバンド解散後ソロシンガーとして活動し、映画の主題歌やアニメの挿入歌などを歌っているんです。
ESCAPE佐々木収(MOON CHILD)

岩手県出身の佐々木収さんがボーカルを務めたバンドがMOON CHILDです。
1996年にシングル『Brandnew Gear』でデビューを果たし、翌年にリリースされたシングル『ESCAPE』がドラマ『FiVE』の主題歌に起用され大ヒット。
オリコンシングルチャートで第1位を獲得し、一躍人気のバンドとなりました。
注目を集めたバンドですが、惜しまれつつ1999年に解散を発表します。
その後2013年と2017年には再結成ライブが開催され話題になりましたよね。
LAY YOUR HANDS ON ME(Short Ver.)川島道行(BOOM BOOM SATELLITES)

ブンサテの愛称で親しまれたロックユニットBOOM BOOM SATELLITES。
ギターボーカルを務める川島さんが岩手県盛岡市の出身です。
1990年に結成、1997年にはテクノシーンにおいて絶大な影響力を持つとされたベルギーのレーベルR&Sレコーズからデビュー。
テクノとロックを融合させた独自の音楽性が国内外で評価され活躍の場を広げました。
2016年、川島さんは47歳という若さで亡くなってしまい、その翌年にブンサテも活動に幕を下ろしてしまいますが、高揚感のあるビートと臨場感のあるバンドサウンドの融合は今聴いてみてもかっこいいですよ!
嫁に来ないか新沼謙治

新沼謙治は岩手県大船渡市出身の演歌歌手で、この曲は1976年に発売されました。
作詞は阿久悠が手掛けており、田舎の純朴な青年の結婚観が綴られている歌詞になっています。
この曲で第27回NHK紅白歌合戦に初出場を果たしており、また第18回日本レコード大賞新人賞、第7回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を受賞するなど、大ヒット曲となりました。