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【高齢者向け】7月の俳句紹介。夏を感じるアイディア

7月は、力強い日差しや蝉の声に、夏本番の訪れを実感する季節です。

この時期ならではの風景や空気を俳句に詠むことは、自然の移ろいに心を寄せる豊かなひとときとなるでしょう。

俳句は、短い言葉の中に季節感や感情を表現できるため、高齢者の方々にも親しみやすい文化といえますよね。

本記事では、7月の季節感を味わいながら楽しめる俳句を厳選してご紹介いたします。

ぜひ、俳句を通じて夏の風情を身近に感じてみてくださいね。

【高齢者向け】7月の俳句紹介。夏を感じるアイディア(1〜10)

墓を去る 時に笑ふや 墓参り

墓を去る 時に笑ふや 墓参り

永田耕衣は明治から平成にかけて活躍した俳人で、禅的思想に導かれた独自の俳句理念に基づいて句を作成しました。

書画にも通じ、90歳をこえた晩年に至るまで、精力的に創作活動に勤しんでいたそうです。

この句は、墓参りの際の心情を表現しており、「墓を去る時に笑う」という一見すると不思議な行動が描かれています。

これは、おかしい、楽しいといった笑いではなく、故人との心の交流や対話を終えて「また来るよ」と語り掛ける際にふとこぼれる笑みであったのではないでしょうか。

詩を悲しいものとするのではなく、個人とのつながりを前向きに捉える、といった耕衣ならではの視点が感じられますね。

暑き日を 海にいれたり 最上川

暑き日を 海にいれたり 最上川

俳句といえば松尾芭蕉の名前がまず上がりますよね。

「夏草や兵どもが夢の後」「閑さや岩にしみいる蝉の声」はみなさんご存じの通りの名句。

この句も「五月雨を集めて早し最上川」と並んで有名な一句です。

夏の暑い日差しをたくさん含んだ川の水がごうごうと海へと流れていく様子を詠んだもの。

「~のようだ」のような直喩を使わないまま「日を海に入れる」と詠んだところがこの句のすごさだと思うのですが、あなたはどのように鑑賞しましたか?

朝顔の 紺の彼方の 月日かな

朝顔の 紺の彼方の 月日かな

石田波郷は、昭和を代表する俳人の1人で、人間探求派として知られています。

この句の中にある「紺の彼方」とは、朝顔の色の向こう側という意味ではなく、朝顔の深い青色を眺めていると、その奥に広がる空や過ぎ去った時間が思い浮かぶ、そんな気持ちを表しています。

「月日かな」は時間の流れに対する思いを込めた言葉であり、朝顔を見つめながら「自分もこんな風に時間の中で生きているんだな」と感じる瞬間を表したものです。

戦争の影響を受けた当時、波郷は朝顔の紺色に触発され、過去の思い出と未来への期待を重ね合わせたのかもしれませんね。

時代を考慮することで、また違った味わい方ができますね。

【高齢者向け】7月の俳句紹介。夏を感じるアイディア(11〜20)

涼しさの 腹にとほりて 秋ちかし

涼しさの 腹にとほりて 秋ちかし

正岡子規は、明治時代に活躍し、近代俳句と近代短歌の父と呼ばれるほどの革新をもたらした重要人物です。

この句の意味は「涼しさが、肌の表面だけでなく、おなか中にまでしみとおってくるほどだ。

もう、秋が近いのだな」という内容です。

空気の変化を体で感じるという表現や、季節の変わり目といった微妙な時期を見いだす感性、ありのまま、見たままのもの、感じたものをそのまま詠むといった、体の感覚と季節の変化をうまく結びつけた句として、正岡子規の写実的な作風が良く表れています。

白玉の 雫を切って 盛りにけり

白玉の 雫を切って 盛りにけり

この句は「白玉を洗った水を切って、お皿に盛りつける」といった、シンプルな内容です。

白玉の雫とは、ゆでた白玉を冷水にさらした後に残る水滴のことを指しています。

つるんとした質感を持ち、みずみずしく輝いている水滴を「切って」とあるのは、余分な水分を落とし、美しく盛り付ける動作を表現しています。

俳句という短い言葉から、ひんやりとした白玉の感触、光を反射する水滴の美しさ、それを器に盛ることで生まれる涼しげな夏の風情が伝わってくるようですね。

紅くして 黒き晩夏の 日が沈む

紅くして 黒き晩夏の 日が沈む

山口誓子は昭和を代表する俳人で、都会的で知的な視点を持ち、自然の一瞬を切り取るのが特徴です。

また、従来の俳句の枠にとらわれず、映画理論を取り入れた連作俳句を試みるなど、革新的な表現を追い求めた人物です。

この句は、沈みゆく太陽が赤く輝きながら、次第に濃い闇へと溶けこんでいく様子を表現しています。

晩夏は夏の終わりを意味する季語であり、夏の名残を惜しむ情感が込められています。

単なる夕焼けの美しさではなく、時間の流れと季節の移り変わりを鋭くとらえた一句です。

美しや 月の中なる 盆の人

美しや 月の中なる 盆の人

加藤暁台は江戸時代中期の俳人です。

尾張藩士の家に生まれ、若くして藩に仕えましたが28歳で職を辞し、俳諧の道へ進みました。

松尾芭蕉の俳風「蕉風」の復興を目指して「奥の細道」をたどる旅へ出立し、蕉風を再評価する活動をおこないました。

この句はお盆の夜の幻想的な情景を描いています。

お盆は先祖の霊を迎え供養する大切な行事であり、その中で暁台は月の光に照らされた人々の姿に美しさを感じたのかもしれません。

お盆の夜の静けさと、神秘的さを表現した幻想的な句です。